団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2015年10月

びっくりポンや
 
NHKの朝の連続ドラマ<朝がきた>が面白い。
配役もいいし、素材も原作(「土佐堀川」古川智映子著原案)も素晴らしい。主人公の波瑠は1991617日生まれの23歳、東京都出身。身長164cmO型。美人で明るくってボク好みである。
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内容は、Y-TUBE NHKの見どころ紹介 をご覧ください。
 
脇を固める俳優もいい。宮崎やよい。寺島しのぶ。林与一、近藤正臣、風吹ジュン、辰巳琢朗、萬田久子、木村佳乃らが固めている。最近のNHKとしてはかなり力を入れた配役だ。
 
主人公の波瑠は、実在の人物で、その名は、広岡 浅子。
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少し長くなりますが、ウイキベディアをそのまま引用して広岡 浅子を紹介します。
 
日本の実業家、教育者、社会運動家。ペンネームは九転十起生(きゅうてんじっきせい)。明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた
山城国京都(現・京都府京都市)・油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる。幼名は照。幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、四書五経の素読など学問に強い興味を持つが、「女に教育は不要」という当時の商家の慣習は固く、家人から読書を禁じられる9歳で父親が没し、35歳の高喜が家長となる。

17歳で鴻池善右衛門と並ぶ大坂豪商であった第8加島屋久右衛門正饒(まさあつ)の次男・広岡信五郎と結婚。嫁いだ後も、主人は手代に任せて業務に関与しない商家の風習に疑問と限界を感じ、簿記算術などを独学するようになる
1884年(明治17年)ごろから炭鉱事業に参画し、筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収して、開発に着手。その際、単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。このように男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、狂気扱いされたこともたびたびであったという。

1888(明治21年)に加島銀行を設立。続いて1902(明治35年)に大同生命創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として、大阪の有力な財閥となる。これらの活躍により、広岡浅子は鈴木米(鈴木商店)、峰島喜代子(尾張屋銀行)らとともに、明治の代表的な女性実業家としてその名を馳せる。

<日本女子大学校の設立に尽力>
1896(明治29年)、梅花女学校の校長であった成瀬仁蔵の訪問を受け、成瀬の著書である『女子教育論』を手渡される。幼い頃に学問を禁じられた体験を持つ浅子は、『女子教育論』で成瀬の説く女子高等教育機関設立の考えに大いに共鳴し、金銭の寄付のみならず、成瀬と行動を共にして政財界の有力者に協力を呼びかけるなど、強力な援助者となる。また広岡家は固より、実家の三井家一門にも働きかけ、三井家から目白台の土地を寄付させるに至り、1901(明治34年)の日本女子大学校(現・日本女子大学)設立に導く。
日本女子大学設立後も浅子の女子教育に対する情熱は衰えることがなく、1914(大正3年)から死の前年(1918)までの毎夏、避暑地として別荘を建設した御殿場・二の岡で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝村岡花子らがいた。

ともかくも明治の黎明期に、こんな女傑が生まれた日本があったなんて、ボクにとって、びっくりポンである。

辺野古移転問題
 
政府は沖縄県の民意の反対を押し切って名護市辺野古移転の強制着工に踏み切った。政府の行動は、地方自治の精神を全く踏みにじり、国家による代執行の強権発動以外の何物でもない。
地方創生とか言いながら、地方の意思より国家の意思を優先させる暴挙なのか?それとも国益に叶う安倍晋三の政治力と賞賛すべきなのか?
 
移転の大義名分は、宜野湾市普天間基地の危険性を排除するとともに、普天間基地を返還し、市街地再開発を進めるとともに、辺鄙な北部開発を促進させる一石二鳥の策にも思えた。
しかしそれではトータルとしての沖縄の基地負担の重さが軽減されるわけではなく、沖縄県民の過半数は、沖縄を再び本土の犠牲にされてたまるか!!と怒っているのだ。第二次世界大戦で、唯一米軍の上陸を許し,全島が戦場と化した。巻き込まれて戦死した民間人は10万人にも上る。そしてその戦後占領体制が今でも沖縄に重くのしかかっている。沖縄本島の18%が米軍基地で占められている。
そういった背景が原因となって、普天間移転問題は19年間も着工が遅れに遅れて来た。
 
