団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2015年09月

浜の真砂は尽きるとも・・・世にオーディオの種は尽きまじ・・
 
欲望の泉が尽きた時は人生の終焉かもしれない。ものを整理して捨てる年代になったというのに、この男の欲望はますます衰えることがない。
一昨日の日曜日だった。常連のお客さんとオーディオ談義をしていたら、奇しくもその方も、あるスピーカーの音が忘れられないと意見が一致した。それは、イギリスのHARBETH HL-Compact というモニタースピーカーである。

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ボクがこのスピーカーと出会ったのは、1987年、40歳の時だった。オーディオ雑誌で評判だったから、すぐにオーディオ店に飛んで聴いた記憶がある。音を聴いて衝撃的だった。何とも心地よい響きを持った明るく抜けの良い音ではないか。ヴァイオリンの弦の響きと言い、ヴォーカルののびのびした音質と言い、20センチのモニタースピーカーで、こんな自然な音のスピーカーと出会ったことがなかった。容姿端麗・その清々しさと言ったら吉永小百合にも引けを取らない。
 
一目ぼれしたボクであったが、そのころマンションを購入したばかりで、リビングはモデルルーム並みに整理整頓されていた。とてもじゃないが2台目のスピーカーを置くなんてカミサンの許可が出るはずもなかった。
それから、オーディオショップで比較試聴するたびに、ほれぼれするHARBETH HL-Compactの音に恋心はつのるばかりだった。何回か中古の出物と出会ったが、躊躇している間に売れてしまった。
 
そんな話をしていたら、お客さんが、「八王子堀之内のハードオフで、ネットグリルはないけど、いいものがありますよ。私も欲しいんだが、置く場所がなくって・・」
ム・ム・・・ボクの寝ていた恋心がこの言葉でうごめきだしてしまった。ネット・オークションの値段より5割は安い。ともかく・・行って会ってみよう。
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我が家から、堀之内は20キロくらい離れている。車はないし・・天気も良いから、自転車で行っちゃえ!!!多摩川の関戸橋を渡ると、多摩ニュータウン方面に向かって緩やかな登りである。1時間半かかって、その長年の恋人と会うことができた。
箱に傷もないし、外観は新品状態を保っている。保障は3か月ある。店員に聞くと音出し確認はしたそうで、問題があれば返品可能とのこと。それで昨日、ラジオ体操仲間のYさんの車で運び込んだのである。
カミサンはワクワク顔のボクを見て、「なんか、買ったでしょう?」と問い詰める。でかいものを買うときは、いつも後の祭りにしないと成就できないのだ。「これが最後の道楽だから許してね。」って何回云ったことだろう。ともかくも長年の恋人は、タンノイ・Rヨークの上に鎮座することになった。縦に置くと安定感が無いので横置きにした。音場定位も悪くない。

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音は異常なく出ている。状態は悪くないようだ。同じイギリス製なのでタンノイと切り替え試聴を繰り返してみた。
タンノイに比べるとかなり小型だが、20cmコーン型ウーファーとアルミドームの2.5cmドーム型ユニットにバスレフ・ポートが採用されている。外装は、ナチュラル・チーク材。公称再生周波数帯域は、60Hz20kHz±3dBとある。
 
 
それで音だが、昔の彼女の印象がそのままである。スピーカーはそれぞれに個性があって自己主張するものだが、彼女は明るくおおらかで自然体なのだ。腹にドーンとくるような低域は出ない。キラキラした高音がとげとげしいことはない。リビングにおいても邪魔じゃない。それでいて、音量を上げずともバランスの取れた音を醸し出してくれる。
イギリスのスピーカーは箱もまた命である。このスピーカーは、ダドリー・ハーウッドから受け継いだアラン・ショーの初号機と言われる。箱の共鳴を微妙に計算しているのだろう。JBLのようなガチガチのパーチクルボードではなく、、天然オークの張板に胴鳴りの響きを持たせ、それをバスレフ・ポートが適度に響きを開放しているのだろうか?これはスピーカーと言う楽器と考えたほうがよい。
68歳にしてわがものとなったあこがれの彼女である。しばらく、じっくりと愛聴したい。
 
大原麗子じゃないが、すこし愛して、なが~く愛して」
 

オーディオの選び方(6) 究極はアナログ回帰
 
昨日のこと。EAST SIDEの音を気に入ってくれた遠方のお客さんがオーディオ好きの友達を誘って再訪された。2時間近く音を楽しんでくれたが、お一人はジャズ好き。誘われて来店された方は自作オーディオファンである。
 
ボクはいつも通りに、リクエストをお聴きすると、オーディオファンの方は、「私は音楽はよくわからなくって・・お任せします。アンプは○○管を使用したシングルアンプ。スピーカーはすでに廃業した国産のフィールドタイプの20センチを2メートルと1メートルの平面バッフル板のセンターからやや上方に取り付け、8畳の和室を後面解放にして6畳間で試聴している。」のだとおっしゃる。
 
