団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2019年02月

辺野古移設反対の民意を聴け
 
沖縄県民投票結果は、辺野古移転反対が賛成を4倍近く上回る圧勝だった。だが勝ったがなぜかむなしい。安倍政権が民意を無視しているからだ。

投票率       52.48%  有効投票総数60万1888票
移設反対      37.65%  434272人(72.2%)
移設賛成      9.96% 115933人(19,3%)
どちらともいえない 4.57%  52782人 
 
先ず投票率52.48%だが、直近2回の衆議院選挙((52.66%、53.68%)と比べても変わらぬ低い数字だ。
ところが沖縄自民党県連は、「今回は(投票率が低く)反対は総有権者の37%で、それでも民意と言えるのか」と悔し紛れに批判する。
それなら前回衆院選の自民党得票率は、有権者数の25%で、低投票率と小選挙区制のおかげで6割を超える圧倒的な議席を確保した。
安倍晋三は選挙で国民の支持を受けていると胸を張るが、沖縄自民党流に云うならば、「投票率が低く自民党支持は総有権者のたった25%で、それでも民意と言えるのか」と自らの親分・安倍晋三政権にツバを吐く話である。
 
投票率が低いのは、今回の沖縄に限るものではなく、直近の国政選挙でも同様な数字だった。特に安倍政権になってからの投票率の低迷が目立ち、その理由は、<政治への不信><諦め><政治への無関心>だとされている。
今回の沖縄でも、選挙前から菅官房長官は<どんな結果でも、辺野古移転は変わらない>と選挙を無視する発言を繰り返してきた。これが沖縄県民の半数近くが<投票してもムダ>だと投票を諦めさせた原因である。

安倍政権になってから進行する<政治的無関心(アパシー)>は、もともと<伝統的に政治に無関心な層>に加えて、<政治そのものを軽蔑し否定する><政治に期待したものの、幻滅を感じて政治への関心を失った>国民が増加したためである。その原因と責任は、与党にも野党にもある。
 
云うまでもなく、国民主権とは、<国民の民意(多数決の総意)で国の政策は決定する>という絶対的な法則である。
本来なら古代ローマのように、全ての重要事項は国民の直接投票で決せられるべきだが、便宜的な代議員による間接民主制に置き換えられている。
故に一番重要な憲法改正は、現在でも国民の直接投票に諮られ、総投票数の過半数を超えれば憲法改正が行われる。今回の県民投票は、直接民意を問う憲法改正と同じ方式で、拘束力はないが、政治家には無視できない結果だ。
 
今回は、有効総得票数が60万1888票で、賛成票が43万4272票。辺野古移転反対の得票率は71.7%と圧倒的な沖縄県民の民意が示された。
それにも関わらず、安倍晋三は民意に逆い、辺野古の埋め立て移転は続行すると明言した。よくも「沖縄の民意を真摯に受け止める」などと。、ヌケヌケと口から出まかせを云えるものだ。安倍晋三は、民主主義のイロハも知らぬ暴君で、ヒットラーにも負けない独裁者である。
 
では、民主主義国家の真のリーダーならどうするか?

⓵沖縄県の民意を受けて辺野古移転工事をただちに中断する。
②海兵隊基地の新たな移転先(国内外を問わず)の日米協議を申し入れる。
③日米協議ができないなら、衆院を解散し辺野古移転の是非を全国民に問う。
自分勝手な理屈で国家権力をふるうのではなく、民意に従った政治を行うのが民主主義国家の政治家の使命なのだ。
 
そもそも海兵隊とは何か? 
どんな役割で沖縄に基地を持つのか?
沖縄に置かねばならぬ必然性があるのか?
私を含めて、まともに答えらえる日本人はいるだろうか。
 
海兵隊は、陸軍のような常駐部隊ではなく、海軍に属する機動部隊で、海外の戦場に送り込まれる斬り込み隊の役割のようだ。だから普天間にも移転する辺野古にも常駐するものではなく、時々飛来し、訓練する基地らしい。
沖縄を専守防衛する部隊でもないが、第二次世界大戦の沖縄攻撃の占領の名残で駐留基地がとどまっている。

⓵では沖縄に海兵隊の基地が無ければならない理由は何か?
②何故、在日米軍基地の7割も沖縄に駐留しなければならないのか?
③治外法権の米軍基地は沖縄県民の安全を脅かしてきた。なぜ<日米地位協定>改定をアメリカと折衝しないのか?

以上の3点を日本政府は、明確に解りやすく国民に説明しているだろうか?
その上で、過大な基地負担を沖縄だけに負担させる理由を沖縄県民に納得いただいただろうか。
また米軍基地が縮小不可能で、現状を維持する必然性があるなら、本土を含めて基地負担をなぜ平準化できないのか?その努力を政治はしているのか?
 
安倍晋三が国民の民意を真摯に受けとめているなら、先ずは沖縄県民に解りやすく説明する責任がある。
国防が再優先事項で、自衛隊を憲法にまで加えたいなら、安倍晋三は先ずは沖縄に飛んで、沖縄県民が納得するまで説明責任を果たすのが国家のリーダーたる政治家ではないのか?
それもせず、<普天間の危険を除去するために、辺野古移転は絶対不可欠>では、沖縄県民は納得できないのだ。
沖縄県民の不満に日本人全体が耳を傾け、解決しなければならない問題である。
沖縄県民の民意は基地の縮小につきる
普天間の代替に辺野古を提供することではない-そこが理解できないから安倍晋三は議論が空回りし沖縄と対話できない
 
だがいくら期待しても・・・安倍晋三のオツム程度では、これ以上を<真摯に>求めても納得できる答えも行動も期待できない。
沖縄県民ではないが、私だって安倍晋三には我慢の限界に達している。
来る参院選挙では、野党への政権交代は時期尚早で無理だが、せめて安倍内閣を総辞職に追い込むだけの痛打を浴びせたい。
それには立憲民主党の大躍進だけが希望の綱である。

(補足)
憲法学者の小林節慶応大学名誉教授は、憲法95条から、政府は直ちに県外移設を始めねば憲法違反だと指摘する。

第九十五条
一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

北方4島の帰属
 
北方4島返還に力をそそぐ安倍政権の労を多とし、交渉の成立を期待するが、結果が出なければ政治家としての評価はゼロに等しい。

国民の意識調査では、過半数を超えて4島返還が望ましと答えている。
4島返還の根拠を問われると、
ロシアの前身のソ連が第2次大戦末期の1945年8月に当時有効だった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、北方四島を不法に占領した>から返還は当然だとほとんどの日本人は答えるだろう。私もソ連は約束を破る汚い国で、4島返還は日本固有の領土だから当たり前だと思っていた。

ところが、ロシアのラブロフ外相の見解は、日本の主張と真っ向から対立する。
曰く、「平和条約締結は第2次大戦の結果を認めることを意味する。このことは平和条約に関するすべての過程において疑う余地のない最初の一歩であると日本側には話している。そのような歩みが行われることを期待する。さもなければ他に何も議論できない」と日本側をけん制した。
つまり北方4島は、ロシアの不法占拠ではなく、第二次大戦後の戦後処理で国際的に正当にロシア領となった。それを事実として認めないなら、交渉は始められないと主張する。
このロシアが突き付けた踏み絵を安倍晋三が認めれば、支持母体である日本会議からは<国賊>と非難され、野党からは弱腰外交と総ブーイングを浴びせられる。日本国内の合意を得るのは至難の技である

