団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2016年09月

談合の話 その2
 
一昔前の話だから、今の公開入札がどうなっているかは知らない。
ボクは民需営業が主体だったので、官需の公開入札の経験は少ない。少ないと言っても十数件は参加しただろう。そのすべては談合により事前に仕組まれ、談合やぶりが出ぬ限り、入札は形式的なものだった。また談合やぶりは一度もなかった。業界から村八分にされるのが怖かったからだ。
 
形式的と言っても、会社を代表して入札に参加するのだから、社長の委任状がなければ参加資格はない。
ある入札の時だった。チャンピオンとなったS製鉄が、社長委任状を持参せず失格になりそうな事態が発生した。S製鉄の担当者のチョンボで危うく数十億円の工事がパーになる事態である。Sの担当者は顔面蒼白、なにかコソコソと発注者と話し合っている。
 
聞けば、部門長の専務取締役の委任状を持参したが、代表取締役ではないため、発注者から不適格とされたのだ。一般的な見積書では、担当部門の部門役員の印鑑で入札している。社長印まで押すことはめったにない。Sの担当者は勘違いして部門長の委任があればでOKだと勘違いしたのだ。
このような場合は、社長から部門長に委任状がなされ、部門長から担当者に再委任状が発行されなければ入札参加資格はない。
入札時間は決められているから、遅れたり、入札資格が整っていなければ、本来ならS製鉄は失格である。
ところが・・・発注者は、入札時間を2時間繰り下げ、その間に委任状を取ってくるようにSに便宜を図ったのだ。
これがガチンコ勝負なら他の入札者は黙って見過ごすことはないが、すべてが談合会のお仲間である。苦笑しつつも、受け入れざるを得なかった。
 
各社がSのチョンボを寛容な精神で受け入れたのは、Sへ貸を作ることに繋がるからだ。次回の入札では、有無を言わさずSを、降ろすことができる。
S製鉄は業界リーダーで、国家公務員のようなエリート集団だが、商社が仲介するケースが多いのか、直接の営業行為は不得手なのだ。ボクが担当する分野は、当社が実績NO1でSを凌駕していた。
 
 
後日談となるが、S社の担当者は、部長をともどもに各社に謝罪回りと、宴席を設けたのは当然のことであった。
 
このように土建業界に限らず、10数年まえの官需発注は、ほぼすべて、官製談合がまかり通っていた。
 
入札は八百長で、1回目は予定価格をオーバーさせ、その後すぐに再入札が繰り返され、何回目で予定価格から下げて落とすか、事前に申し合いがなされていた。入札参加の各社には事前に数回の入札金額が指定され、その通りに入札箱に金額を書きいれた札を投函するのだ。札はその場で開封され発表される。
入札をもっともらしく見せかけるため、予定価格に追いつけないと再入札辞退する会社のストーリーまで決められることすらあった。
 
豊洲市場のように予定価格の99.8%で落札できたのも、チャンピオン価格を下回ってはいけない業界ルールが厳然とあるからできる結果である。この落札価格を見る限り、かなり巧妙に今でも業界談合が行われていると考えざるを得ない。
このように、入念な事前準備と根回しをチャンピオン会社は行っているので、入札時に突然に資格停止になられても他社は困るのだ。
 
だからと言って、裏金でチャンピオン資格を得ることは、少なくとも、ボクがチャンピオンになった物件では、一度もなかった。談合のチャンピオン資格は、あくまで事前の技術力と営業力が勝敗を左右する決め手であった。
国内市場だけで見れば、談合は日本的な美徳ともいえる。だが、それは国際社会では通用せず、競争力低下につながるのだろう。

誰もいない海の同期旅行
 
街に金木犀が香りだし、今日は一橋大学構内の銀杏が無数に落ちていた。いまはもう・・秋・・・トアエモアの<誰もいない海>を思い出す。
昨日・一昨日とそんな秋の誰もいない海に、大学同期の4人で一泊旅行に出かけた。行き先は伊豆下田の外浦海岸である。
 写真は、宿の部屋から写した外浦。正面の岩の向こうに大島が見える。
イメージ 1
ボクら4人は、立教大学考古学研究会の仲間で、卒業まで退部せずに残った男9名のうちの在京の4名である。御年69歳が3人。68歳は一人である。9名のうち二人は冥界に去り、在京以外は浜松に一人、札幌に一人、音信不通が一人である。
家業の呉服卸商を継いだF、高校教師になったM,光学機器メーカーに就職したK,鉄鋼会社に勤めた私。札幌のKは、いまだに大学教授で博物館学を教え、考古学界では今や道内第一人者となっている。浜松のSは、紆余曲折あったが、スーパーカミオカンデ関連の光学部品を作る会社の社長に納まって頑張っている。
 