これはオーディオマニアの典型例である。来店されるオーディオマニアは、音を出すまでの過程が楽しくって、出てきた音は二の次。従ってEAST SIDEの音なんて聴いてやしない。オーディオを語りたいために来店されるのだ。
これに類する方々は、他人が出す音なんか興味もなく、自分が創る音が唯一無二である。こんな方々の情報交換・語らいの場として、「国立真空管アンプ同好会」を結成中である。オーディオは聴くのではなく、語るのである。ご興味がある方は、ご連絡ください。
 
オーディオの楽しみとして、音を造ることへのこだわりを否定するつもりはない。だが、オーディオは音楽を楽しむための道具であることを忘れては、本末転倒と言うしかない。音を創って音楽を楽しんでいただきたい。
 
数あるオーディオ製品のうち、どれがベストなのか正解がない世界だ。それで、メーカーの宣伝文句や評論家の美辞麗句に惑わされ、オーディオ遍歴を重ねる夢遊病者も多いのだ。かく言うボクだってEAST SIDEを開業するまでは夢遊病者の一人だった。でも、今では催眠から解かれ覚醒したと思っている。
 
結論を先に言えば、【覚醒できたのは、オーディオを置く環境が整い、それなりに満足できる音を鳴らしてくれた】ことによる。満足ではないが、これ以上の音を創るには本格的な小ホールでも建てない限り無理である。
 
以前にも書いたことがあるが、それを据える部屋の環境で音が激変する。
アメリカ駐在員の時代は、30畳近いリビングルームの石造りの暖炉の両脇にJBLのスピーカーを据え、マッキントッシュの真空管アンプMC75を2台並べて聴いていた。真空管のオリジナルは6550と言う球だが、これを英国のゴールデン・ライオンKT88に換え、すこぶるご機嫌な音を出して鳴ってくれた。
それが日本に戻って、6畳2間続きの社宅に持ち帰った途端・・・見るも無残にあの音は再現できなくなってしまった。その後、マンション住まいとなり16畳のリビングに置かれたが、やはりアメリカ時代の音は再現できなかった。
 
現在のEAST SIDEに移る前は10年間2×4の木造戸建て住宅に住んでいた。専用のオーディオルームは2階の7畳間。根太をダブルで補強して建てたが、やはり音に満足できなかった。本当は1階の15畳のリビングに置きたかったのだが、カミサンの許可が得られなかった。
 
52歳で子会社に左遷されたので暇になり、子会社の東京事務所が秋葉原にあったのを幸いに、昼休みと5時半以降は、ヒノオーディオの地下視聴室の住人となってしまった。社長の日向野(ひがの)さんとは、珈琲の出前を飲みながら、オーディオ談義を繰り返す日々だった。
現在の装置の半分くらいは、日向野さんから購入したものだ。ヒノオーディオは独自のブランドでアンプからスピーカーまで販売し、キットや部品も揃うオーディオ専業店だった。
だが、新品のヒノブランドで気に入ったものはなく、地下の視聴室に持ち込まれるヴィンテージ物しか目に入らなかった。
 
これを7畳のオーディオルームに所狭しと、持ち込んで聴いていたのだが、どれも、ボクの耳に心地よく残るアメリカ時代の音にはならなかった。
結局、今のEAST SIDEでやっと、それに近い音が再現できるようになった。理想とはほど遠いかもしれないが、ボクの持つ財力ではこれが限界だった。
 
そんな経験から、ボクは、音が聴ける環境がない限り、オーディオ遍歴を繰り返してもムダだと悟ったのだ。そこそこのオーディオ装置をお持ちなら、音楽を聴くべきである。
音楽を聴くならアナログLP盤に拘るべきである。別にオリジナル盤に拘らずとも、中古の100円盤でもCDより、はるかに豊かで濃密な音が再現できる。

日本初の女性警察署長 櫻井るゑ子さん
 
我が家は、警察一家である。
父も伯父も従兄弟も、母方を含めると6人が警視庁警察官で人生を過ごした。父が現職の時代は、お客さんと言えば警察官と夜回りの新聞記者くらいのものだった。そんな中で暮らしたから、お巡りさんと言えば、怖いと言うより親近感がわいてくる。
 
夜のパトカーに乗ったのは小学校1年生の時だった。渋谷警察署に父の部下のSさんが交通課にいて、ボクが乗りたいと駄々をこねたら、乗せてくれたのだ。だが乗ってしばらくすると事件が発生した。「こちら警視○○・・渋谷署警視○○応答せよ」「こちら警視○○号、直ちに現場に急行する」かっこいい職業である。
そこでボクは部下のSおじさんとパトカーを降り、東急映画館脇のフランセでチョコレート・パフェをごちそうになった。東郷青児の挿絵の包装紙はシャレていて、Sおじさんはいつもケーキの土産を持参してくれた。
ボクのオヤジは面倒見がよく、10人近い仲人を務めたから、若いオマワリさんで、いつもにぎやかだった。Sおじさんもその一人だった。Sさんは、当時超有名な新国劇創始者【澤正】の息子だったから、親譲りの端正な顔立ちだった。役者にならなかったのは、白バイ隊員になることが夢だったとかで、白バイ姿は月光仮面を見るようでカッコよかった。Sさんはボクを「お坊ちゃん」と呼んでいた。後にも先にも、ボクを「お坊ちゃん」と呼んでくれたのはSさんだけだった。ほかは「まあ坊」と呼び捨てだった。
正月ともなると3が日は来客が絶えず、8畳と6畳の間は宴会場兼雀荘となった。
 