 
そもそもだが、ラブロフの主張と日本の主張はどちらに分があるだろうか?そこでポツダム宣言受諾の内容を、感情的にならず冷静に精査してみたい。
結論から導くと、歯舞・色丹の2島は、グレーゾーンだが、国後・択捉は南千島列島に含まれると1951年サンフランシスコ平和条約を結んだ時点で、日本は領有権を放棄している。
更に195110月の衆議院でも、西村熊雄外務省条約局長は、放棄した千島列島に南千島(国後・択捉島)も含まれるとの答弁を行っている。
 
ロシアの不法占拠につぃては、日本政府はポツダム宣言を受諾した194592日無条件降伏文書に調印した。
このポツダム宣言八条に従って、日本の領土は、四つの主要な島(北海道、本州、九州及び四国)及び連合国が定めた諸小島に限定され、降伏文書調印と同日に出された一般命令第一号により、千島諸島に在る日本軍は「ソヴィエト極東軍最高司令官に降伏することが求められた。ポツダム宣言第七条、一般命令一項(ロ)により、千島はソ連の占領下であることが連合軍により追認されている。
1946129日、GHQは日本の行政区域を定める指令(SCAPIN-677)を発令し、クリル(千島)列島、歯舞、色丹は日本の行政範囲から正式に除外された。
このとき竹島も日本の行政範囲から除外されている。それ以来、日本の施政権は北方領土や竹島に及ぶことなく、現在に至っている。
またソ連の対日参戦については、東京裁判の確定判決で、「(日ソ)中立条約が誠意なく結ばれたものであり、またソビエト連邦に対する日本の侵略的な企図を進める手段として結ばれたものであることは、今や確実に立証されるに至った」と指摘され、ソ連の対日参戦を正当なものと評価している。
 
以上のように、戦勝国が構成する安保常任理事国は、ソ連の第二次世界大戦参戦と千島列島領有を不当ではなく正当なものと判断している。
 
終戦の翌日の8月16日のことだった。
ソ連のスターリンはアメリカ大統領トルーマンに宛てた秘密電報で、ソ連邦の所有に移管されるべき千島列島をソ連占領地とすること、および、ソ連軍が日本固有の領土に占領地を持つため北海道の北半分をソ連占領地とすることを求めた。
818日、トルーマンはスターリンに宛てた秘密電報で、北海道北東部をソ連占領地とすることは拒否し、千島列島をソ連占領地とすることに同意した。
この時、アメリカがソ連の要求する北海道の北半分の領有権を飲んでいたら・・・事態は北方4島返還どころではなかった。東西冷戦の中で、南北朝鮮半島や東西ドイツのように、日本も引き裂かれていたに違いない。日本は危機一髪で救われた。
 
以上のことから国際的に見れば、北方4島のうち、国後・択捉の領有権は日本が放棄したとみなされるだろう。歯舞・色丹の二島については、日本の行政権からソ連(ロシア)に正式に移管されている。更に、不法に占有されたとする日本の主張よりラブロフ外相の主張に正当性があると判断されるだろう。
 
日本会議や安倍晋三のように、「大東亜戦争は侵略戦争ではなく東亜理想郷建国のため」「朝鮮人は植民地化のおかげで、文化的な暮らしができるようになった」「日本のおかげでアジア諸国は独立を果たした」「北方4島はソ連の中立条約違反の不法行為」と、戦前の日本を肯定し、無条件降伏を否定するかのような発言は、負け犬の遠吠えのようなものだ。
櫻井よしこの様に歪んだ愛国心から、歴史の事実を歪曲して正当化させても世界には通用しない。
連合国は、日本の敗戦の2年も前から、終戦後の日本をどうするか秘密会談を重ね、ソ連に参戦を促し続けている。
ソ連の立場は、関ヶ原の小早川秀秋のようなもので、勝ち馬に乗って北方4島を略奪した。日本は敗軍の石田三成の立場で、裏切った小早川秀秋をいくら憎み罵っても、天下を取った徳川家康は意にも介さない。だが裏切りものの小早川はのちに廃絶の憂き目にあう
 
悔しいが敗軍は潔く事実を認めざるを得ない。
責められるべきは、ソ連ではなく、日本を無謀な戦争に導き、敗戦させた日本人の中にある。その責任者の一人に、安倍晋三の祖父・岸信介も当然含まれている。
いわゆるA級戦犯だが、その中にも広田 弘毅のような無実の罪で絞首刑にされた方も混じる。本来なら日本人が自らの手で戦犯を裁くべきだったが、日本政府は戦争責任は<一億国民総懺悔>だと責任を国民にすり替えてしまった。
 
以上から、日本の原理原則を放棄し、2島返還でも実を取るのかと問われれば、2島でも返還されれば大成功だと私は思う。
しかし、それ以前に危ぶまれるのは、狡賢いロシアだから踏み絵を踏ませたうえで、<4島を含めて第二次世界大戦後はロシア固有の領土となった。日本は認めたのだから平和条約を結ぶべし>と主張するのではないか。
その上でロシアが譲歩したとしても、歯舞・色丹2島に日本人の自由渡航権と漁業権の譲渡くらいはするかもしれない。だがその見返りに多額の無償開発援助を要求するだろう。領有権を日本に返還する気などサラサラないのは見え見えである。国後・択捉を返還することなどありえない。
ロシアの要求を飲むことは、未来永劫に4島の領有権を日本は放棄することだから、安倍晋三も踏みきれないだろう。つまり、残念だが北方4島の返還は、難しいと私は考えざるを得ない。
 
更に最悪なのは、トランプがロシアとのINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄したことだ。ロシアは、もし北方四島が返還されるとしても、米軍の影響が及ぼされないことの保障を求めており、日米ロの三国協定が不可欠の条件となる。だが軍縮から軍拡の時代に戻ってしまった。
そうなると厄介なのは、ポツダム宣言受諾前に、米英ソ三国で取り交わされたヤルタ会談合意が蒸し返されることである。このヤルタ合意に日本は拘束されることはないが、アメリカは拘束される。
つまり千島列島(国後・択捉)はロシア領土とアメリカが承認しているからだ。無論、ソ連の参戦もアメリカの強い要請だったから、不法な参戦で日本の領土を侵害したと日本に味方することはない。
第二次世界大戦戦勝国でも、今では新たな東西冷戦の真っ最中で、日本を取り巻く情勢も厳しくなっている。日米安保条約がロシアを仮想敵国とする限り、北方4島問題は進展しないだろう。
そこで日本が日米安保条約を破棄し日露友好平和条約でも結ばぬ限り、この問題の解決はありえない。と云って・・・日米安保を破棄しろとは共産党を除き、どの政党も主張しない。解決策は見いだせないのが現実のようだ。

不変なる日本国憲法の精神と象徴
 
今上天皇在位30年、心よりご祝福申し上げます。
天皇陛下のお言葉の全文を読み直し、改めて日本の長き文化と伝統に誇りを感じました。
私は、皇位の生前譲位に反対していましたが、陛下の言葉をお聞きし、勤続30年の絶え間ない精励の日々を思えば、生前譲位が自然な形だと思うようになりました。その両陛下の絶え間ないご努力の積み重ねに感謝申し上げ、拍手をもってご退位をお送りしたいと思います。
 