それぞれが歩んだ道は、お互いに深く語ることもないから知ることもないが、無事にそれぞれの人生は全うしたようだ。ボクを除く在京の3人は孫にも恵まれ、ジジ・ババと呼ばれるのを衒いもなく受け入れる歳になってしまった。
 
会えば、かれこれ半世紀前の大学時代を懐かしく語り、当時のお互いに戻るのだから旧友とは有り難い存在だ。
勤めの間は、目先の仕事に追われ、会う機会も少なかったが、仕事も子育ても終えて、あとはお迎えを待つだけの身ともなれば、上下関係もなく、虚勢も張らぬ、お前とオレで過ごした学生時代の仲間が一番気楽な間柄を保てる生涯の友人として残された。
イメージ 2 
東京駅発のスーパー踊り子号グリーン個室を予約し、誰に遠慮することなく、約2時間半の旅に出る。個室にはインタフォンがあって、飲食の出前がオーダーできる。お手拭きと珈琲のサービスがあり、席はグリーン席よりゆったりしているので至極快適だった。
 
下田には1時半過ぎに到着。時間が早いので、唐人お吉が葬られているお寺に参する。お吉は下田一の売れっ子芸者だったが、幕末に日米和親条約締結に赴任したタウンゼント・ハリス総領事のお世話に抜擢される。いわゆる妾ではなかったようだが、周囲からはケトウの妾だと卑下され、いじめにあったようだ。ともかくも白い目で見られ続け、50にして身投げ自殺している。そこで担ぎ込まれた寺が下田の宝福寺だった。写真は19歳のお吉だそうだ。相当の美人であった。
イメージ 3 
宿は<ならいの風>と言う漁師が営む旅館である。昨年開業したばかりの旅館だが、建て屋は国の保養所を改装したもので、外浦のど真ん中の最高の立地に建てられていた。
ここを選んだ理由はクチコミ評価が高かったからである。それに伊勢海老の解禁が9月20からなので、漁場を持つ地場の漁師の宿だからまず間違いないだろう、と思ったからだ。オヤジと30半ばの息子夫婦が漁師で、アワビ・サザエ・イセエビなど目と鼻の先の岩場を漁場に生計を立てている。豊潤な漁場なのだろう。まことに感じの良い若夫婦である。
食事はすべて家族で採ってきたものばかり。石垣鯛・カワハギの生き作り、伊勢海老の生き作り一人に一匹。サザエにアワビ。風呂上りのビールのつまみは、潜って採ったシッタカ貝を茹でてくれた。潮風が心地よく、ビールがうまい。
 イメージ 4
朝は刺し網から伊勢海老を取り出す作業を手伝う。小一時間で60匹ほど取り出す。手足や目玉がもぎれると商品価値がなくなる。考古学の遺物整理のように皆さん熱中して繊細な作業に頑張ってくれた。ボクは緑内障で網の目がよく見えず、エビを痛めると困るからあきらめた。ご褒美に朝飯に伊勢海老の鬼がら焼きが出てきた。
イメージ 5
風光明媚で小さな入り江の外浦は、まさに誰もいない海。潮騒の音と潮風が心地よかった。
 
帰りは地物の干物を買い、伊豆急・リゾート21で熱海に。鈍行だが海を見るために座席が設けられ、すこぶる快適である。
 イメージ 6
 熱海からは快速アクティーのグリーンにする。アクティーの普通座席は通勤電車と同じだから旅の気分が出ない。グリーン代は980円だから、踊り子で帰るより安いのだ。
かくして、東京駅1時半過ぎに解散した。

談合は日本の伝統文化だ
 
以下は、問題の豊洲卸売市場の落札業者一覧である。
2つのJVに名をつられる東急建設を除き、見事に業界調整が行われ、20社の業界共存共栄体制が護られた痕跡が歴然と残されていた。これは論ずるまでもなく、談合の結果である。だが東京都の場合は役人が絡むことはなかっただろう。

青果棟:

鹿島・西松・東急・TSCHIYA・岩田地崎建設・京急建設・新日本工業 7社JV
水産仲卸売場棟:

清水・大林・戸田・鴻池組・東急・錢高組・東洋建設 7社JV
水産卸売場:

