団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2015年03月

先週のことである。
【安倍政権は成長戦略に「労働者の停滞産業から成長産業への移動」(雇用の流動化)を掲げる。しかし「解雇規制が厳しく労働者の移動が進まない」として、規制改革会議は金銭解雇を柱とする雇用の規制緩和に関する意見書をまとめた。】という記事が掲載されていた。
 
かいつまんで言えば、【不当解雇された労働者が、職場復帰ではなく、金銭解雇を望めば、不当解雇は有効となる制度】である。欧州では【金銭解雇】は一般的に導入されているから、日本もそれに倣えと言うことらしい。
 
不当解雇を助長し、美しき日本の象徴であった【終身雇用・年功序列】を破壊する行為は、安倍晋三の【美しい日本】とか【日本を取り戻す】などの美辞麗句が空々しく聞こえる。
 
不当解雇をカネさえ払えば正当化でき、【成長産業の育成】に役立つなどと考えること自体、悪魔が考える悪知恵である。
この男の視点は、いつもそうだが国民目線ではなく、利益本位の資本家目線である。
 
安倍晋三は、不当解雇された労働者が、たやすく成長産業への鞍替え異動ができるとでも思っているのか?
【雇用の流動化を促進して成長産業へ移動】なんて言葉は、表看板に過ぎない絵空事事だ。企業が不当解雇するのは、それなりに事情がある。何らかの労働者側の個人的な事情があって、企業から見れば卵を産まないニワトリの存在になったからである。そんな個人的な問題を抱えた労働者が成長産業に再就職なんか容易にできるはずもない。世の中に再就職先が見つからない中高齢者が増大し、失業者が欧州並みに増えるだけのことだ。その結果は、格差がますます拡大し、社会に不満を抱えた犯罪も増えるだろう。
簡単に言えば、企業にとって邪魔者は、一時金さえ払えば、長引く訴訟に巻き込まれるリスクもなく、簡単にクビが切れる制度を安倍晋三は目論んでいるとしか評価できない。
 
雇用関係を考えると、労働者は常に弱者の立場である。弱者を守り、救済するのが政治の役割だとすれば、安倍晋三ほど真逆な政治家はいない。かつての自民党でも、これほど邪悪な心の人物は記憶にない。
【I AM NOT ABE】を掲げた古賀茂明がテレビから締め出されたいま、ボクたちは声を大にして、【I  AM NOT ABE】をチマタから発したいものだ。

写真は、今日のツイター記事から連載。カネさえあれば選挙民の心も買える。自民党政治家の隠された本音です。
以下のパロディの記述の衣服・化粧品は、すべて小淵事務所の地元事務所の政党資金から出費されているそうです。ここまで愚弄されても、支持する選挙民はアホ通り越してパーですかね?
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イメージ 1一昨日のことである。うとうととテレビを聴いていたら、古舘伊知郎の気色ばんだ声で目が覚めた。<古賀さん、今の話は承服できません!!…>
ボクは慌てて眼鏡を掛けなおすと、古館の顔がこわばり、盛んに古賀の会話を制止する姿が飛びこんできた。
 
話はこうだ。
安倍晋三の批判を、日ごろから繰り返していた元通産官僚の古賀茂明(59)が、TBSの夜の報道番組【報道ステーション】から今月末で降板させられた。その真相を古賀はこう暴露した。
「テレビ朝日の早河会長とか古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で、きょうが最後にということになりました」その背景には、総理官邸の菅官房長官から圧力が加わったせいだという。
 
古館は、なおも話を続ける古賀を遮り、「ちょっと待ってください。今の話は承服できません」「古賀さんには、機会があればまた出ていただきたいと相変わらず思っている」と慌てて反論した。
コマーシャルを挟んで、古賀は【I AM NOT ABE】のフリップを掲げ、「単なる安倍批判ではなく、日本人がどういう生き方をしようかという、ひとつの考え方」だと淡々と説明する。
 
「そんなことはない」と否定する古舘伊知郎に対して古賀は、「古舘さん言われましたよね。『この件で私は何もできなくて本当に申し訳ない』と。全部録音させていただきましたので、そこまで言われるなら全て出させていただきます」古館は降板の事情が上からの圧力だと知っているくせに、トボケるなら、全て明らかにすると口にしたのだ。
 
古賀は終始冷静で、慌てていたのは古館である。古館も、古賀がまさかここまで裏の真相を暴露するとは思っていなかったのだろう。古賀は、すべてのテレビ局から干されるのを覚悟の上で安倍批判を貫いた。あっぱれと褒めてやりたい。
 