安倍晋三の国家論では、膨張する中国から日本を防衛するために前線基地として沖縄米軍基地の存続は不可欠である。この抑止力がなくなれば、南沙諸島同様に中国は武力をもって尖閣列島を占有し、その勢いで、歴史的に沖縄も中国の領土だったと言いがかりをつけるに違いない。そんな潜在的な脅威を感じている。
ここは、沖縄県民の反対を押し切ってでも、基地移転を断行し、負担軽減の代償に、沖縄振興策の充実をもって補おう。と考えているようだ。
 
安倍晋三に言わせると、こじれた原因は民主党政権にあると言い続けるだろう。あの宇宙人の鳩山由紀夫が【最低でも県外】と言った瞬間から、沖縄県民は目覚めてしまった。せっかく沈静化し、名護市も受け入れるまで説得していたのを反対に豹変させた元凶は鳩山由紀夫と民主党にある。事実、民主党支持のボクだって、あの宇宙人の言動には今でも腹が立つ。
 
ところで観点を変えて、アメリカ海兵隊が沖縄に駐留する意味があるのか?を考えてみたい。
海兵隊の任務は、緊急展開部隊として、戦争勃発時に素早く上陸行動を起こし、敵地奪還を図る遠征機動部隊である。沖縄に常駐して陣地を護る役割ではない。
カルフォルニア・サンジェゴに指令部を置く太平洋海兵隊に属する第3遠征海兵隊(3rd Marine Expeditionary Forceが沖縄県いるま市にベースキャンプを設置し駐留している。岩国にも海兵隊基地が常駐されている。米国の海兵隊で海外に指令部を置くのは日本だけである。彼らの任務は日本を防衛することが主務ではなく、広く韓国から太平洋一帯の友好国が攻撃された際の機動部隊である。日本に駐留している海兵隊は約1万5千人と言われる。
 
つまり、海兵隊の任務を考えると、日本領土内に駐留しなければならぬ理由はない。太平洋にあって、グアムで睨みを利かせ、いざと言うときの機動力を発揮できれば、沖縄普天間の代替は可能である。
万が一に尖閣に中国海軍が奇襲してきたとしたら、防衛責任は日本の自衛隊にある。日本の要請に基づき、第7艦隊が出動し、グアムから海兵隊の機動部隊が出動する。そんなシュミレーションを日々実践訓練しておけば、沖縄に海兵隊が常駐する必然性はないのではないか?
 
既存の基地有りきが前提ではなく、どうやって日本国土を防衛するのか?洗い直す戦略の中で、沖縄の米軍基地を考え直す時期ではないだろうか?

日本人と朝鮮人 その4 みんな混血
 
日韓関係のこじれた現象は、いわば近親憎悪に近い感情である。同じ歴史的事実であっても、立場が変われば見方も変わる。そこに価値観が加わる以上は歴史認識の一致などは未来永劫にあり得ない。
そのこじれた原因は、安倍晋三の平和法案が立場を替えれば戦争法案と映るよりも複雑だ。それを悪意に満ちた偏見と決めつける単細胞では、日韓関係など改善するのは不可能だろう。
 
日韓併合が悪の根源だとする認識と、日韓併合は朝鮮人民を救済した善政だとする認識とでは、歩み寄りの余地さえない。
日本会議や櫻井よしこなどが日本善政論の代表格である。むろん安倍晋三や多くの自民党代議士はこの風潮に感染している。彼ら日本が朝鮮半島に善政を施したと考えるものは、米国の日本の占領政策と憲法を押し付けだとはねのけ、自主憲法論を展開する。面白い現象である。
日本が朝鮮半島に近代化をもたらしたと評価するなら、米国が日本に真の民主主義をもたらしたと評価するのがバランスの取れた見方だと思うが・・・

一方で、日韓迎合を悪と考えるものは、戦後のアメリカ駐留政策と憲法は日本を民主主義国家に開放した善政だと理解している。
これを一言で言えば、自虐史観(左派的思考)と優越史観(右派的思考)とでも分類できるのではないか。そして両者はお互いを度し難いバカだと思い込んでいる。
 
日本人の朝鮮人蔑視意識は、今は嫌韓感情に変化しているようだ。同様に中国や韓国での反日感情は国家によるナショナリズム昂揚政策に起因している。政治的にいつまでも日本の古傷に塩を擦りつける行為は戦後70年たった今日でも止まらない。
ボクなどは、正直なところ、もういいんでないの?とうんざりである。戦後の日本は韓国の復興に大いに協力してきたし、今さら日韓併合時代が善政であれ、悪政であれ、終わったことじゃないかと思うのだ。仲良くしたらいい。
 
