団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2011年07月

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第10回の音の闇市は以下の通りです。

8月20日 (土) 午後5時30分より午後8時30分
参加費  男性3500円
      女性1500円

フリードリンク・食事付きです。
男性の方で余り飲まない方は1000円引き、お申し出ください。

JAZZ・VOCAL関係の隠れ名盤・珍盤・定番LP/CDを持参いただき
ご紹介いただきながら鑑賞する会です。

今回は、6時から8時まで、ご持参いただいたLP/CDを1枚ずつ、ジュックリとご紹介いただき、8時からはJAZZ談義・放談に花を咲かせていただければと存じております。遅くとも9時には散会の予定です。夏のいっときを、好きな音楽でご一緒に過ごしましょう。

なお席に限りがあり、満席でご迷惑をおかけしております。
参加のご希望は、このコメント欄またはEAST SIDE の掲示板または電話にて、8月15日までにご連絡ください。


EAST SIDE 夏季休暇のお知らせ

8月7日(日)より、22日(火)まで、夏季休暇いたします。

その間も在宅予定ですので、お越しいただく場合は、このコメント欄またはEAST SIDE の掲示板またはツイターのダイレクトメールでご連絡ください。

ジャケットは、私の大好きな歌手PATTI PAGE の I've heard that song beforeから。

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3年目のハイビスカスも毎日きれいに咲いています。

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ブログはしばらく夏休みいたします。

Twitterでは、毎日、思いついたことを呟き続けますので、みなさまのフォローを期待しています。

Twitterは、左欄の<ノリさんのツイッタ>をクリックいただくとご覧いただけます。

@KUNIEASTSID  真空管の喫茶店 

またTwitterは、どなたでも、ツイナビの「登録する」から無料で、140文字・回数は無限の呟きの権利がえられます。一度お試しください。

また、Twitterを開設しましたなら、このコメント欄にアカウントNoをお知らせください。ツィ友が増えるのを楽しみにしています。

では、まだまだ猛暑は続きますが、どうかお元気にお過ごしください。

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シンドバードの冒険・アラジンと不思議なランプ・アリババと40人の盗賊と云えば、シェヘラザードが語る千夜一夜物語。
飽きもせず、飽きさせもせずに1001回のブログを書くのは、ボクの目標だった。今日でこの目標は大願成就。内容にも飽きが見えてきたので、次の目標が見つかるまで、しばらく休筆しようかと思っています。

シェヘラザードは、アラブの王様シャフリヤールに嫁いだ三千一人目の花嫁だった。この王様とんでもない奴で、初婚の王妃が不貞を働いたことから女性不信に陥る。それからは毎日処女を娶り、翌朝には処刑しちゃうと云うからその恨みたるや恐れ入谷の鬼子母神である。
大臣の娘のシェヘラザードは、周囲の反対を押し切って、三千一人目の王妃として夜伽に加わるのである。そして初夜で語り出すのが、千夜一夜物語のはじまり。シェヘラザードの話の面白さに引きこまれた王様は処刑を伸ばし、夜な夜なシェヘラザードの夜伽を聴くうちに、つもり積もった話が千一夜。その間にシェヘラザードは三人の子をもうけ、王様の女性不信も収まったと云う、めでたし目出たしのお話である。

男と女の話では、なでしこを率いて世界を制覇した佐々木監督。
男の世界で通用することも、女の世界では通用しない。どうすれば女性に慕われるか?カミサンから伝授されたのが、<鼻毛を伸ばさない><身だしなみ><恰好をつけるな>だったそうだ。
男は身だしなみに拘らぬが、メンツにはこだわる。これが男の<恰好をつける>やり方だ。女はさりげなくネイルアートで身を飾る。身を飾るのは、女性の恰好の付け方である。そしてお互いにその美の才をほめる。
のりさんと呼ばれ、男のメンツを捨てた佐々木監督は、そんな女性の中に溶け込み、日本女性の持つ才能を極限にまで引き出した。ボクには到底まねできない、これは天賦の才能である。