いわゆる報道番組は【報道の中立性】というお題目の中で、政権批判に対しては【是々非々】【賛否両論】の生温い対応に終始してきた。コメンテーターなる存在も極論と、硬派で一家言ある人物は排除されてきた。古賀はこんなテレビ局の空気も読めないドンキホテーに徹してきた人物だ。
ボクはこんな不器用で真面目で融通の利かない人物が好きなのだが、世の中では、これほど使いづらい人物はいない。排除の論理が働くのもわからぬではない。これが、今の一般社会の常識レベルなのだろう。
 
官邸からの圧力があったなどとは、テレビ局のメンツにかけても肯定することはないだろう。古館とて、古賀と一緒に干されてはたまらない。御身大切に、ここは体制に付かねばならぬ悲しいサラリーマンなのだ。古賀を擁護するより、切り捨てた方が安泰なのだ。

だがボクらは、政権批判を鮮明にする人物はテレビから干される事実だけは知っていたほうがよい。
こうして、政府の言いなりの報道をテレビは流すようになり、ボクらはマインドコントロールされていくのだろうか。ボクも【I AM NOT ABE】をブログで貫きたいものだ。


150人が犠牲となったドイツ機墜落の原因は、どうも操縦士の故意だったようだ。
そんな中で昨年はマレーシア航空の不可思議な行方不明事件が起こった。これもパイロットの意図的な遭難事故かと想定されていた。乗り物は運転手に身を委ねるしかないのだから、こんな人災が起こってはたまったもんじゃない。
特に航空機の場合は、ほぼ完ぺきに死出の道連れにされるのだから、乗客の無念は想像に余りある。
 
現在、世界中で約2万機のジェット旅客機が飛んでいるそうだから、パイロットの総数は二人勤務で4交代と仮定すれば16万人となる。今後は更に旅客機需要が急増する見込みなので、世界中のパイロット不足は深刻である。
今までみたいにパイロットは優秀なエリート職業ではなくなりつつあるようだ。それに格安航空機の参入で労働条件もきつくなった。かっては4人搭乗していたコックピットも2名だけとなった。パイロットに生理現象が生じれば、コックピット内は一人である。セキュリティー上から内部で開閉しない限り外部から侵入はできない仕組みのようだ。そこで今回の惨劇が起こった。
 
労働不足に人材不足。いっそのこと、人に頼るより、意思を持たない無人運転の飛行機の方がより安全かもしれない。特に最近のジェット機は自動制御技術のかたまりだから、トラブルが生じてもブラックボックス状態である。トラブル箇所を探し出すのも人為では出来ない。
 
自家用車の分野では無人化運転が実用化されつつある。居眠り運連もないし、無理な追い越しや、車間距離を詰める煽り運転、ドリフト走行などもなくなる。高速道路の大事故はほとんどが居眠り運転だ。人為操作より、機械に任せるほうがよほど安全な時代となった。
 
2001年宇宙の旅では、人間の意思に逆らうコンピューターのハルと人間が宇宙船の主導権を争う壮大なバトルが演じられたが、これからはそんな時代がやってくるに違いない。
 
<・・・乗客の皆様、本日はエグゼクティブ航空ハルに登場いただき誠にありがとうございます。機長のアトム三号です。飛行時間は10万時間を超え、一昨日、お茶の水博士のオーバーホールから戻りました。副機長はハル改良型鉄人28号です。このロボットはバックアップ用のロケットを備え、緊急時には機体を支えて皆様を安全な場所に緊急着陸させる特殊能力を備えております。ボクたちロボットが導入されて以来、一度も墜落事故はございません。NYまでの飛行時間は約10時間。NYは快晴。気温は摂氏20度です。おおむね良好で快適なフライトが予想されております。それでは皆様、快適なご旅行を・・>
 
有人ジェット機もまだ併用されている2050年だったが人気がなく、格安航空とローカル線だけが人間の運転する飛行機の時代となってしまった。
 
 

彌生も末の七日。松尾芭蕉四六歳は、弟子の河合曾良を伴い、江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発した。弥生と言うから今の時期かと勘違いするが、旧暦の元禄2年3月27日は、新暦では1689年5月16日である。まさに春は過ぎ去ろうとする時期である。
芭蕉は矢立の初めにこの句を残した。
 