日本の文化の中には、多くの朝鮮からもたらされた文化的遺産が残されている。古くは飛鳥大仏の時代にさかのぼる。宮中に残される伎楽だって源流は朝鮮半島経由である。桓武天皇の母親・高野新笠は、父は和乙継、母は土師真妹。父方のと)百済武寧王の子孫を称する渡来系氏族で。現在の天理市一帯に入植した。皇室自ら朝鮮系の血筋が混じっていることを認めている。
 
日本民族の優越性を誇るなら、色濃く朝鮮文化と民族を受け入れてきた歴史的事実をどう評価するのだろうか?かといって自虐することでもないが、反省なくして進歩はない。

日本人と朝鮮人 その2 お天道様は見ている
 
放火殺人罪で無期懲役を受けた男女が、20年ぶりに釈放された。女は日本人、男は在日朝鮮人である。
釈放された理由は、唯一の物的証拠とされた現場検証が、実験により覆されたからだ。残る証拠は自白のみである。
 
日本の法律では<疑わしきは罰せず>と言う大原則がある。この言葉とは、ラテン語<indubio pro reo)の直訳だから、刑法の概念としての起源は相当古い時代に遡るのだろう。これは日本の刑事訴訟法336条に導入されていて、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、刑罰を科せられない。」と言う憲法38条の原則を受けたものだ。
 
事件のあらましはこう報じられている。
火災は平成7年7月22日に2人の自宅で発生。青木さんの長女少額6年生が死亡した。保険金目当ての放火殺人だったとして2人が逮捕・起訴され、18年に無期懲役が確定した。2人は21年にそれぞれ大阪地裁に再審請求。24年3月に地裁が再審開始を決定した。検察側が即時抗告していたが、23日の大阪高裁決定で再審開始が認められた母親の青木恵子元被告(51)と内縁の夫だった朴龍晧(ぼくたつひろ)元被告(49)が26日午後、刑の執行を停止され、同年9月の逮捕以来約20年ぶりに収監先の和歌山刑務所と大分刑務所からそれぞれ釈放された。>
 
現在では報道されていないが、亡くなった娘には、小学3年生のころに死亡保険金が1500万円掛けられていた。事件の4か月前には3年生の長男にも2千万円の生命保険が掛けられていた。しかし犯行時は契約から1年未満なので息子を殺せば疑惑が生じる恐れがある。それで保険会社に疑惑がもたれないように3年過ぎた長女がターゲットにされたと検察は睨んだ。
恵子元被告は、疑われるに足る動機はあった。事件当時にカードローンの返済が400万円も抱えていた上に、4千万円のマンション購入の契約金170万円の支払い期日が迫っていた。多額なローンがありながら、小学生の子供たちに生命保険を掛けるのも何か腑に落ちない。
また、内縁の夫・朴龍晧元被告は、亡くなった連れ子に強姦と性的暴行を加えていたと法廷で自白している。死亡解剖の結果から亡くなった娘に元被告の体液が残されていたそうだ。
家庭環境はかなり複雑で、検察が疑うに足る共同正犯による放火殺人の動機と状況は十分に備えていた。車のガソリンが漏れて風呂に引火したという状況も不自然だ。今の車はそう簡単にガソリンなど漏れない構造だからだ。
 
検察は、任意同行の初期段階で被告自ら放火したとの自白を引き出し、ガソリン引火の現場検証を証拠として無期懲役を勝ち取った。決して長引く拘置の末に自白を強要したものではないという。最高裁まで争われたこの事件は、上記のような状況から、裁判関係者は元被告らの犯行だと心証を強く持ってしまった。まさか冤罪事件だと20年後に騒がれるとは夢にも思わなかっただろう。
 
ところが、弁護団は現場再現実験から被告が放火したとするならやけども追わずに現場から逃走することは不可能だ。と反証して見せた。この唯一の証拠が疑わしいとなれば、裁判官は<疑わしきは罰せず>の大原則に立ち戻らざるを得ない。心証をもって罰することはできないのだ。
 
借金があった。カネに困っていた。子供に多額の保険金を掛けていた。児童虐待があった。これらは犯行の動機付けにはなったが、証拠ではない。動機が十分でも犯行の証拠がない以上は有罪の決め手にはならない。
事件は歳月とともに風化するに従い、これらの心証を害する内容は報道されなくなっていった。そして唯一の証拠である放火された実証の信ぴょう性だけが有罪か無罪かを決める焦点となっていく。
 