大成・竹中・熊谷・大日本土木・名工建設・株木建設・長田組土木 7社JV
 
歴史を紐解けば、日本の談合文化の破壊命令を出したのは、マッカーサー元帥率いるGHQの指令にさかのぼる。そこで財閥解体・農地解放と並んで、独占的産業支配を崩壊させ、経済を民主化させる目的で<独占禁止法>が1947年に制定された。今や70年前のことだが、それ以来、日本の伝統文化は水面下で闇のカルテル組織で構築され、日本型の<予定調和社会>が継続されてきた。
このうちで、最も強固な組織が土建業である。それを真似した空調設備業界は、建設業界のようなヒエラルキーの序列が厳格ではないため、たびたび談合破りや密告が発生し、新聞沙汰となってきた。
 
ボクは退職して10年も経つので時効だから言うが、ある産業分野の談合組織にどっぷり浸かって人生を過ごした経験がある。望んだ仕事ではないが、社命とあれば拒否はできなかった。
ボクの所属した分野の業界仕切役は、重工3社(M重工・I造船・H製作所)であった。だが、高度成長期も去り、取り締まりも厳しくなった1990年代以降は、3社が談合から撤退し、徐々に消滅してしまったようだ。
ボクは50歳を過ぎて、神奈川県Aランク1位の子会社の建築分野に天下りし、神奈川県建築業界の会合に参加するようになっていた。建築業界の官需は談合で決まるが、民需は自由競争の世界だった。ボクの所属した建築本部は民需がメインだったため、幸いにも談合に直接加わることはなかった。
 
官需は、入札資格が実績評価より、ABCと資格ランクが公表され、今回の豊洲のような場合は、事前に入札参加資格のAランクのJVリーダー及びB/Cと組んで7社の<建設共同体>で応札することが義務づけられている。
実はこの<建設共同企業体>の存在がクセモノで、業界内でどこがどこと組むかを調整しろと、行政がけしかけているのである。このJVの組み合わせを行う調整段階で、業界内部の分捕り合戦が丁々発止と水面下で行われる。そして3地区の工事は一社に偏ることなく、業界内の阿吽の呼吸で決定された。発注の仕組み自体が、談合を予定した官製主導と言える。
超大手企業では、談合専門の要員が配備されるが、一般の会社では営業マンが兼務して談合に加わっていた。
ボクの部門にも、大手のT建設の営業部長が天下り、数年間親しくお付き合いしたが、<談合が建設業界からなくなることはありえない>と断言していた。
 
ボクは日本の談合は、社会の悪だとは思ていない。
それはボクが談合組織と深くかかわっていたから擁護するわけでもない。談合こそが不当競争を防止する日本的な安全弁だと確信するからだ。
談合によって、価格が不当に吊り上げられない仕組みが日本の行政組織に確立されていて、予定価格(指値)以下でしか落札できない仕組みだからだ。
それで予定価格(指値)は、利益が潤沢に出るかと言えばそうはならない。共同企業体を組む各社にそれなりの利益を配分しなければならないからだ。JVリーダーになれば、やり方によっては隠し利潤を上げることは可能だが、それほど甘い予定価格はほとんどない。
かくして。日本的な共存共栄の護送船団方式の談合組織は、<企業倒産の回避><一定利潤の確保><雇用安定><品質確保>を図ってきた源泉だった。
 
では、談合の問題は何か?
業界内部だけの調整なら、<機会均等><仕事量の平準化>が優先される。ちゃんとしたルールがあって、チャンピオンが決められる仕組みが確立されていた。
これは、一企業に仕事が偏らず、公平に仕事を回すためだ。だが・・・営業とはよそより多くの仕事を取ることがノルマだ。
そこで、業界ルールには、設計協力による自社しかできないノウハウを、発注仕様書に・設計図に組み込ませることに成功すれば、優先順位が与えられた。これは正当な営業行為で営業の勝利である。

今回豊洲で問題となった地下空間も、設計会社だけの判断ではなく、建築施工会社も事前に絡んだものと考えてよいだろう。なぜなら今回のような大型物件の場合は、業界内部の調整が周到に行われるのは業界の常識である。
建設業界では、官需の設計・施工は、分離発注が原則だが、設計会社も手間を省いてコストを下げたいから、以心伝心、落札予定業者に図面作成の手伝いをさせるのだ。こんな事前のカラクリも仕組めないなら大手の営業マンは務まらない。目に見えない水面下の営業活動は、大っぴらに自慢できない話だが、凄腕の営業マンなら常識の世界だった。
夜な夜な銀座通いをしたのもこのころのことである。個人的に気脈が通じるまで親しくならねば秘密は共有できないのだ。