陛下は、美智子皇后陛下のお歌を最後に引用されました。

ともどもに平(たひ)らけき代を築かむと 
諸人(もろひと)のことば、国うちに充(み)つ

陛下は、このお歌に続いて、<このころ全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています
 
この言葉通りに、皇室と国民を繋ぐ架け橋となられた美智子皇后と手と手を携え、<平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代>の天皇としての役割を終えられます。
このことは、今に生きる日本国民が歴史に誇るべき快挙ではないでしょうか。
日本国憲法に掲げる象徴天皇制こそ、日本人が編み出した独自の伝統文化の結晶で、世界に類例を見ない<オンリーワン>だと私は思います。
 
(何が,押し付けか?冗談じゃありませんぜ。薄らトンカチの安倍晋三君・・)
折口信夫が作詞した國學院大學校歌に、<遠つ国々の長きをとりて 我が短きを補いしむる>という一節があります。和魂洋才・和洋折衷こそが、日本人の信条であり、文化です。日本国憲法こそ、日本人らしい英知の結晶だと私は思います。
 
国家統合の象徴とは何か?天皇は何をなすべきか?
日々、今上天皇は答えを出すために問い続け、それが被災者の慰安の旅となり、戦没者慰霊の旅として巡行(巡礼)を重ねることになります。おそばには常に民間出身の美智子皇后が影となり支えられていました。
国民に根づいた古き日本の<良妻賢母>がなければ、新生<象徴天皇>の役割は果たせられなかったと天皇は、深い感謝を美智子皇后に伝えたかったと思います。
それが次のお言葉につながります。
 
<天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。
しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。>
 
象徴としての天皇は、いかにあるべきか?
天皇陛下が皇后陛下とともに導き出したお答えは、<恒久平和の象徴>であり、それこそが、日本国憲法が求める天皇像だと・・・・。。
日本国憲法を最も忠実に日々励行された天皇陛下の30年。それは恒久平和こそが日本国民の願いであり、その<国家統合の象徴>が<天皇>であり、天皇の職務だと自覚されたからだと思います。
 
改めて日本国憲法の前文抜粋をここに掲載いたします。
<日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
(中略)
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
この精神を踏み外さない限り、日本国憲法と象徴天皇制は未来永劫に不変です。

天皇在位30年祝典と野党の立ち位置
明日24日、今上天皇在位30年祝典が政府主催で開催される。
日本共産党は、<政府から出席の打診があったものの、断ったことを明らかにし、共産党として参加しない方針を表明した。理由については、「天皇の政治的利用の動きが背景にあると感じざるを得ない」と説明している。
<天皇の政治的利用の動きが背景にある>というが、天皇在位祝典は、10年ごとに行なわれる恒例行事て、過去の10年、20年式典(民主党政権時代)にも共産党は欠席している。天皇制廃止は共産党の党是だから出席しないだけのことである。共産党を除く全政党が式典に出席する。
共産党の欠席を個人的には評価しないが、全党一致でないことは、日本に民主主義が健全に機能している証なのだろう。
 
前回の在位20年式典は、民主党鳩山政権だった。ウイキペディアによれば、
<主催者である内閣を代表し、内閣総理大臣鳩山由紀夫が式典委員長として式辞を述べた。また、三権の長である衆議院議長横路孝弘参議院議長江田五月最高裁判所長官竹﨑博允が祝辞を述べた。また、閣内で副総理に位置づけられているため、内閣府特命担当大臣経済財政政策科学技術政策担当)の菅直人が開会の辞などを担当した。
式典では新潟県知事泉田裕彦新潟県中越地震の被災者を代表して挨拶し、理化学研究所理事長野依良治科学者芸術関係者を代表して挨拶するなど、各界を代表する人物が出席した。
陛下は、自然災害による犠牲者を悼み国民の労苦を労うとともに、戦争の惨禍に触れたうえで平和と繁栄を実現するには各国の協力と努力が不可欠であるとの考えを示した。また、日本が抱える諸問題について、国民の叡智を集め相互に協力することで諸課題を解決してほしいとの考えを示された。」とある。
 
共産党の欠席は、政治信条の自由だから、どこのマスコミもコメントせず<不参加>だけを報道していた。その中で、一般読者のコメントが同感できるので以下に引用します。

<共産党は、天皇をお迎えする国会開会式にも2016年の通常国会から出席しています。
もし記念式典に政府の政治利用が疑われるならば、むしろ出席して確認し、問題があれば国会で追及すればいいのに。今度の式典は在位の区切りのみならず間近に迫った退位を前に「おつかれさまでした」という思いが込められるのは必然です。「それ自体が政治利用だ」では石頭過ぎるし、今は自らを含む野党連合で政権を取ろうというスタンスなのだから「やはり天皇嫌い」とみられるのもマイナスと思うのです。>(私も同じ意見です)

 
共産党は、<護憲>を掲げ、過渡期的に天皇制との共存を容認しているが、国民の総意をもって<天皇制の廃止、自衛隊の解消、資本主義の否定>される未来社会を実現することを目標とする政治団体である。
マルクス理論・史的唯物論からはそれが理想の社会だが、日本の伝統精神文化を破壊した上で成り立つ世界観である。そこは私とは異なる点だ。
野党と云っても、共産党は特異な存在で、他の野党とは一緒にはならない。政権を担って欲しいとは思わないが、存在を否定する考えはない。むしろ民主主義を健全に保つために必要な批判政党だと思う。
国民の玉木と小沢一郎は、<安倍政権打倒>の一点で、全野党連合を呼び掛けているが、枝野の立憲民主党は、個々の選挙協力には応じても、野党連合には否定的だ。立憲民主党が政権を担うとしても、共産党との連立はありえない。
たとえ小沢一郎の剛腕で一時的に野党が政権を取ったとしても、自民党に対抗できる真の二大政党にはなり得ないからだ。
平成になり、細川護熙・羽田孜・村山富市・鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦と自民党に代る6人の首相を小沢一郎の仕掛けで野党から出したが、結局政党としての基盤が固まらず、現在の野党分裂に至ってしまった。
国民は、自民党に飽き飽きとしているから、野党連合に期待を抱いた。だが政権交代に裏切られた反動で、長期安倍政権を許す原因となってしまった。
安倍一強と云うが、安倍の能力など国民の半数以上は評価していない。
平成の政治不信を抱かせた元凶は、過去の野党首相を担ぎあげた黒幕・小沢一郎である。最たるものが宇宙人・鳩山由紀夫を首相にしたことだ。。鳩山の財力だけを狙った小沢らしい策略だった。
安倍晋三が悪夢の民主党政権時代と罵りまくるが、民主党にとっても鳩山由紀夫は悪夢だった。国民にとってみれば、今が悪夢の時代である。
とりわけ<辺野古移転は県外>と公言しておきながら撤回したことだ。民主党内で足並みが乱れた元凶は、細野豪志らの隠れ自民党が潜んでいたからでもある。枝野が国民民主党との統合を拒むのも理由はそこにある。国民民主党のなかに細野剛志になりたい自民党シンパ議員がたくさん残っている
共産党の天皇在位30年祝典不参加から脱線したが、野党連合で安倍晋三の首を獲ることより、まともに自民党と対抗できる野党勢力を国民が育てることがまず優先されると私は思う。
アントニオ猪木を巻き込んで野党連合の核にする?バカな・・・小沢一郎らしいコケ脅かしだ。アントニオ猪木の度々の北朝鮮訪問で、拉致は進展したのか?政治家として金正恩と日本の懸け橋になれたのか? もし拉致解決に役に立つ人物なら、とっくに自民党と安倍政権が取り込んでいた。細野豪志の方がまだ役に立つから二階は迎えたのだろう。
ともかく、現行日本憲法の理念を正しく理解する健全保守野党は、立憲民主党しか存在しない。
国民民主党と自由党の支持率は、時事通信2月では共に0.3%で、比例でも当選者なしのレベルに低落している。私がとやかく云わなくても日本国民は見抜いている。
このような中途半端な政党は早く消えて欲しいものだ。特に橋下・維新などは自民党日本会議そのものである。
安倍も枝野も嫌いだ。と言っていては、安倍晋三の思うつぼである。小沢がまた野党をぶち壊し、野党が分裂し、死票が増えるほど自民党独裁は続く。
立憲民主党が議席を増やさぬ限り、安倍独裁政治は終わらないだろう