この事件の場合、今となっては無罪か有罪かは神のみぞ知る話である。憲法と刑法の原則からは、ほかに有力な証拠がない限り、人間社会のオキテでは無罪とするしかない。20年も刑務所に拘留されていたのだから、今さら事件を蒸し返す材料も出て来ないだろう。
事件は事故であったという結論になる。つまり保険金殺人を疑うに足る十分な動機はあったが、偶然に車のガソリンに引火する自然発火事故が重なり、警察と検察の思い込みが自白に導いたのだと・・・・
 
ではなぜ20年前に最高裁まで争って無期懲役の判決を受けたのか?
今となっては安易な現場検証の結果と警察のずさんな捜査を責めるしかあるまい。なぜ状況証拠を実地検証で地道に固めなかったのか?
日本人と朝鮮人…そんな心証を害する差別意識があったのではないか?カギはそのあたりにありそうな気もする。哀れなのは亡くなった子供である。合掌

日本人と朝鮮人
 
店の常連さんに北朝鮮籍のFさんがいる。タバコ好きで、音楽好きな大男である。人柄は、容姿に似合わず、すこぶる優しい方だ。と言ってもFさんは怒らないだろう。若い時はブルースを歌っていたとかで声はドスが効いてべらぼうに大きい。内装業を営むボスとのことで、騒々しい現場で若い衆に指示するうちに自然と声がでかくなったのかもしれない。
 
そのFさんをボクはブンちゃんと呼んでいる。昨日はブンちゃん以外にお客様がいなかったので、軽い政治談議となってしまった。ブンちゃんは、中国経済が悪化しており、苦境を脱するために中国は戦争を仕掛けるのではないかと心配している。
 
ボクはこう思う。
中国が直接日本に手を出せばアメリカが黙ってはいないだろう。極東最大の沖縄基地を放棄してグァムに引き上げるとは考えられないからだ。日本列島はアメリカの防波堤だから、日本のためじゃなくって、アメリカ防衛のための聖戦なのだ。
そのうえに戦争は最大の消耗戦だから、中国がやるとすれば,日本を標的にするには失うリスクが大きすぎるので、朝鮮半島で代理戦争を行うのではないか?さすれば中国は表に出ることなく、大量の武器を供給することができ、緊張感を高めて国内の不満分子を戦地に送り込んで始末する口実にもなる。一石二鳥だからね。・・・
 
それにアメリカだって直接中国と戦争する気はないだろう。覇権争いなら、朝鮮戦争くらいで収めたいはずだ。今の北朝鮮の異常さは中国・アメリカにとっても目障りに違いない。まともな国にするには金王朝を消滅させるしかない。北朝鮮の悪政に苦しむ民衆を救済することは両者にとって大義名分となる。
貯まった武器弾薬が適当にさばけて、米中が戦争需要でしこたま儲かれば、金王朝を内部崩壊させて手打ちとなるだろう。金王朝を消滅させ、朝鮮半島を安定化させることが、結果的に中国とアメリカの両大国の和解・鉾の収めどころになるのではないか?さすれば、朝鮮半島和平の正義の使者の名誉を米中は手にすることができる。要は、米中のマッチ・ポンプ(放火魔の消防士)かな?
 
朝鮮人同士の内乱は5世紀までの三韓(馬韓・弁韓・辰韓)に始まり、7世紀にかけての三国時代(新羅・高句麗・百済)へと続く。その後も高麗が朝鮮半島を統一するがモンゴル帝国(元)の属国となり、高麗に代わる李朝も中国の冊封体制下に置かれた。
日清戦争で日本が勝利し、李王朝は中国の属国から解かれたが、清国に代わって。1910年8月、日韓併合により日本の領土に編入されてしまった。
 
朝鮮半島は、15世の豊臣秀吉の侵攻を今でも恨んでいるようだが、長い歴史の中では、中国の属国であった時代がはるかに長く、朝鮮民族にとっては屈辱的な大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)をソウル郊外に立てさせられる始末であった。
だが中国を君主と仰ぎ、朝貢することで、朝鮮の独立は保たれた。朝鮮半島は長らく中国の支配下に属する王国として曲りなりにも独立国の形態は日清戦争まで保たれていた。
しかし日本は、完璧に朝鮮の国家体制を否定し。朝鮮民族の独立をはく奪し、氏名までも日本風に改名することを強要した。更にはハングル文字教育を日本語文字教育へと変換させた。そして朝鮮人を下等な二等日本人と格付けしたのだ。そこに朝鮮民族が日本を恨む根源が存在する。
 