行く春や 鳥啼魚の目は泪
 
この日は、霊峰富士が谷中のかなたにくっきりと見える晴れの日だったようだ。前途三千里。当時の旅は、旅の先で路傍の石となるかも知れぬ永遠の別れでもあった。門人たちは、隅田川を上る芭蕉に、姿が見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。
 
ここからあの有名な紀行文の【奥の細道】が始まった
 
【月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、・・・・】
 
卒業式もあらかた終わり、あわただしく引っ越しも終えた卒業生が、ガラガラとトランクを引きずりながら旅立つ姿が目立つようになった。ボクの住む界隈は,一橋大学の寮や下宿アパートが多いから、こんな姿の若者が目立つのだ。
彼らの姿を見ていると、45年前の自分がオーバラップし、甘酸っぱいような感傷がこみ上げてくる。もう数日もすれば、会社員生活が始まる。期待よりも重苦しい重圧と不安を抱いていたように思う。それにも増して、友との別れが悲しかった。
 
振り返ると、会社員生活はあっという間の出来事だった。お勤めは、人生の時間の切り売りだと割り切っていたから、仕事は対価に見合うように徹せねばと思っていた。どうせ働くなら、人には負けたくないとも思った。そうして、ただ儲かる仕事を受注することだけに励んだ38年間だった。
仕事をするうえで、【余人を持って代えがたい】などと思たことは一度もなかった。組織の歯車の一員として、しっかり噛み合った歯車の一つでなければ落ちこぼれると、いつも思って過ごしていた。ながく同じ業務についていると飽きもくる。マンネリで進歩もない。だから組織は人事異動や昇格などで新陳代謝をはかる。サラリーマンに職人は必要ないのだ。
だから【余人を持って代えがたい】仕事なんかあるような組織では困る。司(つかさ)司で与えられた職務を忠実にこなすロボットマン。それがサラリーマンの役割なのだ。ときどき【オレは余人を持って代えがたい】などと錯覚するものがいるが、大会社ではそんなことはあり得ない。
 
こうして大過なく平平凡凡と大手企業のサラリーマン時代を過ごしたので、サラリーマンには未練なく見切りがつけられた。その後はボケっと過ごしていたら70歳まであと2年を残すだけとなってしまった。
 
【月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。…】
 
そろそろ芭蕉のように、我が家の蜘蛛の巣を払う年代に近づいてきたようだ。
 

安倍晋三の外交方針が、「価値観外交」に基づくものだとは、勉強不足で知らなかった.詳細はウイクペディアを参照いただくとしてここでは省略する。


その要とするところは、「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配市場経済)に基づく外交」を価値観を共有するASEAN諸国に対してアメリカとともに展開すると言うことらしい。これに対して、中国は、<偏狭的で、一方的な価値観を押し付ける「対中包囲網」づくり>だと激しく反発している。
【自由、民主主義、基本的人権、法の支配市場経済】が普遍的価値観だとするのは、ボクも同意する。だが、これを正義の御旗に押し立て、積極的に自衛隊の海外派兵を進めるとなれば、<ちょっと待ってちょうだい!!>とストップをかけたい。

安倍晋三が進める外交は、「自由と繁栄の弧」the arc of freedom and prosperity)と称される。その目的は東シナ海を【北京の湖】化させないための東南アジアを巻き込んだ包囲網づくりであることは明白だ。
無論のことに中国の覇権主義とは、真っ向から対立する。日本が東南アジアに手を出すなとばかり、中国は直接的に尖閣列島を脅かし、小笠原には赤サンゴ密漁船団を送り込み、挙句の果ては韓国と共謀して日本海を【東海】と呼称変更する陽動作戦を展開する。

安倍晋三の【積極的平和主義】は、中国にとって目障りで、この上もなく不愉快なのだ。日中首脳会談が行われない理由も、会っても目をそらして無視する態度の根っこはここにある。

更に、中国はゆさぶりをかけてきた。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設である。アジアにおける金融覇権は日米が主導するアジア開発銀行が握っていた。ここに中国が割って入り、金融支配権を握ることで【北京の海】を盤石なものに仕立て上げる。そんな中国の陰謀が見え隠れする。
日米は、この銀行の運用透明性が見えないと参加を渋っているが、欧州のイギリス・フランスは実利を取って参加表明を行っている。安倍晋三が包囲網を目論むASEAN諸国もこぞって参加するというのだから、「自由と繁栄の弧」the arc of freedom and prosperity)づくりも一筋縄では進まない。

