権力の横暴が始まった。
「丁寧に、真摯(しんし)に対応していく」と、選挙中に繰り返していたのは誰か?
選挙が終われば、早速、化けの皮をむき出して、オオカミに変身したのが自民党である。
自民党は、従来の国会慣例を変更し、国会審議の質問時間を、議席数に応じて割り当てると主張し始めた。
菅官房長官も、<当然の話しだ。>と口を挟む始末には恐れ入る。いつもの菅なら、<それは国会でお決めになることで、行政府は関与しない>とコメントを控えるものだった。
よほど、森友・加計問題を蒸し返されたくない思惑が透けて見える。
野党は大反発し、臨時国会冒頭から不協和音が立ち始めた。
民主党政権時代も、野党に下野した自民党には質問時間を手厚く割り振る慣例は踏襲されていた。
少数意見に「丁寧に、真摯に」対応し、尊重することは、議会制政治で権力を担うものの常識でもあった。
本来なら、少数政党の公明党が大反対に回り、権力の暴走を内部で抑制する役割を担うべきだが、反対の声が聞こえない。
何故なら、公明党は連立与党にあるため、自民党から質問時間を譲り受ける恩恵を与えられているからだ。ここまで権力にひれ伏す少数政党は無用である。
国会は立法府であり、法律を作ることが主務である。次に行政の監視役として不正を糺すことにある。
法律を作る際に、一定の審議時間を経過すれば採決することになっている。その限られた審議時間で、自画自賛の与党の時間で多くが費やされれば、問題点の解明解明は不可能となる。
同様に行政の監視も、与党ぐるみの隠ぺいで、国民の耳目から遠ざけられる。ますます安倍晋三の独裁が強まるばかりだろう。
権力者たるもの、堂々と他党の批判に胸を出して受けるべきで、数の力で押し通すことは、民主主義の理念を損なう行為だ。
国会審議のテレビ中継は、クダラヌ番組ばかりにあって、暇な老人の楽しみでもある。自公の質問は、安倍政権へのおべっか,追従ばかりで、自画自賛の手柄話で面白くもない。
問題提起や追及は野党の独壇場だから、追及される権力者としては、出来るだけ口封じさせ、時間切れの尻切れトンビで終わらせたい。
そんな意図が見え見えの議席数に応じた時間割り当てである。
野党は政権党にならずとも、権力の横暴を監視する重要な役割がある。立憲民主党と共産党には大いに活躍していただきたい。