ブンちゃんは、三井・住友・旭化成の杭打ち偽装事件と重ね合わせ、日本人っていつも責任をアイマイにするんですね。とつぶやいた。
確かに今回の杭打ち偽装だって、朝鮮半島の併合だって、相当な極悪非道な事件である。アイマイで善良そうな日本人が強烈なイタチッ屁を放ったようなもんだ。それなのに臭い屁を放った責任も反省もしない。
電車の中でこんな奴がいたのを覚えている。周囲の日本人はおれじゃない、私じゃないと知らん顔で、顔をしかめるだけだった。むろんやった本人は平然と謝りもしない。
ブンちゃんとの会話はまだまだ続いたが、今日はこのくらいにしよう。

キム・ヨンジュ  イムジン河

坂崎幸之助  イムジン河

(^^♪ 誰が~祖国を~ふたつに分けてしまったの・・・


北海道優雅な旅
 
利尻・礼文島に続いて今年2回目の北海道旅行から戻りました。
昨夜から北海道は雪模様に変わりましたが、幸いにも好天に恵まれ、今年最後となる晩秋の北海道を楽しんできました。今日の帯広は雪模様みたいです。
今回の旅行はクラブツーリズムの【5つ星の宿・北海道温質自慢の宿に泊まる優雅な休日3日間】と題する企画で、慌てず・のんびり・ゆったり温泉三昧の2泊3日でした。
 
10月22日は羽田発11時の新千歳行ANA61便787-300の500人以上乗る大型機でした。出発まで時間があるので5階のターミナルロビーで珈琲を飲んでいたら、尾翼に日の丸のジャンボ政府専用機型が飛び立っていきます。たまたまボクの嫌いな安倍晋三クンが中央アジア外遊の旅に飛び立ったのでした。このあと数分して2機目の補助機も飛び立ち、2機がつるんで外遊するんだと初めて知りました。外遊ってカネ食い虫のうえに、カネをばらまいてくるんだから、どこの国でも大歓迎。専用機は特別仕立てだから豪華そのもの。ゆった優雅な旅です。安倍晋三クンが外遊好きなのはわかる気がします。
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今回の旅行は温泉が目的なので有名な観光地には立ち寄りません。今日の目的地は登別温泉。途中立ちよりの一カ所目は、千歳川のシャケの捕獲場見学。川幅一杯に堰をもうけ、魚道を遡るシャケを水車の漁具で掬い取る簡単な仕掛けで、哀れにも人工ふ化のために、シャケはここで一生を閉じることになります。
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車は苫小牧東部のウトナイ湖に。渡り鳥の越冬中継地だそうです。白鳥の飛来には少し早かったみたいですが、ここに通年住みついてしまった白鳥が数羽いて。観光のために餌付けしたんじゃないかと勘繰った次第です。
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3時半には登別温泉到着。お宿は登別グランドホテル。夕飯の目玉は、ズワイ・タラバ蟹の食べ放題。温泉は硫黄泉・鉄泉・塩化泉の3種類がかけ流しで楽しめました。食事も温泉も大満足でした。
夕食まで時間があるので、徒歩10分ほどの登別地獄谷を見学。幕末に南部藩が火薬の原料に硫黄を採取したんだそうです。温泉好きの私には念願叶う名湯でした。カラスが大合唱なのは不気味な感じを盛りたてていました。
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翌日は新千歳から帯広まで特急スーパ―十勝3号の列車旅。車中で一杯やりながら昼食です。車窓から十勝平野の牧場が見えたりしますが、大半は山の中でした。
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帯広の六花亭本店で買い物をして宿入り。3時過ぎには、国内唯一のモール温泉自慢の十勝川温泉に。お宿は十勝川河畔の観月苑。食事の目玉は十勝牛のローストビーフの食べ放題。
観光協会の温泉紹介では、<数百万年前、十勝平野は大きな内湾で、周辺には湿原が存在し泥炭が堆積していました。その泥炭が変化したものが亜炭で、平野の地下深くの亜炭を含む地層からわきでるのが十勝川温泉(モール温泉)です。植物性の有機物を多く含み、琥珀色をもつアルカリ性単純泉~弱食塩泉です。帯広市街など平野中心部の地下1,000mより深い所からわき出る温泉の泉温が50℃前後であるのに対して、十勝川温泉では地下500700mからわき出るもの5560℃と、より高温となっています。>効能は美肌ツルツルになると。
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帰りに、廃線となった【幸福駅】に立ち寄りました。北海道はいまや車社会。廃線はやむを得ないのでしょうが、開拓時代の昔は、モクモクと黒煙を発して快走する蒸気機関車と道産子馬だけが頼りの時代だったんだと、ここにきて理解できました。幸福の由来は、もともとはアイヌ語のサツナイを明治に<幸震】と当て字したそうですが、福井からの移住者が多かったので、幸福と改名したのだそうです。
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汽車は、愛国駅に停車している蒸気機関車9600型。愛称はデカグロ。大正7年3月28日に川崎造船所で製造された870馬力、最大時速65キロで昭和50年5月4日まで頑張っていたそうです。高倉健の駅長が立ってそうな駅でした。
 