父が水上警察(現東京湾岸警察)署長だったころ、ボクは小学6年生だった。毎週日曜日には、隅田川と新川の合流点にあった署長公舎から、署長艇の【みやこ】に乗船し、第三台場あたりで釣り三昧の日々であった。だが署長艇で釣りもマズイと思ったのか、隣の検潮所を護るおじいさん所有のチャカ船で行くことになった。しかし署長が水難事故ではシャレにもならない。【みやこ】が遠く離れて警備に付いてきたのを覚えている。今だったら、公私混同で即クビだろう。
 
公舎の電話は警察電話しか引かれていなかったので、ダイヤルはなくハンドルをグルグル回すと、水上警察の交換台が出る仕組だった。そこで交換台のお嬢さんに、「すいませんが、来客なので五目そば4つとラーメン3つ頼んでちょうだい」と母が電話する。来客があるとボクらもラーメンにありつけた。そばなら来客は天ぷらそばだが、ボクらはタヌキかキツネだった。
 
水上警察の艇庫は。佃の渡し場(現在の佃大橋)の近所の明石町にあって、自転車でよく遊びに行ったものだ。オヤジの転勤続きでボクは友達もいなかった。それで艇庫で整備中の警備艇に乗船させてもらい遊んでいたのだ。隅田川の渡し舟は自転車ごと無料だったので、佃島(月島)界隈もボクのテリトリーであった。隅田川はオワン船〈肥溜め〉が行き交い、犬や猫の死体が流れ、新川掘は水上生活者が台船に数多く住んでいた時代だった。裕次郎ではないが、海はいいね。潮風を嗅ぐと思いだす。思春期になったボクは、このころから記憶が鮮明に残されている。
 
父の兄も警察官で、蔵前警察署長から警察予備隊に移り、自衛隊練馬駐屯基地司令などを務めた。その関係で本物のジープにも乗せてもらったが、戦闘車両だから乗り心地の良いものではなかった。余禄で大相撲の桟敷席にもよく招待された。
 
その叔父の息子〈従兄弟T〉は、ボクより10歳上で、警視庁に入った。最初に配属されたのは、丸の内警察署だった。くしくもボクのオヤジが丸の内警察署長だったころだから、従兄弟はオヤジの部下となった訳だ。
そのころ丸の内警察署少年係に、のちに従兄弟の嫁さんとなる【るゑ子】さんが婦人警察官として勤務していた。従兄弟は【るゑ子】さんに一目ぼれしたらしく、数年後、オヤジが警視庁交通部参事官を退官するころ結婚した。温和でしっかりした方だった。
 
【るゑ子】さんも、従兄弟も、順調に出世街道を歩み、従兄弟は原宿警察署長となった。相前後して、【るゑ子】さんは、1987年に警視庁初の女性警部に昇進。1990年には女性初の警視。94年には全国初の女性署長として三田警察署長に就任した。夫婦ともに警察署長に就任したのは警視庁でも初めての出来事だった。こうして【るゑ子】さんは、警視庁女性史に欠かせぬ先駆者となった。
 
ボクは大手町のNKK本社勤めの営業室長になったばかりだった。関連会社の鋼管鉱業がランの栽培・販売をしていた時期だったので、5本仕立てのピンクの胡蝶蘭を用意し、タクシーで三田警察署にお祝いに伺った。警棒を持ったお巡りさんに案内され署長室に。【るゑ子】さんの制服姿は初めてだったが、うちに来る【るゑ子】さんと全く変わらぬ笑顔の自然体で署長室に迎えてくださった。署長室は全国初の女性警察署長を祝うランで埋め尽くされていた。
 
その【るゑ子】さんも、6年前に74歳で亡くなった。わが櫻井家にとって、【るゑ子】さんは、警視庁史に名を遺した偉人として忘れられない人である。
父も伯父も従兄弟も、巡査からスタートし、巡査部長―警部補―警部―警視―警視正―警視長と累進し、たたき上げの警視庁幹部となったが、【るゑ子】さんの偉業にはかなわない。
【るゑ子】さんは、後輩の婦警さんにこう語ったそうだ。
「女性として職場の花になりなさい、飾り花ではなく、根を持った花になりなさい」