だが、中国主導のアジアインフラ投資銀行はうまく機能するだろうか?ボクは早晩ボロが出ると予想している。まずガバナンスが効かない。中国人は私腹を肥やすことしか考えていないからだ。大量のカネが融資できる立場に立てば、必ず腐敗するのが中国なのだ。中国の政治制度が変わらぬ限り、この中国人の自己中の性格は変わりようがない。
日本は焦ることもなく、中国の内部崩壊をじっくりと待てばよい。安倍晋三のように正義を振りかざすほど、中国はわが身を守るために倍返しで反撃してくる。こんなややっこしい国とはまともに喧嘩しないことだ。とボクは思うのだが・・・・
 

中国は、なんだかんだと日本の戦争責任を口汚く蒸し返す.
しかし【Fact is stranger than fiction.(事実は小説より奇なり)】と言うが、香港を領有していたイギリス、台湾を領有していた日本への両地域の住民の好感度を見れば、現在の中国政府よりはるかに、イギリス・日本が善政を敷いていたことが、事実として示されている。
中国政府が何と言おうが、この事実は覆い隠しようもない。これも歴史認識として知って置きたいものだ。
 
歴史認識では、現在の尺度で過去を安易に断罪するのは禁じ手である。
アメリカ大陸・中南米・アフリカ・東南アジアが、欧州の列強により植民地支配されて開発された歴史は、16世紀にさかのぼる。その名残りは、公用語が英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語として今でも受け継がれている。これは言いかえれば文明の大移動で、在来の文化を破壊する行為を伴った。
 
ISが偶像崇拝を敵視し、博物館の収蔵物破壊が報道されているが、植民地政策の推進には、在来の信仰崇拝を打ち壊し、その上にキリスト教会を打ち立てることなども平気で行なわれる時代があった。
新たな価値観を植え付けるためには、既存の価値観を目に見えて破壊する行為を伴う。それが正義の行為だと信じ込んでいるから、徹底的に偶像破壊が行われた。今では蛮行だが、当時は正義だったのだ。
 
 
だが、過去の文化の遺産を美術品と収蔵する博物館を破壊するのは、お門違いのただの破壊に過ぎない。しかし日本においても、廃仏毀釈運動のように!Sと同様な蛮行が行われていた。
この破壊される仏像を美術だと評価したのは、明治初頭にアメリカから東大お抱え教授となったアーネスト・フェノロサであった。感化を受けた岡倉天心が必死に仏教美術の保存に努めたが、かなりの美術品が二束三文で海外に流出し、破壊され、おびただしい数が焼却された。
 
中国・朝鮮半島が列強の植民地支配の餌食となった時代に、日本は帝政ロシアを打ち破り、一躍、欧米列強と肩を並べる存在に躍り出た。欧米の進出を阻み、進出したのが、満州・朝鮮半島・台湾であった。日本を盟主と仰ぐ大東亜共栄圏を樹立する願望を止めるものはなかった。それが時代の趨勢だったのだ。
当時の植民地支配の慣例として、日本語教育・創氏改名を行うのも至極当然の成り行きだった。この行為を、現在の価値判断で断罪するのお門違いだ。

教育政策の最高峰に君臨したのは、朝鮮半島の京城帝国大学1924設立、敗戦によりソウル大学校に再編)、台湾の台北帝国大学1928設立、台湾大学の母体)である。満州においても、新京・旅順・大連・ハルピンなど様々な最高高等教育機関が設けられた。教育こそが国勢を取り戻す最大の武器である。
卒業生の半数以上は、日本人だったが、ここを卒業した中国人・朝鮮人が独立後の国家建設の中枢を担う人材となっている。

 植民地時代は、様々に功罪相半ばするものがあるが、教育こそが遅れた文化を生き返らせる文明の英知であった。日本が行った教育制度は、アジア全体の民度を高めたことは間違いない。
中・韓は、日本の戦争責任と歴史認識を厳しく咎めるが、教育制度を普及させ、民度を高めたことを、もっと高く評価してもらいたいものだ。

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これも先の風刺画とおなじ方の作品である。この3人に、できれば麻生太郎も加えて四銃士に仕立てあげれば完璧だったか。


品位に欠けるといえば、いえるだろうが、憲法を解釈で好き放題に変えるような人物に品位を施すこともないだろう。
 
【せんりょう に かける はじ】も【三途の川の橋】も皮肉が効いている。こういった表現力は凡人では真似できない。
 

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人間ってすごいって思うのは、様々な表現法を持っていることだ。
文書にも、小説から詩・短歌・俳句・随筆・作文に至るまで様々な表現法があるが、五感に訴えるものには音楽から絵画・彫刻・陶芸・手芸・・・様々な美術分野に広がる。芸術で見ればダンス・バレー・オペラ・舞踊・歌舞伎・能狂言・・・人間が創造した表現方法は無限に広がる。これらは時代とともに研ぎ澄まされ、洗練され芸術と称される。
 