馬耳東風 
 
先のブログで、女児虐待致死(殺人)事件への対処策を長々と書いた。要約すれば、
<核家族化、少子高齢化、独居老人。孤独死、育児ノイローゼ、幼児・児童の虐待、これらの社会現象は、これまでの<自助・共助・公助>を前提にした日本的な伝統システムでは機能不全だから生じた現象だ。。
今、日本国家が取り組むべき最優先課題は、次世代をつなぐ子供を安心して産み,安全な環境で、安心して育てられる福祉国家造りではないか?
自衛隊明記のための憲法改正とか、空母改造などの国防費に税金を投入するより、子育て支援・教育・福祉に国費(税金)を重点的に投下すべし。>とするものだった。
そのためには、国防優先政策の安倍晋三を総理から降し、立憲民主党のような国民目線に立った政党を選択すべし、が私の持論である。
 
そこで寄せられたコメントを紹介し、<この方の指摘は正しいが、現代の風潮を代表するただの傍観者であるようだ。>と書いてしまった。するご立腹されたようで。猛烈な反論があったが、私のブログの趣旨とはかみ合わない内容である。
コメントいただいたことに改めて感謝します
誤解を招かぬようにコメント全文を紹介し、ブログ訪問者のご意見とご判断を仰ぎたい。
 
以下はコメント全文です。
⓵別に、私は、傍観者ではないですよ。PTAの現役役員ですし、学校の登校時、隔日に、通学路に朝、晩(旗?)を出すのに、累計6年間やり続けております。まだ下の子の卒業があと1年ですから、計7年やることになります。 
2019/2/17(日) 午後 5:23 [ tys*****]

②ただ、他人様の家庭に介入するには、現代社会では、デリケートなので難しいということです。私の子供の通う学校は、公立ですが、実に学校の先生もよくやってくれますよ。問題児や、問題を抱える家庭にもぎりぎりのところで介入して。いつも遅くまで残業して。頭が下がります。私も子育てをして成長したと思います。地域にも溶け込み、ママ友多く知り合い、地域にも貢献したと思い知己も広がりました。
2019/2/17(日) 午後 5:28 [ tys*****]

③でも、団塊ジュニアの人がママ友に多いいですが、少しそれより年齢が低いかな。でも、虐待の家なんかいません。本当に。そのような世代の問題はないです。
2019/2/17(日) 午後 5:30 [ tys*****]

立憲が、政権を握れば、児童虐待がなくなるのですか。自民政権が、児童虐待を増長しているのですか、あまり関係はないのと思います。政治とは、児童相談所を充実すれば、減るとも思いますが、今回の事件は、父親が確信犯ですから。母親も父親に同調して。実際困りますよ、児童相談所も。これらの職員さんも学校も大変です。そのようなところに迷惑をかけないという自覚がない人がいるのですかしら。幸い私の周りにはいない。問題児の家庭はあるけど。
2019/2/17(日) 午後 5:37 [ tys*****
⑤私も、子育てを削除することで、社会や地域に少しでも貢献できることに誇りを持ちたいと思います。傍観者と言われても、できる範囲でしかできませんが、団塊世代の方ですから、子育ての環境も時代は変わり、理解できないともいますが、もう日教組なんかないですよ、存在すらない。
2019/2/17(日) 午後5:43 [tys***** ]
 
まず事実誤認を指摘しておきたい。
立憲が、政権を握れば、児童虐待がなくなるのですか。自民政権が、児童虐待を増長している>などと、私のブログにはない。忖度されるのは自由だが、決めつけないでほしい。私なりに戦後の歴史を俯瞰し、社会的風潮と背景を分析したものだ。

もう日教組なんかないですよ、存在すらない。 >この方と私も同じ認識で書いている。
安倍晋三が<憲法9条に違反するから自衛隊員の子がいじめられる>と改正の論拠に挙げたことに反論し、60年安保の日教組全盛時代ならいざ知らず、今は日教組も衰退し、現在ではこんなイジメなどありえない話だと書いた。
安倍晋三は、日本会議が以前に書いたことを鵜呑みにして憲法改正の理屈に使ったそうだ。

虐待の家なんかいません。本当に。そのような世代の問題はないです。>と今回の女児虐待を特異なもの、一過性のものと考えているのだろうか?この方の近辺では虐待はないのだろうが、報道されているような虐待殺人事件が起こったのは事実だ。
この方は、時代は変化すると認識されているが、変化に合わせて社会の仕組みも変えないと対応できないと私は思う。この方は、ママ友の結束で子供たちが守られていると主張したいのだろうか?
離婚・再婚が多くなり、幼児・児童虐待は増加しているのが実態だ。たまたまこの方の眼に触れないだけの話である。

<他人様の家庭に介入するには、現代社会では、デリケートなので難しい>というが、今回は殺人に至る犯罪そのものである。デリケートを超す犯罪である。
しかも女児は多くのSOSを大人たちに発信し救助を求めている。周囲がデリケートな問題だと手を出しかねていたから助けられなかった。犯罪を取り締まるのは警察権だけが許される。なぜ教育委員会も教師も警察に告発し、被害届を出さなかったのか?状況証拠から犯罪として告発していれば、殺人までには至らなかったのではないか。優先すべきは、人の命である。
 
幸にして、この方は虐待と無縁の優れた住環境にお住まいのようだ。ボランティア活動でも地域貢献されている。ママ友とも協力関係にある。だから問題ないそうだ。
しかし地域格差も大きいし、この方のような優れた環境の住宅街が一般的なのだろうか?
隣近所が助け合う<相互扶助>は崩壊しているし、<町会>組織なども高齢者ばかりで機能せず、解散する例も増えている。
ママ友がいるというが、子供を通じ気心が合う仲間に過ぎず、子の卒業とともに分解する一時的なものではないのか?中には女性特有の反目が生じて排除したり派閥が出来たり、大変だとも聞く。つまり昭和的な地域社会そのものが機能しなくなっている。

アメリカでは、<公助>なんて期待できないので、収入に合わせて住環境を求め移転する。貧困家庭との混在を避け、中には塀で囲われ、ゴルフ場も備えた自己防衛のコミュニティー社会を形成し、厳重なセキュリティーに護られて暮らす富裕層もいる。安全は金次第である。
アメリカは<自助>が前提の社会だから、銃規制に反対が多く、貧富の格差を国家が積極的に是正する気などない。
トランプは、オバマの造った国民皆保険制度など廃止して、個人個人で民間の医療保険に入ればよいと考えている。それが自由の国アメリカなのだ。
日本もアメリカに追いつけ、追い越せと、アメリカをまねて頑張ってきた。それが先に掲げた<核家族化、少子高齢化、独居老人。孤独死、育児ノイローゼ、幼児・児童の虐待、これらの社会現象>を発生させた要因ではないのか?
 