オーディオの選び方(5)音への感性を磨くべし

寺島靖国氏ご推奨のアヴァンギャルドを聴いてみて、やはりドイツ人好みの音だと思ってしまった。高音域が伸びた音をドイツ人は好む傾向があるが、生々しいほどに金属感あふれる高域は耳に厳しく聞こえる。それをオーディオ評論家は澄んでピュアーな音だと感心するが、悪評の原因となっている。
このスピーカーは、金管楽器のような二本のむき出しのラッパから直接音が拡散されるユニークなデザインで人を驚かすが、要は拡声器である。日本の狭い住居では、音が拡散される前に耳に直接届いてしまう、いわゆる指向性が良すぎて、リスニング・ポジションが1点に凝縮され、左右に調和された音を聴く位置が狭いのだ。首を振ると音がずれて安定しない。
たぶんこのスピーカーは、ドイツのように石造りで頑丈で、残響のある大きな部屋全体で反響させ、距離を離れて聴くことを想定しているのではないか?
最低機種でもペア200万円はする代物だから、ハイエンド・オーディオ・ファンと称する金持ちがステイタスに置くようなインテリアである。アンプなどスピーカーに音を届けるまでの投資を考えると500万円はかかるだろう。更にこのスピーカーが真価を発揮するオーディオ・ルームを造るとすれば・・・これは金持ちの道楽でしかない。一般の日本の住居では、真価を発揮することは、まず諦めたほうがよい。宝の持ち腐れである。
 
時代はさかのぼるが、アヴァンギャルドとは似て非なるスピーカーが、日本人のオーディオ・ファンの垂涎の的とされていた。その名は、イギリス、タンノイ社のオートグラフ。重量は90キロ近い存在感があるシロモノだ。かの剣豪(性豪とも称された)小説家・五味康佑氏が愛してやまなかったスピーカーである。
アヴァンギャルドは、スピーカーがむき出しで、エンクロジャーと称する箱が全くない斬新な構造である。対してオートグラフは、バックロードホーンと呼ばれる独特の迷路のような構造をもつ箱が、スピーカーと一体となって構成され、部屋のコーナーに据えることを前提としている。なかなか個性的な名機だが、これを日本の家で鳴らしこなすのは難しい。音と言えば、独特のバックロードホーンが残響(余韻)を醸し出すので、心地よい響きが音に加えられる。コンサートホールでオペラを聴くような感じである。従ってジャズやロックのような切れの良い音楽には不向きだと思う。
これもアヴァンギャルドと同じく、狭い日本の一般家庭に置いても、本来の音の再生は難しいだろう。
 
以上、新旧二つの名機の例でお気づきになったと思われるが、高級なスピーカーは、リスニングルームとの相性なしには真価が発揮できない難物である。ところが日本の木造住宅は音漏れが激しく、しかも狭い部屋が多いから、正直に言って、オーディオを聴く環境ではない。
そんな環境でいくら高い機種を置いても、所有欲を満すことができても、音は悲惨と申し上げるしかない。
 
スピーカーは置かれる環境で音が変わる。
従ってどのスピーカーがよいとも、どれが悪いとも言い難い。スピーカーを選ぶ際は、自分がどんな音色が好きなのか、徹底的にショップで聴き比べ、好みの音の感性を磨き、好きな音の傾向を絞り込むことである。
 
その際に、他人の意見など信用してはならぬ。データーなんか読まぬほうがよい。ましてや自分の意見を他人に押しつけるなど、もっての外だ。
人はそれぞれに耳の構造も異なり、年齢に従って可聴帯域も狭まってくる。高音域が伸びるスピーカーは聞こえないので無意味だし、もしも聴こえたら、かえって耳障りである。人には、それぞれ独自の音への感性があるのだから。

オーディオの選び方(4)マニアは聴覚異常
 
半導体は、OTL(トランスなし)が当たり前で、真空管は出力トランスが必需品であることは(3)で述べて理解いただけただろう。ところがオーディオ・マニアとは新たな製品の宣伝文句に魅かれ、たまらなく音がよくなったに違いないと飛びつく輩が多いのだ。
 
コメントで指摘のあった真空管OTL回路は、まさにそんなオーディオ・マニアの奇をてらう心をくすぐるシロモノだったが、バランス調整が大変で、一歩間違えると、スピーカーのボイス・コイルを損傷させる恐れさえある厄介ものであった。ボイス・コイルの損傷とは、人間で言い換えると、鼓膜が破れるような現象である。
 
そんな危なくって市場に定着しなかった一部のマニアの好奇心をそそっただけのシロモノを、オーディオ入門者に推薦する訳にはいかない。むろん、新製品を推すのもご法度だ。新製品は必ずいいことずくめの宣伝文句で塗り固められている。そんなものに飛びつく愚かもには、若かったころのボクだけでたくさんである。いまだに冒されている方もいることはいるが・・・
新製品は、市場に定着するかどうか見極めてからでも遅くはない。中級品ならロングランで愛されているものをお勧めする。
 
ボクらが大学時代に流行ったオープンリールデッキ、カセット,その後のDAT,そして半導体メモリーに録音媒体は移行してしまった。高かったオープンリールデッキは、今は粗大ゴミでしかない。ソニーのSACDは、発売当時50万円。ボクは飛びついて購入したが、ソニーは昨年から生産を止めてしまった。ただ、ソニー初号機のSACDは優れもので今でも愛用している。
 
半導体アンプの世界は、中途半端にガラパゴス化したので、中級品(30万円以下)の世界でどれがいいとか悪いとか話題にする気も起きないのだ。どうせ大同小異の僅差の世界。聴き飽きて10年もすれば、リセール価値はゼロ。そんなものに新参者を誘導させては、オーディオの先達の名に恥じる。長年、オーディオに染まったものとしては、王道を歩むように指導したいものだ。
 