これが男の世界だったらどうなるか?
よく引き合いに出されるのが、野球の星野監督である。鉄拳制裁・丸坊主。これは明治大学の名物監督だった島岡譲りである。星野はダンディーではあるが、チラチャラしたことが嫌い。試合前にネイルアートに余念がない選手がいたら、ケツをけり上げられただろう。
男とは、ひそかな自負心をだれもが持っている。叱り飛ばしながらも、この自負心までもへし折ってしまえば、反抗するか、すねるか、脱落の道をたどる。と言っておだてれば図に乗る。力のある選手ほど扱いにくいものだ。その中で頭角を現すものが真のカリスマを背負ったリーダーである。しかし、出る杭は叩かれ、曲がった釘は抜かれる。とかくこの世はむずかしい。

男と女の恰好の付け方の違いを理解し、自然体で接する才を持たねば、良きリーダーにはなれない。リーダーには、そんな人格的才能が基盤にあり、理論的には戦いに勝つ戦略・戦術を心得た大局観が指揮官には求められる。
後者の才は、後天的に努力すればえられるが、前者の才は天与のもの。明暗を分けるペナルティーキック戦。最も緊張する場面で、笑顔の平常心を見せた佐々木監督は、リーダーたるにふさわしい。真似して出来るものではない。

そんな真似ができない俗世を離れ、ブログ三昧の日々を過ごしてきたが、もう64才になってしまった。
きのう原田芳雄は71才でこの世を去った。半年前まで昔の面影のままで俳優を演じていたが、すっかり変わり果てて車いすに乗っていた。65才を過ぎれば、誰だって明日の命は予測も出来ない。大学時代の友人からメールをもらった。隠れ脳梗塞が10も見つかったそうだ。団塊もそろそろバラけ出す年代に達した。余命も少なくなったから、人生の仕上げを急がねばならぬ気がしてきた。

このグログの千回記念を、なでしこジャパンが花を添えてくれた。ありがとう。

努力と継続とは力なりである。歴史に残る快挙・・・東京オリンピックの鬼の大松・東洋の魔女以来だから、半世紀ぶりの快挙である。日本中が歓喜に湧いた。
思いだすと、あの時の魔女は、日本人でも大柄な女性たちだった。しかし今回は平均身長162センチ。そのへんに溢れている普通の女の子たちである。鍛え上げれば、誰でも世界一になれそうな気さえする。

それがなぜ??なぜ体格で圧倒的に見劣りする日本女性が世界一になれたのか?これは夢か?偶然か?神の加護なのか?東洋の魔女と共通する点が一つある。それはしつこい粘りである。魔女は回転レシーブを編み出し、ボールを拾いまくった。なでしこは、正確なパスで120分走り抜いて見せた。諦めない粘り強さ・・・これは日本女性が持っている伝統的な強さに違いないと思った。

違う点は一つある。監督の大松は鬼になって、選手を鍛え上げた。佐々木は、ぼくと同じくノリさんと親しれ、冗談を交えて選手の目線で接してきた。半世紀の時代が流れたが、日本女性の粘り強さを磨き上げる手法は変わったようだ。

ともかくすごいことを何気なくやってくれた。
世界中がこのミラクルに驚かされた。まさかドイツを破り、アメリカに勝とは誰が予想しただろうか?この勝利は、日本人だけじゃなくて、韓国・北朝鮮・中国を痛く刺激したはずだから、国を挙げて支援体制を敷くに違いない。今後はアジアを制することも大変になる。

特質すべきは、逆境でもへこたれずに、冷静で粘り強いことだろう。
時間がなくても、慌てず騒がず球を回す。点を取る時は電光石火の早業だ。延長後半の澤の同点ゴールは決勝戦のハイライト。アメリカのゴールキーパーは、明らかな時間稼ぎの過剰演技でうずくまる。残り時間3分。コーナーキックを得た日本は、刻々と時間がたつのも意に介さず、起死回生の秘策を練る。ここで慌てないのがこのチームの強さだ。
宮間あや、25才、身長157センチ。不敵な面構えで、ボール蹴らせたら正確無比。低く鋭いキックはニアサイドにボールを蹴った。そこに立ちはだかる白いユニフォームの大女2人。後ろからするスルスルと抜け出したのが澤穂希。33才。身長164センチ。大女の前に右足を高く挙げ、一瞬の居合蹴りだ。ボールは、澤の足をかすかにかすり、コースをわずかに変えて、沢の背後のネットを鋭く揺らした。場内は一瞬の静寂。そして歓声。同点だ。ボクも思わず立ち上がって、叫んでしまった。