現代の諸悪の根源は、行き過ぎた資本・金融市場経済がもたらした格差の拡大と貧困だと私は理解している。
立憲が政権を握れば、児童虐待がなくなるなんて短絡的な発想はないが、金融資本主義で経済を活性化させ、大企業が儲かれば賃金が上昇し、下請けや庶民の生活も自然に潤うとするアホノミクス論は論理的にありえない。格差は拡大し、貧困家庭は苦しんでいる。
だからアベノミクスでは、較差の是正もできないし、財政健全化どころか悪化の一途辿っている。
これが現代社会の諸悪の根源だから、<自民政権が、児童虐待を増長しているのですか?>と問われれば、<そうだろうね>と肯定するしかない。
 
では立憲政権で、<児童虐待はなくなる>かと云えば、そんな短絡した話ではないが、自民党政権より是正・改善されると期待される。
なぜなら、立憲の立ち位置は<市民>であり、自民党のような<資本家・経営者>ではない。従って、税金の使い道が自民党とは大きく変わり、弱者に光を当てるだろう。
 
例えばアメリカの話だが<メキシコ国境に塀を築けば、不法移民はなくなる>とトランプは国家非常事態宣言まで出して建設を強行する。核ミサイル廃棄協定を破棄して防衛産業を保護する。そこに重点的に国家予算を配分する。
だが、そんな塀を造る予算があるなら、全額を中米の貧困対策に寄付し、住みよい国家造りにアメリカが協力してはどうか?さすればアメリカの違法難民は減るとする考えもある。
政党の考え方と政策が違えば、国家財政の使い方が変わる。
僕なら、アホの壁を作るカネがあるなら、中南米諸国の救済に回すだろう。
弱者を排除し、アメリカだけが豊ならいいのか?それとも貧困に苦しむ隣国を援助するのか?‥それが政治の選択で、国民は選ぶ権利がある。
 
立憲民主党が政権を担えば、安倍晋三が推進する原子力発電所の海外輸出などに国家財政は使わない。原発廃止政策だからだ。
空母改造もしない。南シナ海に空母など派遣しないし、中国と軍事拡大競争などしないからだ。第一に中途半端な空母など役に立たないハリボテである。
陸上配備型イージスミサイル防衛システムはやめる。おカネがかかりすぎるし、ミサイル防衛に役立たない。これはトランプの押し売りで、アメリカの防衛産業への貢献に過ぎない。
その余ったおカネは、どこに使うのか?
立憲民主党なら地球にやさしい再生エネルギー開発、子育て・福祉に回すのは確実だ。自民党政権より、充実した細かな福祉対策ができる。
中長期的に見れば、日本を北欧に近い福祉国家へと変えていくだろう。目標は貧困格差の解消にある。現代の諸悪の根源を無くせば、ユートピアが訪れるかどうかは予言できないが、傍観するよりやってみる価値は高い。
傍観者でなければ、せめて立憲民主党を応援し、新しい世の中の仕組みづくりに参加してはいかがか。

最優先課題は福祉重視の国家改造
 
女児虐待致死(殺人)事件の遠因は、団塊世代のジジババにありとブログしたら、団塊世代より少し若い世代の方から、次のコメントが寄せられた。

<親としては「子供慈しむ心」が基本に有って、そこから「如何にして人間に育てるか」を考えねばなりません。
今回の事件を考える時、恐らくは容疑者の親が子供(容疑者)に対して。どんな教育をしていたが問われるのではないでしょうか?
それと周囲の大人の対応が悔やまれてなりません。一過性の事件ではなく、社会の仕組み/支援を徹底的に改めるべきですね!>

 
また次のような冷めた意見もあった。
<いつの時代でも、児童虐待はありました。団塊の世代が特に残虐とも思いません。現代は、ネットが発達し、情報が拡散し透明化しているので、問題が浮き彫りになった。 (中略) 親が非道だと。親子や家族の関係も弱くなってしまって。一方では、プライバシーの問題もあるし、政府や行政を批判しても、倫理観や、個人の良心の問題もありますしね。>

この方の指摘は正しいが、現代の風潮を代表するただの傍観者であるようだ。プライバシーや個人の倫理観の問題だと片付けたから、行政を含めて周囲の大人たちは誰も女児の悲痛な叫びを聞きながら助けることができなかった。
<政府や行政を批判しても・・>というが、では政府や行政は傍観者でいいのだろうか?
社会の諸課題を税金を投入して改善する施策と実行が、政府と行政に求められる。納税者の国民が政治や行政に批判や注文を付けるのは当然ではないのか?
今回の事件を、過去もあった忌まわしき出来事と看過せず、変化する社会で新しい問題と捉え、<社会の仕組み/支援を徹底的に改めるべき>とするのが前者の意見で、私もそうだと思う。
無論それだけで犯罪を完璧に防止できないだろうが,その努力を公的期間に求められる
 
団塊世代は、まさに今回の容疑者の両親世代に当たる。<団塊世代が特に残虐>かどうかが焦点ではなく、虐待死の容疑者の親の年代に当たることを認識すべきだろう。さすれば、団塊世代の子育てに問題がなかったのかどうか。問題があるとすればどのように社会を是正したらよいのか?が団塊のジジババに問われている。
 
団塊ジジ・ババは、子供が結婚し共働きなので、孫の世話に駆り出され、大変だとぼやきながらも孫の世話に追われるのがうれし気である。
仲間内で話しても、なぜ我が子を虐待できるのか、そんな子に育てた覚えもないという。
とは言え、中には子供はウザくって堪らない、いらないという方がいないわけではない。
 
そこで団塊が過ごした時代に何か原因がないのか振り返ってみたい。
団塊世代までは、<産めよ増やせよ>だから、子供が34人いる家庭が普通だった。母親は専従主婦が一般的だった。隣近所にも子供はたくさんいたし、路地でメンコやビー玉、縄跳び、缶蹴りなど日が暮れるまで子ども社会で遊ぶのが普通だった。紙芝居も来たし、駄菓子屋もあって、ガキ大将を頭にする子供社会のヒエラルキーが存在した。
向こう三軒両隣、母親同士の交流も盛んで、井戸端会議は当たり前だった。そんな中でも、折檻と称する親にぶたれる行いは日常茶飯事だったが、度が過ぎれば近所が止めに入り、やり過ぎだと諫めたり、子供は泣いて隣のおばちゃんに助けを求めたものだった。醤油が無ければ隣同士の貸し借りは当たり前、自然に<共助>社会が出来上がっていた。
 