違いのわかる大人の世界。
ボクはネスカフェを飲めとは勧めない。オーディオも同じことで、大量生産されたものは味も均質化されて可もなく不可もない。イースタント珈琲の味の差を論じることと、一般向けのオーディオ製品を比べ論じることとは同じである。
なんでEAST SIDEの珈琲は600円で、セブンイレブンは100円なの?と不思議がる方には、どうぞセブンイレブンでお飲みくださいとしか言いようがない。
違いのわかる大人の行くつく先は、真空管アンプだと断言して、アンプの話は終わりにします。
 
 
ではスピーカーはどうなのか?
かの有名なオーディオ評論家で吉祥寺・ジャズ喫茶MEGのマスター寺島靖国氏は、名うてのオーディオ遍歴の持ち主だ。遍歴と言えば聞こえがいいが、変な歴史のオーディオ夢遊病者と言ってよい。正直に言って、この男のオーディオ道には一貫性が無いのだ。どんな音を求めて純化してきたのか?装置を入れ替えるごとに音が悪くなる。
現在置かれているアヴァンギャルドなどでよい評判を聴いたことがない。装置と電源ケーブルだけが日増しに高額製品に変わるくせに、音はまるっきし、聴き疲れるばかりである。毒舌・悪口で聞こえる寺島靖国氏だから、このくらいのことでは微動だにしないだろう。ともかく頭の回転は早い寺島氏だが、耳は聴覚異常ではないかと疑いたい。
オーディオ・マニアの進んではいけない邪道・破道を寺島氏は歩んでしまった。カネさえかければ音がよくなるってもんじゃないんだね。

オーディオの選び方(3) 究極は真空管
 
前回のおさらいをすると、アナログ時代には価格差と所有価値は比例したが、デジタル時代に突入し、価格差と所有価値は必ずしも比例しなくなってしまった。それは重厚長大から軽少短薄への移行に重なり、もの造りから個性を奪ってしまった。
 
電子デヴァイスの世界では、真空管より、はるかに安価で大量生産される半導体素子が出回り、悪貨が良貨を駆逐する結果となった。昭和30年代後半から、オーディオの大衆化が始まり、冷蔵庫・洗濯機・テレビの三種の神器の次にオーディオが家庭に普及するきっかけとなった。
それはそれでよいことなのだが、大量生産で価格差ほどには基本性能の差が生じなくなってしまった。アンプを例に取れば、100万円と10万円のアンプで目隠し試聴実験した結果では、明確な優劣判断ができなかった。耳で判別できるほど品質の差のない均質化された製品が市場に供給されている。
 
だが、スピーカーについては、明らかな個体差があり、良いとか悪いとかの問題じゃなくって、視聴者の好みがはっきりと出てくる。
以上から、オーディオを買う際には、気に入ったスピーカーを選ぶことからスタートすることをお勧めする。
 
究極のオーディオファンは、半導体アンプを捨てて、真空管アンプに移行する。それは、真空管アンプの方が、半導体より音の特性が優れているからだ。
その理由は、音のエジソンと言うHPで、<真空管アンプをお勧めする理由 
http://www.otono-edison.com/original/amp/sinosusume.htm>という記事があるので参照ください。
 
真空管アンプの音について、あるPHでは、その特徴を次のように紹介している。
一般論であるが、真空管アンプの音には芯がある。中低域のエネルギー感が損なわれにくく、存在感のある音がする。長く聞いていて疲れにくいというか、耳障りな音がしない。アンプによっては、太く、厚みのある音が得られる。>
これは、当店のお客様が異口同音に述べられる感想でもある。聴き疲れせず、心地よいから、時間がたつのを忘れる。脳内にアルファー波が充満し幸福感に満たされる。
プロの音楽家が演奏会で使うギターアンプは真空管である。それは半導体では満足する音が出せないからだ。大音量でリミットまで電流を流すから真空管の消耗も激しい。コストもかかる。それでもプロは聴衆に満足していただくために真空管を惜しみなく使うのである。
 
半導体アンプが10万円でも30万円でもそれほど性能に差が無いとすれば、迷うことなく10万円のアンプで十分だ。30万円のアンプを買うのは20万円をドブに捨てるようなものだ。そのお金は将来の真空管アンプに買い替える資金に貯蓄することをお勧めする。
その上に、半導体アンプは、10年もすれば、修理が不可能で、リセール・バリューはゼロに近い。だが真空管アンプは50年たっても修理可能で、リセール・バリューも残されている。むろん当時のメーカーのパーツを探すのは困難だが、代替品が今でも供給されている。
 
真空管と半導体のパーツの違いで、最大なものは出力トランスである。半導体は出力トランスなしで稼働するが、真空管は出力トランスなしにはウンともスンとも音が出ない。(一部OTL回路と言う出力トランスなしもあったが、廃れて今はない。)
真空管が心臓だとすれば、トランスは肺機能みたいな存在だ。これなしには電流が流れない仕組みである。
 
