生きた証
8月も最終日。宿題を済ますには格好の雨の日である。
ここ国立では、明日からゴミは有料化される。ボミ袋はあらかた売れ5リットルの小袋しか残っていなかった。
今日は無料で燃えるゴミを出す最終日である。
最期まで悩んでいた手紙類は、一気にさっぱりと整理してしまった。なんかすっきりとさわやかである。会社時代の永年勤続感謝状とか社史などは、とうに処分したが、高校と大学の卒業証書だけは捨てきれなかった。
写真は立教大学考古学研究会同期卒業旅行(1970)。9名のうち2名は他界
人生の半分は会社勤務なのだが、自ら作った人生ではないし、生活を支えるために、職務を忠実にこなすうちに時だけが過ぎた時代だった。
憂さ晴らしに、毎晩のように飲んで、カラオケで歌って、バーのママとたわいない会話で遅くまで遊んで過ごしたが、懐かしいとも、再び訪れてみたいとも、旧交を温めたいとも思わない。
そんな会社員時代の写真はほぼ捨ててしまった。ゴルフの集合写真や社内旅行がほとんどで、お付き合いばかりだから、取り立てて愛着もわかない。海外出張の写真も今となってはどうでもよい。
われわれ団塊世代は、飽食の時代に自由奔放に過ごしてきたから、大方はサラリーマン人生なんか未練もなく、どっぷりと会社人間に浸かりきる者はごく一部であった。いつまでも会社にしがみついている人間を見ると、哀れすら感じてしまう。
しかし、学生時代の写真は期間は短いのだが、屈託のない笑顔を見れば、忘れかけていた青春の記憶が鮮明によみがえる。
イスラムは死後の楽園を夢みるというが、私は出来ることなら、もう一度、入学試験から解放され自由な時間を過ごした学生時代に戻りたい。
アルバムをめくりながら、中島みゆきの<時代>の歌詞が思い浮かぶ。
中島みゆき
薬師丸ひろ子が 2013年10月に、この時代をフルバージョンでカバーしている。これもなかなかいい。
そういえば、古いアルバムめくる歌もあった。
夏川りみ<涙そうそう>
古いアルバムをめくりながら、学生時代に出会った友や恩師に改めて<ありがとう>と感謝の気持ちが湧いてくる。
特に、大学4年の時は、どこの大学も荒れ狂い、封鎖される事態となってしまった。そんな異常な時代だったので、立教大学法学部ゼミの池田政章教授、文学部史学科博物館学講座の中川成夫教授、岡本勇助教授には真剣勝負のお付き合いで指導頂いた。
なにがどのように人生で役立ったのか?具体的には思い出せないが、先生方は、4年になった我々を大人として受け入れていたように思う。無事に我慢して定年まで努め終えのもそのおかげだろう。
写真は立教大学法学部池田ゼミ4年次合宿(1969)。後列中央が池田先生
学生時代のアルバムは、私にとり、生きた証である。死ぬまで捨て去るわけにはいかないようだ。