団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2011年08月

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8月20日土曜日。
開店から2年で10回目となる音の闇市を待つように、外気温は24度。猛暑から解放され、音楽を聴く秋を感じさせる涼しい風が吹き出しくれました。

1回目から欠かさず参加いただく、TOPSの渡辺さん。親子でJAZZを楽しまれる玉木さん。大病を克服され以前にもましてお元気になった田中さん。などなど、コアメンバーに支えられた10回目も、JAZZを肴にワイワイと痛飲・鯨飲・激喰の内にあっと云う間の3時間半でした。

今回は、腹を満たすまで最初の40分ほどは、ELLA & PAUL SMITH TRIOの1983年10月17日に行われた代々木国立競技場のライブ盤(LD)を鑑賞。
特に、この中のハイライトは,JATPが加わる最後の場面。メンバーはギターJOE PASS。ピアノOSCAR PETERSON。ベースNIELS。ドラムLOUIS BELLSON。トランペットCLARK TERRY、HARRY EDISON。テナーサックスEDDIE DAVIS、ZOOT SIMS。トロンボーンAL GREY、それにJJ JOHNSONです。ELLAお得意のスキャットに乗って、軽快に豪華メンバーのソロが延々と続き、円熟したジャズ黄金期をまずは堪能。

LDは、DVDと比べて音が圧縮されていないので、アナログ的な柔らかさを感じます。それをRCA LC-1で試聴。レーザーディスクとアンプの間には、ウエスタンのトランスを挟んで更にアナログっぽく音をチューニングしています。

持ち込みの皮きりは、RAMSEY LEWIS TRIO のドラマーRED HOLTのリーダー盤“LOOK OUT”。 炸裂するドラム音でアルテック・バレンシアの音鳴らし。音キチにはたまらない重低音です。
アンプはマランツ7に8b。カートリッジはオルトフォンSPUゴールドでした。そのあとは硬軟ない混ぜ、解説付きであっという間に時間が経ちました。

気の置けない音楽仲間と過ごす時間は楽しいものです。遠路お越しいただきありがとうございました。次回は10月上旬くらいを予定しています。

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やっと、蝉が鳴き出しました。
年々あぶらゼミが少なくなり、ミンミン蝉が多く鳴いています。温暖化の影響でしょう。それに、からっとした夏の天気が続かず、湿った空気が世の中を支配しています。
チマタでは、相変わらず放射能汚染のニュースでにぎやか。牛肉に続き新米まで、丹精込めて作られた農作物や家畜が捨てられる。まったく不愉快な事件です。

一端、想定外の事故が起きれば、放射能汚染が末代まで及ぶ。それを心配して反対してきた方々を、<過度で病的な異端児>と無視してきた自分を深く反省しています。
放射能被曝は、どこまでが安全で、どこからが問題なのか、素人のボクにはさっぱり分からない。私自身は、偏食じゃないし、バランス良く色々なものを食べているから、多少汚染されたものが混じっていても、蓄積されないだろうとタカをくくっている。それに・・ボクなんぞは、ここまで生きてきたのだから、これからの死因は3大成人病の方が、よほど確率が高いだろう。

だからと云って、心配する人たちを病的で神経衰弱な臆病者とは決して思わない。
20年後、30年後に、死因の要素に放射能汚染が上げられないと誰が云えるだろうか?若い母親が、子供を守る姿をみると、嗚呼、なんてボクたちはむごいことをしてしまったのかと、<未必の故意>の罪の呵責に耐えないのだ。

人の性は善なりで、誰だって、こんな原発事故が起こるなんて想定していなかった。
だが、万が一にも起これば、このような重大な問題が生じることは、科学的には理解していたはずなのだ。それでも<絶対安全だ!>と云い張る人たちがいて、ボク達も反対もせず、そんな事故はありえないと電化生活を楽しんできた。それでボクたちに罪がないと云えるだろうか?オレたちみたいな無知な消費者がいるから、災害列島ニッポンに五十幾つもの原子炉ができてしまったのではないのか?
そう云う<事故が起きたら危ないと分かっていて知らんふり>ってのは、法律用語で<未必の故意>と云って、罪に問われるのだ。

それで、よく考えてみると、どうも万が一には、どれも危ないみたいなのだ。
人の作ったものは、必ず壊れる時が来る。世に劣化しないものはなく、繰り返して荷重がかかれば、いつかは耐えきれずに崩れさる。制御不能に陥った原子炉本体は、高温に耐えきれずメルトダウンすることは、想定内のことであった。しかるに<人間の英知>で制御不能はあり得ないものと、心配する者を無知蒙昧扱いしてきたのではないか。

想定外が起きるのが人の世の常ならば、想定外を排除した議論をすべきではない。
原子力に関して云えば、万が一今回のような事故が発生した場合の速やかな除染対策が、事前に準備されていない。そんな装置は止めることだ。もったいないから騙しダマシ使いましょう、なんていうのは論外だ。放射能を完全に無害化する技術があるだろうか?たぶん今の科学技術では対応できないのだ。

海江田はバカだから、官僚の言に踊らされ、玄海再稼働を要請したが、これは政治の力をもって止めるしかないのだ。それで泣いてんだから呆れかえる。ボクから見ると、この人には見識がない。
災害は誰だっていつ起こるか予想できない。だから浜岡・玄海に限らず、すべての原発はただちに止めるのが政治家の常道だ。

むろん、電力が不足し、多くの不自由と経済的な混乱が生じるだろう。
しかし、どんな不自由でも耐え、我慢し、克服し、将来に禍根を残さぬことこそ、いまに生きる日本人に科せられた唯一の選択肢だろうとボクは思う。今日からボクは、脱原発から反原発に宗旨替えしようかと思う。

写真は、我が家のゴーヤ。七つほど実っています。もうひとつ収穫。幸いにここ国立で放射能は検出されていません。

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