音楽の世界もジャンルが細分化され、こんなのも聴くのかと呆れるようなノイズだらけの音でも酔いしれる人がいるのだから恐れ入る。
今ではいわゆるイージーリスニングのポール・モーリア、レイモンド・ルフェーブル、パシー・フェース、アルフレッド・ハウゼ、フランシス・レイ、エドモンド・ロス、ミッシル・レグラン、アンドレ・コストラネッツなどと言った軽音楽楽団は存在しなくなった。FM東京の夜中の12時から流れたジェット・ストリュームの定番だったこれらのBGMは、今では聴くこともない。ゆっくりと時間が流れ、抒情的な調べが心をいやす時代は過去の遺物か。
 
ボクには現代アートは理解不能の世界だが、大きな流れは<モダニズム/ポストモダニズムから多文化主義への移行期>にあるのだという。
どこかの女性が自分の性器を鋳型にとって展示し、公然わいせつ罪に問われているが、こうなると芸術の終焉を思わせる。アダムとイブではないが、せめてブドウ(いちじく?)の葉で陰部を隠す羞恥心を人間は忘れて欲しくないものだ。
世の中の表現法は多様化しているが、性器を露骨に晒すとなれば、もはや人間の創造の範囲を拒絶して、恐竜時代への退化である。これを芸術だとのたまう女は奇人変人としか呼びようがない。
 
シュールなポップアートは、ある種の社会風刺を持つものだ。
世の中を震撼させたフランスのムハンマド風刺漫画に対するISテロでは、宗教者への冒涜だと風刺画を非難する声も上がっている。だが、ISテロ集団がムハンマドを狂信的に崇拝する限り、これを揶揄し風刺すること自体が、フランスのモンテスキュー、ルソーが築いた文化だとボクは理解している。
麻原 彰晃とムハンマドは、オウムとISが同種の狂信集団だとするなら、同等な社会風刺の対象となりえる。フランス風刺画はアラー神を冒涜したものでもなく、麻原の風刺画は仏教そのものを風刺したものでもない。個人を崇拝し、神とあがめる考えは、フランスの人権思想とは対峙する考え方だからだ。
 
ツイター上で、連日のように風刺漫画を掲載する人物がいる。誰かは知らないが、描かれている人物の内面の醜悪さを気味が悪いほどよくとらえ、シュールである。拡散する意味を含めて転載させていただく。

【選良に欠ける恥】【愛国婦人會】言葉にもエスプリを感じるではないか。描かれた自民党の女性議員の下劣さをよく描き出した。テーマ曲に【くさい曲マーチ】まで書き足すなど憎っくき思い入れが込められ、軍靴の響きまで感じさせる。

この作品の見事さは、レコードのジャケットに仕立てあげたことだ。作者はアナログレコードの愛好家に違いない。
下段注意書きに【※ヒズ・ノイズ・罵声・失言・はぐらかしなど、お聞き苦しい点が多々ありますが、オリジナル・キャラクターによるものです。ご了承ください。】とは完璧に笑える。
 

ISテロは無差別に広がっている。まったく常人では理解しがたい蛮行だ。バカは死ななきゃあ直らない。と言うが、このテロ集団を根絶やしにしない限り地球上に平和は来ないのだろうか?
それにしても世界中からISの戦闘員に万を超す若者が集結しているというのだから、問題解決までの根は深い。
この集団は、オウムと比較されるが、オウムもまたアレフと名を変えて、麻原彰晃こと松本智津夫の肖像画を掲げ、ヘッドギアも復活させ、ショウコー・ショウコーと唱える教団活動を続けている。しかも信者数はかなりいるというのだ。まかり間違えれば、恐ろしい集団に変身する可能性を秘めている。
 
かかる邪教であっても、民主主義においては、直接的な破壊行為に及ばなければ【信教の自由】として保護される。【国民主権】主義では個人の自由が最優先されるからである。
だが考えてみると、民主主義における【国民主権・主権在民・個人の人権】とは、<天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・>と言った哲学が存在するはずである。
まずは宗教であっても、この民主主義の根本哲学を踏み絵とし、これを否定する宗教があれば国家が存在を不定する。そんな憲法があるのが望ましい。とボクは思う。
 