団塊世代が高校生となる昭和30年代後半から、高度成長が進み、<鍵っ子>と呼ばれる現象が世の中に発生した。両親が共働きなので、学校から帰宅しても一人っ子の「留守家庭」が増えてきた。その理由は、<日本の経済成長にともなう生活向上の為の女性の就労意識の高まり、女性の社会進出が、一人っ子の鍵っ子登場の主たる要因>だとされている。
昭和40年代以降の核家族化の進行(祖父母と同居しない)は、子育て環境を激変させた要因の一つ。>と分析されている。
 
団塊世代が結婚する昭和50年代になると、親との同居の二世帯家族は都会ではなくなり、田舎でも敷地内に別棟を建てることが多くなった。女性が家に嫁つぐ意識は消え、嫁さんが同居を嫌う時代に社会は急速に変貌していった。
それでも産後の子育ては嫁の実家に帰るか、実家の母が面倒を見たので育児ノイローゼは防止できたようだ。
 
<核家族化>現象は、子育ても激変させた。
まず子育てが<孤立化>したことだ。育児ノイローゼ、夜泣きの子への折檻、挙句の果ての殺害など、最近では幼児虐待・遺棄致死事件は特異な例ではなくなってしまった。それでも小学校4年生まで育てた挙句の虐待折檻殺人は極めて特異なケースだが、世に露見されないケースもあるに違いない。
 
<遠い親戚より、近くの他人>という<共助>社会の格言があったが、今では<隣は何をする人ぞ>で、お互いに干渉しない、無関心でいることが、プライベートを重視する住みやすい環境だとされている。自宅で葬式を上げることはなくなり、相互に助け合うこともない。
核家族化、少子高齢化、1人暮らしの独居老人。孤独死、育児ノイローゼ、幼児・児童の虐待、これらの社会現象は、これまでの<自助・共助・公助>を前提にした日本的な伝統システムでは機能不全なのが明らかである。
とは言え、昭和まで残っていた<共助>社会を取り戻すことはできない。<自助>も無理、<共助>も期待できない。とすれば、どうすればよいのか?
 
安倍晋三は、<美しい日本を取り戻す>などと、ノスタルジックな美辞麗句のスローガンばかり掲げるが、自助努力と競争による自然淘汰(予定調和)ばかりを前提にしていたら、日本国は残っても、日本国民は自滅する。
<公助>を主体にした社会的な救済制度と仕組みに取り組まないと、少子高齢化社会に対応できないのだが、真っ向から取り組んでいるだろうか。ましてや子を産まない女性が問題だなんて認識の麻生太郎が安倍晋三の片腕で居座る限り、日本は破滅する。
 
安倍晋三のアタマ程度では、日本国の武力防衛でいっぱいだが、今、日本国家が取り組むべき最優先課題は、次世代をつなぐ子供を安心して産み,安全な環境で、安心して育てられる福祉国家造りではないか?
 
そこで日本国民が成すべき選択肢は、一刻も早く、バカの壁となっている日本のリーダー安倍晋三を総理から引きずり下ろし、福祉社会重視の政策リーダーに替えることである。
今夏の参院選では、野党の政権交代は無理だが、安倍晋三を政権から引きずる下す痛打を浴びせる選挙にしたいものだ。自民党の中でも石破茂や河野太郎なら少しはましな気もする。
そのためには、立憲民主党勢力を伸ばすしかない。
 
橋下徹を親分に担ぎたい小沢一郎や玉木の国民民党は当てにならない。なぜなら安倍晋三の新選組が橋下維新であるように、安倍政権を支える別動隊に過ぎないからだ。
ましたや、小沢一郎のように長続きしない政界の壊し屋に、政権を期待するのは蜃気楼のようなものだ。内閣を支える人材が不足しているから、すぐ潰れる。
しかし、立憲民主党の枝野や岡田は、冗談が通じないくらい生真面目な男たちだ。安倍晋三や小沢一郎のようなハッタリで国民を騙すことはしない。人材も野党に中では揃っている。だから信用できる政党と私は思っている。

そこのけ、そこのけ屁理屈通る

初めに結論ありきで、屁理屈を説得の道具に使う政治家が安倍晋三である。
結論を正当化させるためには、、屁理屈に使う道具(統計資料)を捏造させ、これがファクトだと国会の場で強弁し、国民を騙ますのも厭わない。
この論法は、日本右翼論客・櫻井よしこの得意技だが、安倍晋三も負けてはいない。
この二者はコチコチの武装国家論者だが、安倍晋三のオツムの程度は、枝野幸男の弁では小学6年生程度だからすぐにウソがバレる。
 
安倍晋三は、210日の自民党大会で「新規隊員募集に都道府県の6割以上が協力を拒否しているという悲しい実態がある。この状況を変えようではないか。憲法に自衛隊を明記して違憲論争に終止符を打とう」と呼びかけ、憲法9条に自衛隊を明記する根拠に挙げた。
そもそもだが、自衛隊は合憲というのが、歴代自民党内閣の持論ではなかったのか?国民の大多数は自衛隊を専守防衛に限り必要だと認めている。災害救助の活躍でも感謝し、認知されて65年が経過している。いまや声高に憲法違反だと騒ぐのは共産党くらいしかない。その共産党でさせ、政権を獲れば、体制を守るために自衛隊に代る赤軍と云う武力集団をつくるはずだ。
 
小学生が自衛官の父に<自衛隊は憲法違反なの?学校でいじめられた>なんて話は安倍晋三が得意のねつ造としか思えない。まあ…半世紀前の日教組全盛時代ならありえない話しでもないが・・。

話しが脱線するが、岸信介が総理大臣の60年安保闘争時代、日教組も全盛期だった。安保に反対する教員の一人が、小学校3年で転校した私の担任で、私の父が赤羽警察署長だったものだから、何かにつけて警官の息子の私を目の敵とイジメた。ちょっと教室で騒いだとか、授業中に大あくびしたと、私だけを廊下に立たせ、授業を受けさせないことがしばしば起こった。
母が激怒し、校長と掛け合い日教組に加入していない教師のクラスに替えてもらったが、そのまま泣き寝入りしていたら私は不登校で道を外れていただろう。だから今でも日教組は嫌いだ。
父の兄も警察署長から警察予備隊・自衛隊へと転身し、一佐クラスの幹部自衛官だった。しかし我が家は朝日新聞を愛読し、治安は守るが政治的には中立で、右翼でもなかった。
親の職業で子供がからかわれ、イジメに合うことは自衛官に限らない。<おまえの父ちゃん、イヌ臭い・・>とか<おまえの母ちゃんデベソ!!>なんてイジメられても、憲法改正の論拠になるだろうか?
 