ところが半導体時代になって、トランスの需要が激減し、メーカーが次々に廃業に追い込まれてしまった。日本で有名だったタンゴはなくなり、タムラは価格が倍に高騰している。トランスはよほどのことがない限り断線するトラブルはないが、安価で質の高いトランスの選択肢がなくなりつつあるのは困ったことである。

<追記>
真空管でも、電源トランス以外のトランスを使わないOTLがあるじゃないかと言うご指摘がありましたので、参考までにインターネット上から以下の記事を転載します。

OTLとは?
その1
out put transless とは、スピーカーと、増幅回路を増幅特性を悪くする出力トランスを使わないで回路の工夫で直接つなぐ回路のことを指します、トランジスター回路ではトランジスターの内部抵抗であるインピーダンスが低いので、市販のオーディオアンプは、価格にかかわらずこのOTL回路です、
しかし真空管回路では真空管の内部抵抗が高いので、直接スピーカーにつなげることができないので、必ず出力トランスを使用します、また高電圧がスピーカーのボイスコイルに流れて焼損するのを防ぐためにも必需品です、しかし、出力トランスを使うとそれがフィルターとなり、低い音域や高い音域が再現できなくなり、それが音質にこだわる真空管アンプマニアには不満。
そこで真空管をたくさん使って、内部抵抗を低くする回路を自作して、出力トランスを使わないOTL回路の真空管アンプで聞く真空管マニアが40年前にはオーディオ雑誌で自作回路が紹介されていましたが、高性能半導体が安くなり、真空管アンプが消え、高音質トランジスターオーディオアンプが出現すると、OTL真空管アンプは忘れ去られました、OTL真空管アンプはダンピングファクターという低音の歯切れをよくするためには効果が高いが、回路が複雑で、出力トランスがないので増幅能率が悪いので10ワット程度しかとれず、能率の悪い外国製スピーカーは鳴らせず、このOTL真空管アンプに適合するスピーカーセットが少なく定期的にバイアス電圧を調整する手間もかかり、市販のすべてOTL回路であるトランジスターアンプに其の役割をバトンタッチしました。

その2
Output Transformer Less の略です。
通常、真空管アンプ回路は数キロΩのインピーダンスで出力されてしまいます。
これをスピーカー駆動に適した数Ωにするためには出力トランスが不可欠です。

この出力トランスを使わずに出力するのが真空管OTLアンプです。
出力インピーダンスの低めの球を多数並列駆動して、スピーカーを駆動できるくらいのインピーダンス(それでも16Ω)まで下げています。
出力トランスの特性に依存しない利点は有りますが、真空管の本数分の発熱・消費電力・バランスを取るためにしょっちゅう調整しなければならないなどの割には高出力が得られないと言った欠点が多いです。

普通のトランジスタアンプは、全て出力トランスは有りません。
トランジスタ回路は出力インピーダンスを下げられるので、OTLアンプです。

従って、あえて「OTL回路」と言う時は真空管回路です。
真空管回路図集・真空管アンプ製作の本には一つくらい載っていたものですが、最近の本には無いかもしれません。

その3
OTL回路は、ノスタルジー以外の何物でも有りませんが、見ればよだれ、聞けば涙のLUX-MQ36の画像が有りました。
http://www.audio-heritage.jp/LUXMAN/amp/mq36.html

メーカー製アンプなのに、シャーシにバランス調整用VRがずらりと並び、メーターが付いているのがわかります。
日々コレ調整に明け暮れるのでしょうか?
でっかいトランスが2個乗っていますが、出力トランスでは有りません。
電源トランスです。
モノラル構成のアンプを2台一つのシャーシに乗っけていますので、全ての回路部品が偶数です。
(リレー管は1個)
周波数特性:1.5Hz~200kHz ±1dB以内(16Ω) というのは、誤植ではありません。
DCアンプの無かった時代に、無意味なくらいの周波数特性の良さは...
崇め奉る気持ちをわかってください。




オーディオの選び方 2
 
オーディオはまずスピーカーからは入れ。とは前回の結論である。http://blogs.yahoo.co.jp/rchpp904/35358532.html
 
その理由は、スピーカーが一番、音に変化を与えるからだ。実際に耳に音が届くには、スピーカーで空気を振動させ可聴帯に変換させない限り、ブラックボックスの闇の中の世界だからだ。
ところが、このスピーカーの音の振動の仕方は極めて微妙で、現在に至るまでまだ完成域に到達していない。オーディオ機器のうちで、一番選択肢が広い世界である。故にまず、好みのスピーカー選びが真っ先に重要となる。
高いものほど良いとは言い切れないが、たとえて言えば、ストラディヴァリウスのバイオリンと普及品のバイオリンの音の差ほど、敏感に感じ取ることができる。ノコギリがキイキイなるようなバイオリンを毎日聴かされては堪ったもんじゃない。
 
反対に一番選択肢が狭い世界はアンプである。
現在のアンプ理論は完成されていて、デジタルアンプなら、ある程度以上の高級品は、ブラインドテストをすれば、プロであっても変化の度合いがわからないくらい接近している。それは10万でも100万でも変わらないと言っていい。
 