次ぎに、発注者の<天の声>があれば、チャンピオン権が与えらえる。
業界内部の調整と言っても、どの社も仕事が欲しいから、なかなか譲り合いとか、降りる会社はいない。ああだこうだと、チャンピオンを主張し、徹夜交渉でも決着がつかないのだ。そこで、発注者の意向があるなら、従うルールが出来上がった。それを<天の声>と呼んだ。

東北の土建業界の<天の声>は、行政に代わり小沢一郎事務所が仕切っていた時代があった。これが不正の温床で、献金とか裏金とか、贈収賄とか、疑惑の種は尽きなかった。そことつるんだ業界のドンがK建設にいた。小沢事務所もこのK社のドンを経由して<天の声>を発し、自らは尻尾を掴ませなかったのだ。
そこで営業は受注のためには骨身を惜しまず、ドンのご機嫌を伺い、政治家通いをしたものだ。選挙ともなれば、建設会社の社員が選挙事務所に詰めかけ、電話勧誘に汗を流した。
談合の悪の温床、<利権>は、こうした政治家との癒着から発生した。談合を食い物にする政治家が問題なのだが、それを助長させたのも建設業界であった。そんな悪の利権に群がる温床が自民党の実態だから、ボクは支持できないのだ。

こういった談合の規約は、今はどうなっているか知らない。だが<共存共栄>の善の精神だけは引き継がれているように思う。
なお、以上の話は、10数年前の業界の実態なので、いまは取り締まりも厳しく、もっと巧妙に運営されているのではないか。浜の真砂は尽きても、世に談合の種は尽きなのだから・・・・。

梨園の恋
 
橋之助が八代目(しかん)襲名披露を目前に控え、京都先斗町のナンバーワン芸妓、市きよ姐さんと浮名を流したと大騒ぎである。
イメージ 1
 
世が世なら、よくぞ京都随一の姐さんを落としたものだと世の男性からは、拍手喝さい、羨望の的である。さながら歌舞伎なら大向こうから「成駒屋!!!」と掛け声が掛かり、どうだと大見えを切ってもおかしくない場面だ。
 
横丁の尻からっげたステテコ姿のジイサンが風呂の縁台で嘆いていた。
「今じゃあ、世間は不倫だ、不倫だと大騒ぎだぜ。カミサンまで夫の不始末を詫びるザマ~あ、だらしがねい。
江戸の伝統芸が廃れるというもんだ。世の中、かたっ苦しくていけねいや。こちとら江戸っ子は、見ちゃいられねいぜ。
それにしてもさ、世の中、いつから聖人君主ばかりを求めるようになっちまったんだ?
これだから、強姦もどきのおかしな役者が現れるってもんじゃないか?
聞くところによるとよ。市きよ姐さんが橋之助に首ったけで、自腹切ってまで、週に三日も江戸まで通ってきたって言うじゃあねいか。男冥利に尽きるってもんだね。
だいたいがよ。歌舞伎役者が梨園だと!!!。
ざけんじゃないぜ。その昔はよ、河原乞食って言われたもんだ。男芸者とも言われてさ。幕が下りれば、贔屓衆に呼ばれりゃあ、座敷に上がってお酌のひとつもしたもんさ。
まあ、橋之助は、市きよ姐さんに買われた男よ。何が不倫だぜ、間違っちゃあいけねい・・・」
 
ボクは頷いて聞いていた。
粋な玄人衆の世界に、妙に普遍的な素人衆の倫理を持ち込んで、やいのやいの言うのはいかがなものか?あまり野暮なことは言わないことだ。

天皇陛下退位の是非
 
陛下が高齢を理由に退位のご意向を表明された。全文は以下参照ください。
 
天皇制は、万世一系、世襲が憲法上の規定で、詳細は皇室典範に定められている。これに対して、皇位継承権者は拒否する自由はなく、皇室典範に定める順位で、皇位を継承することが生まれながらに義務付けられている。残念だが、皇室には国民に与えられている自由はないのだ。
 
天皇陛下が高齢により、公務を全うできないから退位したいとのお考えは理解できる。だが、ご自身の意思で退位が可能となれば、皇位継承権者が自由に皇位を拒む権利も論理的には発生する。皇室離脱の自由を認めることになる。さすれば、天皇制度の存続自体が危ういものとなる。
議論すればするほど、解決策は一筋縄でできるものではないようだ。
 
そこで政府は、ややっこしい議論を棚上げし、現天皇に限り、時限立法的に退位が可能となる特別措置法で対応する方針を固めたようだ。
 
ボクは前々から、天皇制は、現行憲法通り終身制度でよいと考えているので、天皇陛下のお気持ちは叶えられないが、現在の憲法に従い皇太子殿下を摂政の地位に据え、天皇を代行し、すべての国事行為を行うことでよいのではないかと考えている。当然ながら新任外国大使の謁見や大臣任命は、摂政たる皇太子殿下が行うことになる。その他国民的行事への参加は、天皇陛下とご相談しながら決めればよいのではないか?
 