ところで本題に戻ると、首相発言の「6割以上が協力を拒否」とは、これに応じていない市町村を指すらしい。しかし名簿を提供していなくても、適齢者をピックアップするための住基台帳の閲覧や書き写しを認めている市町村は53%に上る。庁舎への自衛官募集ポスター掲示などの協力も一般的で、防衛省によると、一切協力をしていない自治体はたったの5市町村だけという。
実際には99%の市町村が自衛隊による住民基本台帳の閲覧を認め、自衛官募集を広報誌に載せるなど「協力」している。
それ以上の協力は個人情報保護法とか、条例の縛りでできないようだ。

野党は「改憲したいがための印象操作だ」と批判。与党内からも首相の「独自論法」に疑問の声が上がっている。印象操作どころか、統計資料を偽装に使った捏造である。平たく言えば、自公の圧倒的な国会議席では、<無理(ウソ)が通れば道理引っ込む>状態である。
石破茂元幹事長は「自衛隊が違憲なので協力しない』と言っている自治体を私は知らない」と皮肉たっぷりに言及した。公明党の北側一雄憲法調査会長ですら「自衛隊員募集と9条改正は直ちにつながらないのではないか」と苦言を述べている。
 
全くもって、こじつけも甚だしいが、安倍晋三は、批判などどこ吹く風で、これがファクトだと訳もわからぬ強弁を国会で繰り返し、憲法改正の必要性を強調していた。
これを四字熟語では、<牽強付会>という。
また首都大学東京の木村草太教授(憲法学)は、「憲法に自衛隊を明記しても、自衛官募集で個人情報の保護が必要なことに変わりはない。情報提供を受けたいなら、利用目的の限定など適切な管理体制の整備が必要だ」と指摘した。
憲法学者ではなくとも、このくらい法律を作る役割の政治家なら常識だが、安倍晋三君は理解していない。
 
憲法改正で自衛隊が明記され、安倍晋三が主張するように各自治体が強制的に住民基本台帳から自衛官募集の勧誘を行う立法が制定されるとすれば、適齢期になれば徴兵制の<赤紙>が届く戦前を思い出す。
安倍晋三の隠れた憲法改正の狙いは、国民の義務としての徴兵制にある。
要するに<兵役の義務>なくして、少子高齢化時代の自衛官不足は解消されない。
国を守る義務こそ、安倍自民党が掲げる美しき日本国憲法改正の骨子であり、それが日本国民なら当たり前で、反対するものは非国民なのだ。
安倍晋三が顔を真っ赤にして、野党攻撃するのは、こんな非国民の野党に政権を取られては悪夢だと感じる危機感からであろう。
 
安倍晋三は、国家非常事態宣言を出してまで、メキシコ国境に万里の長城を築くトランプをノーベル平和賞候補に推薦したそうだ。
軍事産業と癒着し雇用拡大政策を推進し、一国至上主義を掲げ保護貿易政策で世界中と貿易戦争を行っているトランプにノーベル賞の資格があるのか?
小学生程度の屁理屈で理論武装する安倍晋三君だからこその発想で、日本国民として悲しくなる。

どんなに長い夜でも日は明ける

桜田義孝を国会に送り込んだ千葉県民は、少しは反省しているだろうか?それともオラが国さの大臣様と擁護しているのだろうか?
今夏の参院選では、郷土の誇りとなる人物を国政に送り込んでほしいものだ。
競泳の池江璃花子さんの白血病を受け「がっかりしている」との桜田発言は、前後を聞くと理解できなくもないが、政治家の言葉の選び方としては不適切で批難されても致し方ない。
その上に問題なのは、五輪担当大臣なのに、五輪憲章も話には聞くが見たことはないと答えてしまった。馬鹿正直なのは良しとしても、担当大臣ならせめて憲章くらいは目を通すのは当たり前ではないのか?
 
近代五輪の生みの親、クーベルタン男爵は「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と、ロンドンのセントポール大聖堂での大主教の言葉を引用したそうだが、この精神こそ平和の祭典としての神髄である。
とは言え、現在の五輪はプロも参加する勝つこと、メダル数を争う国威発揚の場になっている。大国の国威競争が激化すれば、ロシアや中国のように禁止薬物を乱用し、肉体改造を国家ぐるみで奨励し、ドーピングを隠蔽する国まで出現する。
私の本音としては、メダルを多くとって、せめて韓国には勝たねばと思うが、政治家ならば、<選手諸君は、公平で厳格なルールの下で、正々堂々と戦い、日ごろの成果を出し切って欲しい。結果は後からついてくる。>くらいは言うだろう。
 
五輪担当大臣とは、いわば主催者なのだ。
アスリート・ファーストで、優れた競技会場を準備し、円滑に運営し、日ごろの実力を発揮できる環境を整える…裏方を支える役割ではないのか?
 
池江璃花子さんが、病気でこの時期に離脱することは、本人が一番無念だろう。それを思えば、励ましの言葉を掛けるのが人の道であり、政治家なら日ごろから言葉の選び方を心がけねばならぬ。
気丈にも池江璃花子さんは、雑念を振り払い、今は病気と闘うことに専念し、絶対に勝利して元気な姿で戻ると自らを鼓舞している。
心からエールを贈り、彼女なら病気には必ず打ち勝てると信じている。
 
私は、池江璃花子さんが、来年の五輪競技に選手として参加できなくとも、どんな資格でもいい、役員・日本選手団の先頭に立って、にこやかな笑顔で行進する姿をぜひ見たい。
病気を克服した姿に感動し、、日本中は湧き上がり、世界中が勇気をもらうだろう。
 
"The nightis long that never finds the day."(どんなに長く思える夜でも、いつかは明ける)と云うシェイクスピアの有名なセリフがある。人生どんな困難がたちはだかろうが、勇気をもって逞しく戦う。池江璃花子さんにその姿を見た。

保守二大政党論
 
国民が政治に望むことは、政治家が切磋琢磨し、住みやすい日本、暮らしやすい日本を造ることにある。
しかし政治家に委ねた権力とは腐敗しやすく、常に国民の監視のもとに置かないと国民に牙を向く。それは歴史からの教訓だった。
とは言え、日々の暮らしに忙しい国民が、日常的に権力を監視することはできない。そこで、政治家の中で相互に権力を監視し、不正があれば糾弾し、政権交代可能な対抗馬となれば、国民は安心して政治を委ねることができる。
単なる批評家ではなく、対案を持った二大保守政党が競い合い、選挙の際は国民が、政策の善し悪しで政党の殺生与奪権を握ることで、健全な民主主義国家が担保される。
 
だが現在の日本の政治環境は、一強他弱で、自民党の軍門に下り権力のおこぼれをねだるか、万年野党で冷や飯を食うかの両極端になってしまった。原因は、小選挙区制度と政党助成金にあると云われる。
国民は安倍一強政治に飽き飽きとしウンザリなのだが、適当な受け皿がないから自民党にも野党にも加担せず、選挙を棄権する。政治で日本がよくなると思っていないのだ.
 
