極刑をさらに厳罰化
京都のアニメスタジオ放火事件では、35名もの貴い若い命が失われてしまった。
犯人は、重篤な状態らしいが、法の裁きの下で絞首刑にせねば気が済まない。
それでも亡くなった方々の無念は晴れないが、犯人にはとことん死の恐怖を味合わせないと私の気持ちは晴れない。
死刑廃止論者から見れば、私などとんでもない奴かもしれないが、人道をはみ出したものに、人権など恩恵を与える必要はない。まさに鬼畜以下である。
まだまだ日本は、死刑廃止できるような先進国ではない。
それにしても、社会への逆恨みから無差別殺傷事件が相次いでいる。
そうならない様に、引きこもりの息子を殺害した元高級官僚もいた。幸か不幸か私には子供がいないのでわからぬが、もし40過ぎで親を怨むような引き籠りの息子がいたら・・・・・世のため・・・人のため・・・・子を殺害するかもしれない。
ところで不思議に思うのだが、今回のように現行犯で映像や証拠もあるのに、報道では<●●容疑者>と呼んでいる。
殺人の現行犯の場合は、容疑者ではなく、<○○殺人犯>と明確に区別すべきではないのか?
容疑と云うのは、疑いはあるが確定していない場合だ。疑いようもない殺人者まで<推定無罪>の原則を貫く必要があるのだろうか?
「罪を憎んで人を憎まず」とは、犯人を人間扱いするからだ。
殺人にも情状酌量の余地はあるが、殺人の動機や手段・やり方によっては、極刑の仕方も変えていいのではないか?
アメリカの電気椅子では、かける電流・電圧値を死刑の量刑に応じて変化させ、死刑囚に苦痛を与える度合いを変えたそうだ。
絞首刑は見た目には残酷だが、苦痛が少ない方式らしい。
被害者や親族からすれば、何回殺しても殺し足りないのではないか?
人の命を大切さを教えるためにも、貴い一度しかない人生を奪った極悪人には、もっと厳しい死刑の仕方を考えるべき気がする。
世界から、日本は野蛮で残酷なな国家だと云われてもいい。
火あぶりの刑や、釜茹での刑があってもいい。ロボットに鞭打たれる刑があってもいい。
死刑執行は、人間ではなく、ロボットに代行させればいい。
死刑囚の人権よりも大事なのは、善良な市民が安心して暮らせる国家になることではないのか?