たとえて言えば、時計である。千円のクオーツ式カシオ腕時計と、100万円のブルガリとでは、性能に差があるだろうか?答えはNO!!である。高いという所有価値は違っても、使用価値は変わらないのだ。これくらい現代のアンプの使用価値は価格差がなくなった。
ゆえにアンプの高級品を飾りたいのは、単に所有欲を満たす自己満足と思ってよい。この手のオーディオファンは、毛皮で着飾る叶姉妹みたいな存在だ。
 
ただし、真空管時代のアンプは別である。
これはアナログ時代の腕時計と同じように、高級品と普及品とでは精度が違いすぎる。銀塩フィルム時代のカメラにも言える。金額に応じた所有価値と使用価値は比例したのだ。しかしデジタルカメラ時代になると、価格差ほどの映像の変化は感じられない。撮影技術のイロハさえ心得ていれば3万円も出せばプロとそん色のない写真を撮ることは可能だ。
 
アナログカメラ時代では、ライカは圧倒的に抜きん出ていた。一番レフになって日本がドイツを凌ぐようになったが、レンズ性能ではまだ違いを感じた。
同様に真空管アンプでは、ラックスのSQ38シリースが日本での人気が高かったが、マランツ9、8bやマキントッシュ275には逆立ちしても勝てなかった。
アンプを拘るなら、真空管アンプに回帰するのが、違いのわかる真のオーディオファンと言える。
 
同様に、CD時代のCD再生は、アナログ再生のプレーヤーほどに音の差は出てこない。どれを買っても大同小異と言ってよい。デジタル時代になって。オーディオはつまらなくなった。まるで、表面だけを着飾る叶姉妹状態となったからだ.

もしも、100万円の予算でオーディオをそろえたいなら、
70~80万円をスピーカー
10~20万万円をアンプ
10万をCDプレーヤーに。
そして、聴きこむうちに、アンプは真空管に置き換えることを勧めます。

戦争法案の可決成立
 
この二日間,幸か不幸か雨続きだったので、国会テレビ中継をくまなく見続けることができた。
戦争関連法案は、予定通り数の力で、議論がかみ合わぬままに成立してしまった。まともな解説は朝日・毎日・東京新聞に任せるとして、2015918日は、歴史に残る立憲主義国家への反逆記念日と記録しておこう。
 
このブログではヤブにらみの感想を述べてみたい。

先ず第1に挙げられる成果は、国民の6割以上がこの法案に反対の民意を示したことだ。それに呼応する形で、自然発生的に国会周辺に<法案反対・撤回>のデモに、連日深夜まで多くの国民が結集した。ボクの母校・立教のプラカードもテレビで放映されていたが、<自由と民主主義>に目覚めた学生が直接行動を起こしたのは、70年安保以来、45年ぶりの歴史に記録される出来事であった。後世の日本人は、こんなにも良識ある日本人が多数いて、法案反対に動いたことを誇りに感じるだろう。
次回の選挙から18歳以上に選挙権が与えられる。この若者の行動は、必ずや自公安定政権への脅威となるに違いない。
 
次に、反対運動の中で民主党の枝野・福山など労組系ではないリベラル本流議員が、理性と矜恃を示したことだ。この二日間の彼らの演説は近来稀に見る名演説と記憶されるだろう。
自民党に取り、民主党さえ叩いておけば政権は安定する。だが幸いにも民主党から小沢一郎と鳩山由紀夫が消え去った今は、改めて枝野・福山らの賢いリベラル派がこの国を背負う気概を、この演説で示してくれたように感じた。
 
3に、自公とその支持者は、この法案可決で日本の抑止力が高まったと評価しているようだ。だが、それは表面的なもので、日本が米軍に媚びへつらいて依存する体制をより明確にしただけに過ぎない。
集団自衛権と言いながら、極めて限定的で米軍の後方活動と称し、ウロチョロ弾丸運びに専念するといった内容だ。
日米安保は、地位協定を含めて不平等な片務条約だが、今回の法律はこの不平等を更に助長する国辱的な内容である。
 
安倍は、違憲立法を法制化したことで、本質的な国防議論を封印してしまった。
ボクは、軍事増強論者ではないが、日米安保に依存しない自主独立の日本国になって欲しいと願っている
 
世界中で紛争国でもないのに、米軍が大軍を駐留しているのは、ドイツと日本だけである。つまり、占領統治下と東西冷戦時代の名残りが、そのまま惰性で残された状態である。日独にこれだけの米兵が駐留するのは異常なのだ。これに70年間、日本は胡坐をかいて安住してきた。

安倍は戦後70年で戦後体制を払しょくすると大言壮語した。だが、こんな違憲立法を無理やり押し通し、本質的な改憲論争を避けたことは天下の大罪だ。
せっかく国民的議論として国防を考える機運が芽生えたのだから、違憲立法を廃案とし、憲法9条変更の是非を問うべきだった。そのために継続審議となってもやるべきだった。
 