中選挙区時代は、自由民主党の中に、大きく吉田茂の流れを汲む民権派の自由党と、戦前軍部政治を継承する岸信介の国権派の民主党が派閥でしのぎを削る与党内の二大政党が存在していた。
それが崩れたのは、世にいう<加藤の乱>だった。
石橋湛山・三木武夫・吉田茂・池田勇人・前尾繁三郎・宮澤喜一と云った戦前の軍部政治の批判から戦後の復興を担ってきた穏健理性派本流は、大将の加藤の乱で派閥が分裂し、主流は古賀・谷垣そして岸田に受け継がれた。
しかし加藤の乱の腰砕け以降は、派閥の領袖としての度量も戦う度胸もなく、安倍晋三一強体制の補佐役で権力の禅譲を狙う臆病なハイエナに成り下がっている。
 
安倍晋三は、祖父・岸信介が創った民主党を継承した。
岸は、東条内閣の商工相として入閣し、開戦の詔書に署名した戦争犯罪人としてA級戦犯で巣鴨刑務所に拘留された。しかし日本の赤化(共産主義}を懼れた進駐軍により戦犯を解かれ政界に復帰後、民主党を結成した。
岸の政治信条は、戦前の軍部政治が目指す大東亜共栄圏の肯定と、軍事力による大きな政府である。
それは現在の日本会議・靖国神社参拝議連の思想、押し付け憲法改正を政策にする安倍晋三に受け継がれている。いわゆる軍国・国家主義である。
 
しかし、自民党の中には、戦前から軍部政治に批判的で、戦後は<日本の復興は科学立国>を標榜した石橋湛山と、吉田茂の流れが護憲派として存在していた。それも前述したように<加藤の乱>以降は鳴りを潜めてしまった。
自民党は、党内に抱える二大政党の競争が消えて、今や日本会議が主導する戦前回帰型国家主義勢力に占拠されてしまった。
私などは、戦前軍部政治に批判的だし、靖国神社も大嫌い。陰湿な岸信介は大嫌いで、豪快に<貧乏人は麦を食え>と言い放つ倹約化で庶民派の池田勇人が好きだった。その流れの田中角栄も宮澤喜一も評価している。
だから根っから自民党が嫌いなわけではない。
 
安倍晋三は国民の大多数は安倍政権・自民党を支持しているというが、細川政権や民主党政権が誕生したように、国民の大多数派は<無党派>であって<自民党派>ではない。
石破茂が党員票の45%を獲得するのも、小泉進次郎に人気が集まるのも、安倍一強に対抗できるのではと期待するからである。
自民党内で、岸信介の亡霊を一掃する勢力が台頭するなら、私だって自民党を応援するだろう。だが石破も小泉もそれだけの勢力はない。自民党は今や安倍一強体制により亡国の政党に成り下がってしまった。
 
ゆえに他にないから、立憲民主党に保守二大政党の一角を期待せざるを得ないと私は思っている。
別に枝野に惚れ込んでいるわけでもない。顔はダサいが、一途で誠実さを感じる。憲法理論も明確だ。
石橋湛山以来の骨のある保守本流とは、戦前の軍部政治の否定、立憲主義の継承、小さな政府、技術立国の堅持により国民生活の向上ではないか。
アベノミクスのような金融政策のアブク銭で国民は豊かになっただろうか?税収が増えて国の借金は減っただろうか?中身のないスローガン政治には飽き飽きだ。
日本人は、器用で頭がよく、繊細な技術を持つ国民だ。そこを生かして豊かな国家造りを立憲民主党は目指して欲しい。

安倍嫌いは、立憲民主党に結集を!!
 
安倍晋三を嫌う知識人は多い。その理由は人間性(人格)が信用できないからが圧倒的である。
安倍自身もこの人格批判は相当に堪えているらしく、野党の質問でも、<人格攻撃はやめて、政策論争を>とか<人にレッテルを貼る印象操作は良くない>などと、口を尖らせる場面を多く見かける。
その安倍が、昨夜の自民党大会で、前回の亥年選挙で参院選に敗れた経緯に触れ、「(その後)悪夢のような民主党政権が誕生した。あの時代に戻すわけにはいかない」と発言。旧民主党政権を「悪夢」呼ばわりした。
この大会では、安倍晋三の気色ばんだ演説にどよめいたが地方党員からは、冷静な失笑すら起こっていた。
 
安倍は、国会答弁でも事あるごとに野党政権時代を<悪夢の時代>だと繰り返し、安倍政権批判をかわす材料としてきた。まさに印象操作そのものである。
12年前に参院選で敗れ権力に座から追われた安倍晋三にとっては、確かに<悪夢>だった。その責任は安倍そのものの失政が原因で、野党に責任転嫁するものではない。12年前の国民は、日本にも二大政党制の夜明けが訪れたと歓迎したものだった。
その後、権力操縦術に不慣れな民主党政権の敵失で、無党派層の政治離れが進み、権力は固い支持基盤を持つ自民党に戻ってしまった。
 
安倍は権力を失った苦い経験から、自民党勝利の方程式を学んだ。
それが、<野党政権時代は悪夢>だったと国民の深層意識に刷り込ませ、自民党以外の選択肢を消去させることだった。
その結果は、国民の半数を超える無党派層の足を投票所から遠のける成果を生み、30%を超える程度の自民党でも6割強の国会議席を安定して確保できた。
安倍晋三は、選挙に勝つためには政策を訴えることより、<野党政権は悪夢>だと国民に嫌悪感を植えつけることだと学習した。
 
安倍は、「(12年前の)参院選惨敗は総裁だった私の責任で、片時も忘れたことはない。わが党の敗北で政治は安定を失った」とその時の<恨>から抜け出せず、まるで韓国人のように野党への<恨>を繰り返し唱え続けてきた。
石破茂は、取材に、「選挙は始まってから風が変わることもある。過去に終わった政権を引き合いに、自分たちが正しいというやり方は危ない」と安倍を暗に批判している。
 
<死者に鞭打つ>ことはしないのが日本人の美徳である。
ましてや、野党政権時代の民主党はとっくに解体し、今は四分五裂となり自民党政権に太刀打ちできる勢力はない。ましてや、過去の失敗の経験を糧に脱皮し、頑張っている立憲民主党でさえ、やっと15%程度の支持率を回復したばかりだ。それも自民支持率の半数にも満たない。
国民民主党に至っては1%と政党の体をなしていない。ダブルスコアで勝る王者が、弱い相手を口汚く貶しまくる。それが安倍晋三の本性である。
そんな虚弱な野党に<悪夢>のレッテルを貼り付け、安倍政権は正しいと訴えるのは、下品で、卑劣で、卑怯者としか、私には思えない。
 
他人の非をあげつらい、罪をかぶせ、自己を正当化できるだろうか?
安倍晋三と云う男。これくらい狡猾で下品な人物が自民党を仕切り、日本の総理大臣である。(ああ‥恥ずかしくって…いやになる。)
無党派層が政治に無関心で、投票所に足を運ばない結果が、日本にもトランプ並みの品性卑しい総理大臣を産んでしまった。
 
だが、一般自民党員の中にも石破茂支持者が45%もいることは、唯一の救いとなっている。安倍を嫌う心ある自民党員には、今回だけは立憲民主党に入れて欲しい。さすれば、安倍内閣総辞職で石破内閣誕生だろう。
今夏の参院選で、野党への政権交代は絶対に無理だが、立憲民主党に野党第一党の確たる議席を与えることで、安倍政権を総辞職に追い込み、自民党が少しはまともな総理大臣を選ぶ起爆剤となる可能性は高い。
安倍政権打倒は、野党票を分散せず、立憲民主党が躍進するしか方策はない。
 

↑このページのトップヘ