芹ようこ 愛の国から幸福へ

維新騒動の真相

アヤツのことはあまり語りたくない。
石原慎太郎じゃないが、稀有の政治家になるのではないかと、アヤツのことをデヴュー当時は期待したことも有ったからである。その男は、山本太郎ほどのバカではないものの、その行動の唐突さと変節漢ぶりは負けず劣らず、どっちもどっち。甲乙つけがたい。どっちを選ぶかと究極の選択を迫られれば・・ウムーと唸って橋下徹と書くかもしれない。

その橋下は、維新の看板を巡って泥沼の闘争に入っている。ことの真相は看板だけじゃなくって、軍資金をどう分捕るかの血なまぐさい争いなのだ。
一昨日、橋下徹は奇策に転じた。奴のブログ曰く<規約に基づき24日に開く維新の党の「臨時党大会」で同党の解党を決議し、政党交付金の国庫への返納を目指すと表明>したのだ。
これだけ読むと、オレはカネにキレイな男だ。政党助成金は解党して国庫に返上すると大見得を切り、維新の旗を乗っ取った松野頼久ら国会議員団をカネの亡者と印象付ける高等戦術に出たのだ。つまり大阪維新を立ち上げるのはカネのためではなく、大義なのだと庶民に見せかける大博打の手法である。アヤツのこういった小気味よさが、大衆の心を掴むのだろう。
 
ところが、松野によると、政党助成金が振り込まれる預金通帳と判子は大阪維新側が抑えていて、松野が返せと言っても返さないのだそうだ。なんてことはない。現状ではせっかく懐に収めた政党助成金を双方とも睨み合って使うことができず、金縛りにあっているわけだ。それで橋下徹は、分党に応じなければ抑えている預金通帳を国庫に返納するぞと恫喝の手に出た訳だ。松野頼久のようなチンピラ政治家に舐められてたまるか・・と橋下徹の闘争心が鎌首をもたげたのだ。

こうなると元も子もいない。松野以下国会議員団は持参金をもって民主党に合流する目論見が外れ、民主党内ででかいツラができなくなる。ALL OR NOTHINGでは困るから、どこかで手打ちをすることになるだろう。天性のマキャベリスト橋下徹の考えそうなことである。
 
それによしんば、交渉が決裂しても、橋下徹は助成金を国庫に返納した男との名声が残る。その上に、大嫌いな民主党に軍資金が流れるのを阻止できるから、盟友・安倍晋三に恩が売れる。一石二鳥の奇策である。橋下徹の国家論は安倍晋三以上の右翼国家主義者である。大阪維新と名付けても、実態は自民党の大阪翼賛会<新撰組>である。安倍晋三に恩さえ売っておけば、政治軍用金なんていくらでも大阪商人からかき集められるのだ。

だが、こういった大衆受けする奇策を橋本徹が常とう手段に使うようになって、ボクはコイツの本心を疑うようになっていった。橋下徹は、常々<独裁じゃあないと国は変えられない>と公言してはばからない。

あゝ新撰組/三橋美智也
 
 

立教大法学部E組クラス会
 
卒業40年目から始めたクラス会も5回目となった。ボクらは大学闘争(紛争)さ中の1970年に卒業し、現役組が67歳。浪人組は70歳を迎えようとしている。
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5年前の初回は、40年ぶりで、浦島太郎のような戸惑いもあったが、5回目となれば違和感もなくなり、すぐに昔の学生時代の気分に戻るのは不思議である。それに見慣れたせいか、年々同期の顔が若返って見えてくる。かすかに残る面影から、昔の縁(よすが)が蘇ってくるのだろうか?
 