ボクは、9条を存続し、日米安保は暫時縮小、個別的自衛権による専守防衛が一番と思っているが、そのための国家戦略を与野党で徹底的に議論してほしかった。せっかくのチャンスを安倍晋三は潰した上に、立憲国家の表看板に泥を塗ってしまった。

     駐留国           面積(エーカー)    1990年       2010年駐留人員
ドイツ
143,091
227,58
 
54,431
日本
126,802
46,593
 
35,329
韓国
25,689
41,344
 
24,655
イタリア
5,766
14,204
 
9,779
イギリス
7,131
25,111
 
9,318
トルコ
3,512
4,382
 
1,485
バーレーン
106
682
 
1,401
スペイン
8,774
6,986
 
1,345
ベルギー
1,079
2,300
 
1,248

アベノミクス、ついに失敗の烙印
 
安倍晋三から経済再生の期待を取ったら何が残るだろう?
これは、公明党から創価学会を取ったら何が残るだろうか?と質問するに等しい簡単な問題である。答えは何も残らないのだ。
 
昨日、安倍晋三の経済失格の烙印を、アメリカの格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)社が下してしまった。世界的な格付け会社は他にもムディーズ・インベスターズとフィッチ・レーティングスがあるが、この2社はとうにアベノミクスに見切りをつけていて、主要3社が足並みをそろえ、安倍晋三の経済政策に【NO!!】を突きつけたしまった。
 
S&P社によれば、日本の国債格下げの理由は、安倍晋三の目指していたデフレ脱却・経済再生・政府債務残高縮小が、アベノミクスの効果が見込めないことから、今後23年以内で経済好転は不可能。更に、財務状況が極めて脆弱で重大な弱みを抱えているからだと指摘している。
 
その結果、日本の国債の信用力は、中国・韓国よりも低く格付けされてしまった。中国経済の下落や韓国経済の低迷ぶりが大きく報道されるが、世界の経済のプロは、日本経済の方がはるかに危ないと見ているのだ。
 
S&Pの国債ランク付け
AAA   イギリス・ドイツ・カナダ・豪州
AA+   アメリカ
AA    フランス
AA-   中国 ・ 韓国
A+    日本 ・ アイルランド
BBB   スペイン
BBB-  イタリヤ
 
その安倍晋三だが、いまだにアベノミクス一筋で、自慢するしまつ。経済政策はこれしかないとバカの一つ覚えである。その安倍に自民党は対抗馬もなく、このままさらに2年間も政権のかじ取りを任せるのだと言う。
 
日本は集団自衛権で海外派兵や世界貢献するまでもなく、このままでは、ギリシャのように世界のお荷物になってしまう。
戦争法案反対の声とともに、安倍晋三倒閣運動を高め、総選挙を早めないと、日本は取り返しのつかぬ大混乱となってしまう。

足も腰もガタガタだ・・
 
歩きすぎだろうか左臀部から膝にかけて鈍い痛みでたまらない。時に激痛が走り、膝関節が思うように曲がらず、足を引きずるようになってしまった。ここ1か月ばかり、体重を減らすためにがんばって歩きすぎたのがいけなかった。
食事制限で体重を減らしながら運動量を増やさないと、足に負担がかかり過ぎるからだろう。食事量は落としているが、アルコール摂取は減らない。8月に2キロほど減量したが9月になって体重計が一点に貼りついたまま動かなくなった。そこでさらに2千歩ほど歩数を増やしたのがいけなかったようだ。
 
半年前から、左大腿骨の突端が<石灰沈着性腱炎>だと診断された。石灰が沈着する原因は不明で、自然に体内に吸収されるのを待つしかない。痛みの激しい時は鎮痛剤を飲んでごまかすしか対処法はないのだと言う。それから2か月もたつのに炎症は消えず、痛くてたまらない。鎮痛剤も気休めでしかない。
 
昨夜は、低周波治療器でパルス信号を最強にしたまま眠ってしまった。この低周波治療器は2か所に粘着性パッドを張り付け、そこから低周波の信号を筋肉に送りつけ刺激するという技ものだ。筋肉がかってにブルブル震えだすさまは気味が悪いが心地よい。突然の激痛で目が覚めると、太ももの当たりが激しく吊ってしまった。慌てて電気を止めたが、もも肉は間欠的にケイレンを繰り返す。10分ほど脂汗が出てくるほど痛かった。
 
朝の体操の仲間からは、<だからホドホドにしといたらって云ったのに・・・マジメな人間ほど、やりだすと手を抜かないからこうなるんだ・・>
どうも半分は当たっているが、半分は外れている。なぜならボクは不真面目じゃないがマジメとも言えない。適当に手抜きをするのが大好きだ。若い時はいくら運動を継続しても、疲労感だけで回復したものだ。今は、体の節々がガタガタになる。加齢化現象であることには間違いない。
 
人はだれでもガタガタにさび付いて、刀折れ矢尽き果てて死んでゆくんだろうが、できることなら死ぬ直前まで健康体でありたいものだ。
 
わかっちゃいるけどやめられないのがお酒。残りの人生スイスイ・スーダララッタと行きたいものだが・・・。

植木等のスーダラ節

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