宗教においても<人の上に神を君臨させ、神の教えに従わねば地獄に落ちる>とか<神〈現人神〉の命令なら人を殺すことも許される>と言った考えは、民主主義の哲学とは敵対する概念だ。<人は神の下僕である><人は神に逆らえぬ>と言った唯神教monotheism )は、ISと同様の狂気を内包するといってよい。言うならば、唯神教monotheism )は休火山であって、いつか爆発する危険性は消えていない。
 
<宗教を持って現世を救済する>と言った考えも危険思想である。宗教は世直しの道具ではなく、あくまで個人の内面を救済する心理的な心の操作である。
だから宗教家は政治に関わってはならないのだ。もしもイスラム法典を国是とするなら、他の宗教を信ずる者は国政に参加できなくなる。同様に中国のような個人の人権の上位に一党独裁の共産党支配を絶対視する国家も危険思想と言える。
創価学会をISと同一視する気はまったくないが、もしも他の宗教を否定し、学会のみが唯一の宗教であると教え込まれて、教団上位者の教えが絶対だと信じているとすれば、これもまた危険思想である。聡明な宗教家であれば、宗教をもって政治に関わるような愚かな真似はしないはずだ。
宗教団体が特定の政党を支持することは許容されても、宗教団体が丸抱えで政党を私有することは憲法の【政教分離】の原則から逸脱する。
 
ともかくも、民主主義における【個人の人権】をとことん突きつめていけば、唯一絶対神は存在しないのだ。なぜなら【個人の人権】の上に存在するものはありえないからである。この考え(社会教育)が浸透した暁には、唯神教はこの世から消え、日本の神道のような多神教だけが生き残るだろう。
 
故に、もしも地球上に恒久の平和が訪れる日が来るとすれば、民主主義の理念の【個人の人権】をあまねく普及させることだとボクは思う。
力を持ってISを根絶することはできない。武力をもって制圧しても、負の連鎖に陥るのは歴史が証明している。
根本的な対策は、彼らのような危険思想を持たぬ社会に、この世を変革することが一番大切だ。歪んだ宗教の教えに人々が向かわぬようにすれば、ISもオウムも根絶できる。それは武力ではなく、社会の在り方そのものに関わっている。
 
だが今は、安倍晋三の如き無知蒙昧のヤカラが自衛隊の海外派兵を目論んでいる。石油資源の確保(経済利権)の確保だけを目的に邪教との戦いに国家権力で挑むというのだ。
さらに宗教法人丸抱えの党が共鳴するような安倍晋三の海外派兵構想には、理念も哲学も感じられず、日本人がカネのためにムダ死にするだけだとボクは思っている。

一昨日の朝日夕刊の1面に、レコードの復活記事が取り上げられていた。ipod文化に親しんだ若者がレトロのレコードに新鮮さを感じて、手ごろな1万円クラスのプレーヤーを買い求めているのだそうだ。このプレーヤーは、パソコンへの出力端子が備えられているので、レコードからipodへ音源が簡単に取り込める。こんな手軽で安い機種ですら、若者はアナログの音は違うと驚いている。

言い換えれば、缶コーヒーとドトールくらいの違いだろうか?これが本格的に選りすぐった豆を抽出するドリップコーヒーへと進めば本物である。違いの判る人は、ネッスルでは飽き足らないのだ。そうあって欲しいものだ。
 
昨年度のレコード販売額は68千万円。一昨年の1.7倍だそうだ。とは言え、日本の音楽ソフト市場は4500億円くらいあるから、市場の0.15%程度に過ぎない。まだまだ復権と言うには程遠い。
しかし考えてみると、68千万円は新譜の売り上げで、中古レコードの売り上げ統計は不明である。
業界最大手のディスクユニオンの売り上げが150億円くらいだから、そのうち3割だとすれば50億年くらいがレコードか?インターネットオークションなどの通販を含めれば、100億円以上の市場をレコードは保っているのかもしれない。
 
若者向けのカフェ・バーなどでもレコードを掛ける店が注目を浴びている。
レコードは手間暇がかかるが、これも一種の音楽を聴く作法である。茶道や華道のように心の豊かさを得るための作法と言ってよい。
ipodに手軽にダウンロードしてヘッドフォンで聴いているようでは幼稚園のお遊戯みたいなものだ。本物を求める大人。違いの分かる大人。
若者が導入機器の音に飽き足らず、奥行きの深いオーディオに関心が向くようなら、日本経済もまだまだ伸びる気がする。

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