このクラスは、第二外国語にドイツ語を選択した仲間たちで、数少ない女学生を分散させず、まとめてクラス編成したため、ボクは6名の女学生とクラスメートになることができた。法学部は500名近い人数だったと思うが、女子は10数名。同じクラスに女学生がいたのは、ぼくらのE組と、フランス語を選択した1クラスだけだったようだ。ボクは幸運な大学生だったのである。フランス語を選択した女学生は派手派手しく見え、ドイツ語を選択した女学生は総じて真面目で頭がよさそうに思えた。
 
 
我がもの顔でにぎやかだったのは、付属高校から来た連中である。だが今でもクラス会ができるのは、彼らが核となって企画してくれるおかげである。
しかし当時は、受験勉強もせず入学できた彼らにボクは、溶け込むことが出来ず、疎外感を感じる毎日だった。根っからの立教ボーイは、徒党を組んで女学生にアタックしたので親交が深まったようだ。
 
そんな中で、彼らの群れからはじき出され、運動部でもないのに、アイビールックとは無縁の学生服姿のダサイ数人が、突然の休講があると喫茶店か雀荘に誘うようになっていった。ボクら晩熟(おくて)の数人には、女学生は高値の花だった。指を咥えて見ているだけで、お近づきになることもなく、40年を過ぎた今やっと対等な会話ができる状態になれたようだ。
 
クラスの席順がABCだったか、アイウエオ順だったか覚えていないが、たまたまSの苗字に二人の女学生がいたので教科書を持ち忘れた際にはのぞき見させていただいた記憶が残る。期末試験の際に頼りになるのは、この女学生たちである。中に要領のよい娘がいて、ノートの写しを実費で分けてくれた。日ごろは付き合いもないのだが、この時ばかりは背に腹は代えられず、Sさんたちにすり寄っておこぼれをいただくことができた。当時、クラスメートの女学生と比較的親し気に会話した記憶は、二人のSさんくらいだった。あのころ喫茶店にでも誘っておけばよかったと今にして思う。昨日は置き忘れた青春時代が蘇る楽しい一夜だった。
 
森田公一とトップギャラン 青春時代
ガロ 学生街の喫茶店

 立教大学 鈴懸の道
 

LeakTL25 Plus の魅力

 

LEAKTL12 POINT ONEと言えば1948年にイギリスで発売され、当時世界最高のオーディオアンプと称賛された製品である。その後、TL/10,TL/25, TL/12-Plus, TL/25-Plus, TL/50-Plus, Stereo 20, Stereo 50 tereo60.とシリーズ化され、イギリスBBC放送局用に採用される標準モデルとされていた。

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ボクの所有するモデルは、その2号機とも言えるTL/25-Plus。1950年代後半のモデルと思われる。長らく店に展示していたが鳴らすことはほとんどなかった。だが英国製HarbethHL Compactスピーカーをどうしてもイギリスのアンプで聴いてみたい衝動に駆られ再稼働させてみた。

 
このアンプの仕様は次の通り。
Power output: 28W into 8Ω (mono)×2
Frequency response: 20Hz to 20kHz
Total harmonic distortion: 0.1%
Damping factor: 25
Gain: 10 dB
Signal to noise ratio: 80dB
Speaker load impedance: 4Ω to 16Ω

Valve complement: 2 x EL34, 2 xECC81, 1 x EF86, 1 x GZ34

Dimensions: 254 x 200 x 170mm
Weight: 7.88kg
メインの出力管は、KT66EL34 5881、WE350Bなど6L6系のビーム管ならどれでも差し替え可能である。そこで互換性のある英国製 WE CV1947を今回は試すことにした。球を変えて音色の変化が楽しめるのがこのアンプの特徴かもしれない。
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また、このアンプは真空管アンプの世界では知らない人はいない有名な"WilliamsonAmplifier"の原型となったモデルである。D.T.N. Williamsonが英国のワイヤレス・ワールド誌にアンプ設計記事を掲載したのは19474月号のことだった。くしくもボクの誕生と同時である。D.T.N. Williamsonは、リークTL12をモデルに改良し"WilliamsonAmplifier"と名付けた。