下世話に言えば、<オレは終身王様だが、下世話なことはすべて皇太子、お前に任せた。公事は引退するが王様の地位は今のままじゃ・・>で、よいのではないか。それが現憲法の考え方だからである。
慣例で言えば、昭和天皇だって皇太子の時代から、体の弱い大正天皇に代わり摂政の地位に立ち、国事行為を代行していた。
 
ボクがもし皇太子なら、<お父上さま、どうか終生天皇をお続けください。国事行為はすべて私が摂政として代行します。心配せず私にすべてお任せください。故に退位だけは思いとどまってください・・・。>とお願いするだろう。
 
ボクは右翼ではないが、日本国独自に守られてきた天皇制度をできれば未来永劫に継承していただきたいと願っている。
その意味から、天皇は男子に限る必然性はないと考え、皇室典範はこの際、女系天皇を容認する改正を行うべきだと前々から思っていた。
 
我が家も太古の皇室の流れをDNAに受け継ぐ一族だが、男系が絶え、女系に養子縁組で、家系をつないできた歴史がある。皇室は代々、男系が誕生しにくい家系である。それに側室を置くこともできない。皇位継承の拒否権がなく、男子継承なのだから、第二・第三夫人を皇室に認めてもいいじゃないかとも思う。じゃあないと、皇孫が絶えてしまう。それが無理なら、女系を容認すべきである。
女系継承を今から真剣に検討しないと、王女の降嫁皇籍離脱で、あとを継ぐ皇族が絶える絶滅的危機に陥っている。
政府は、時限立法などと言う安易で姑息な手段ではなく、正々堂々と皇室典範改正の国民的議論を行うべきである。

枯れた音の味
 
孫の里帰りはうれしいものらしいが、ジジババも高齢になると、元気な孫についてゆけず、どっと疲れてしまうようだ。
ボクには子も孫もいないが、最近どっと疲れがたまるようになってしまった。原因は最近導入した300Bのパワーアンプのせいである。
数ワットの出力しか出ない300Bだが、聴き慣れたMarantz8Bをはるかに凌駕する力強いサウンドで、ビビットな躍動感はさすが真空管の王様と謳われるだけの実力を認めざるを得ない。
 
だがその音色は堂々としていて、躍動感にあふれ鮮明なのだが、長時間聴いていて疲れてしまうのだ。もう少し使いこなし、エージングすれば音も枯れてくるのかもしれないが、今のとこ、この音の元気の良さにボクはついてゆけない。
ボクの好みは、<長時間聴きこんでも疲れない音>である。ヴィンテージもののMarantz7と8Bは、聞きこむうちに引き込まれるような艶のある音に変化する。円熟した大人の色気とでもいいたいような・・・。
 
しかし、開店以来7年間使い続けたMarantz7と8Bは相次いで音質劣化が激しくなってしまった。1970年代後半のものだから、40年近いヴィンテージである。部品の劣化は限界状態なのだろう。
それでやむなく、最近はLUXMAN  CL35MKⅢのプリアンプと、300Bパワーアンプに切り替えていた。一聴すると透明感のある高音と低域の馬力には驚かされるが、ボクには長年愛聴してきたMarantzの音に慣れてしまって、若い新しい恋人の躍動感についてゆけないのだ。
 
国立真空管アンプ会員のOさんに原因調査を依頼したところ、Marantz7,8Bともに真空管のプレートに電気を送るB電源の平滑コンデンサが経年劣化し、脈流電流(リプル)が流れだすことに起因すると診断された。
そこで、ひと月前に8Bの平滑コンデンサは取り換え、正常に戻された。その後、7はOさん宅に入院し、やはり左右の音の不均衡と、歪む原因は平滑コンデンサのリプルによると確認された。
 
昨日は、Oさんと秋葉原電気街で部品購入を行う。残暑と言うには厳しい日差しで蒸し暑い日だった。この際だから、B電源だけじゃなく、A電源用のコンデンサも交換することになった。部品代は,約1万5千円。
これで、Marantz7は元気を取り戻してくれるはずだとOさんが太鼓判を押してくれた。
入院中のO邸での回復手術が終われば、Marantz7は原隊復帰を果たすだろう。今から楽しみである。

↑このページのトップヘ