ともかくも真空管アンプでは、歴史的な名アンプであることに間違いない。アンプを裏返すと底蓋が無い。放送局用モデルなので、故障の際にすぐ部品が交換できるように蓋が無いのだ。トランスはパートリッジ社製である。
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ところで肝心な音だが、ビーム管独特の馬力のある音色だ。
同じ英国製真空管アンプでもQUADⅡは、淑女の気高さをもつ柔らかな音色だが、LEAL TL25は、バグパイプ海軍鼓笛隊の生音を聴くような艶やかで張のある音である。何より太鼓の響きが力強い。
バグパイプ行進曲
 
ハーベスの小型スピーカーから、<オレの音もまんざらではないだろう!!>と勝ち誇ったような響きが再生された。大型スピーカーのタンノイも、ロンドンの曇り空が晴れ渡ったように、抜けの良い力強い音に生まれ変わる。
 
しばらくは、このアンプとマランツ8bを日替わりに入れ替えて聴いてみるつもりです。たぶんLeak TL25 Plusの音が聴ける音楽喫茶は他にないのではと。

オーディオ雑談
 
オーディオ用品と名がつくと、同じ製品でも数倍の値段がつけられ、マニアは値が高いものほどありがたがって購入するものだ。
たとえば、オーディオ用のテーブルタップなどは医療業務用と同じで、秋葉原のコンセント専門店で医療用コンセントなら10分の1の値段で購入できる。レコードクリーニンブ液も同様である。成分は蒸留水と無水アルコール。それがオーディオと名がつくと途端に高くなる。
 
古いレコードの大敵は、盤面の溝に入り込んだホコリである。レコードクリーナーを数滴たらしたくらいではびくともしない。ボクはひどい盤は食器用中性洗剤を付け、溝に沿って指でさするように洗ってやる。すると垢が剥けるように指先にホコリがポロポロ落ちてくるのがわかる。石鹸水は水道水を濾過したクリン水をジャブジャブ使って洗い流す。水に漬けることはしない。レーベルの紙を痛めるからだ。水気をよく払い、テッシュで拭いて終わり。乾燥したら新しい内袋に収める。
それでもだめなら、強アルカリ水で二度洗い。これでダメなら諦める。ぱちぱちした音は洗浄した後で,2・3度針を落としてやれば、レコード針が溝にこびりついた微細なホコリを掃き出してくれる。
レコード盤に傷や反りがない限り、だいたいこれで古いレコードでも再生可能だ。カビもだいたいはこれで落ちる。
 
実は昨日、オーディオ用品で散在してしまった。香水瓶より小さな容器の接点復活剤に3千円も払ってしまった。秋葉原の電気店なら数10倍の容量のスプレー式接点復活剤が千円で買えるのに・・・
ビックカメラのオーディオ売り場で接点復活剤を頼んだところ、2CCの容器に入った接点改良剤が定価3600円。それが3000円だと言う。オーディオ売り場にはそれしか置いてないというのだ。買うのを諦めようかと思ったのだが、秋葉原の往復運賃を考えると・・それで買ってしまった。
内容液はスクワランオイルにカーボンの超微粒伝導粒子が混じったものだ。ピンジャックや真空管のピンに薄すーく塗って、接点部の凹凸を超微粒伝導粒子が埋め、導通面積を拡大してくれる。その結果、ガリガリする音や、接点不良に伴うノイズが消えるという効能である。スクワランオイルは深海サメの肝油である。
 
困ったことに最近、プリアンプのヴォリュームを上げると、かすかだがボソボソ・バリバリ音が出る。曲間の無音状態になるとこれが気になってしょうがない。原因はいくつか考えられるが、真空管端子の接点不良ではないかと狙いを定めた。マランツ7の6本のX7を1本づつ抜き、軽く接点復活剤を塗布し綿棒でピンを拭いてやった。
その結果は、大音量で音出ししても気にならなくなった。気のせいか高音部の音に艶が出て心地よい。音の残響感もよくなった。
 
次に、片チャンネルからしか音が出なくなったオルトフォンSPUのカートリッジの接点をこれで磨いてみた。なんと…両チャンネルから正常に音が出てきたのだ。
 
オーディオは、様々な箇所がピンジャックによる電気的接続が行われていて、この接点不良により、雑音が生じたり、音が出なかったり、音がひずんだりすることが多い。高い機材だから、3千円で伝導性がよくなり音がよくなるなら儲けものかもしれない。

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