120分の死闘が終わりかけたとき、アメリカは最後の攻勢に出た。ダイレクトの縦パス。するっと抜けようとした瞬間に石清水が捨て身のタックル。白いユニフォームがペナルティーエリアにバタッと倒れる。すわペナルティーか?石清水はレッドカードで一発退場。絶体絶命のフリーキック。危険なタックルではないが、あのまま抜け出ていれば、失点は免れなかっただろう。

アメリカは日本より強かったが、勝利の女神がほほ笑まなかった。勝利の女神は、実力より運を味方につけた日本に栄冠を届けた。この勝ちは、神がかりといって間違いない。日本にはいくつもの幸運が重なり、アメリカにはいくつもの不運が訪れた。その大きな差が明暗を分けた。

脱原発・電力自由化は、新たな時代の産業革命。低迷する日本経済の救世主になるだろう。

地域独占をやめ、電力の自由化を進めれば、総合エネルギー会社を目指す西部ガス・大阪瓦斯・東邦ガス・東京ガスなど各地のガス会社はこぞって電力供給に参入する。
大都市圏に既存のサービス網を持ったガス臭い新たな電力供給網は、大都市の地域経済を活性化させ、電力会社より魅了十分な料金を提供するだろう。

なぜなら検針はガス・電力一人で済むし、メンテ・サービスマンも兼務可能。大幅な人件費削減が期待できる。電力ソースは自前のLNG基地の増設で済む。鉄鋼会社と合弁会社を作れば、発電ノウハウと運転要員は確保できる。送電網はガス管に添えわせて地中化。市街地から電柱が消える。

電力を自由化すれば、石油会社は、廃止した精油所跡地に発電所を建設する。
コンビナート内に電気・ガス・廃熱エネルギー(蒸気・温水・冷水)を組み合わせたハイブリッド・エネルギー供給網を築くだろう。
更にTAX-FREE FOREIGN ACCESS ZONE特区の政策を進めれば、工業団地の企業誘致が促進され、地域は雇用増大する。町に人が溢れ、シャッター街に人があふれる。地方税は増加し、地域は再生する。

かくして、大都市圏はガス会社が総合エネルギー会社として台頭し、地方のコンビナートは、石油会社を中核とした総合エネルギー会社に変身する。かくなる日本再生プランのシナリオが出来るのではないか?企業にお勤めのみなさん。ハイブリッド・エネルギーのエンジニアリングを売り込む営業チャンスですよ!!!

脱原発・電力自由化は、既得権益を破壊し、新しい産業を日本に興す起爆剤になるに違いない。

言葉は力であり、言葉は無力である。
言葉で友を得るが、言葉で友を失う。
言葉は暴力に勝てないが、暴力を破るのは言葉しかない。

言葉は魂を揺するが、言葉で自分の魂をも失う。
言葉を失うことは、社会との遮断である。
その沈黙は、名もなき人の心の叫び声である。

人は言葉を失うことが出来るか?
言葉は神が与えた人類への智恵である。
言葉とは人が無力だと悟らせる神が与えた試練である。

人はたぶん・・試練に耐えて生きねばならぬ。
言葉を失うことは、ただ一つ人に残された神への抵抗かもしれない。
多くを語ることはない。言葉が少ないほど、言葉は説得力を持つに違いない。

人は、心を無にし、人の言葉に耳を傾ければ、真実か、虚偽か、虚飾の果てか、見えてくる。
ブログやツイッターとは、魂の叫び声を、直接伝えるリアルな手段に違いない。
日本人のつぶやきは、現代に生き残った安倍晴明の言霊かもしれない。

夏だから暑いのは当たり前。でも暑い。
いつもの年ならこれからが梅雨明けなのだが、今年は開けたのが早いから長い夏になりそうだ。食欲も落ちるが、人の動きも鈍くなる。夏枯れ時と云うが、商店街にとっては厳しく長い夏になりそうだ。
カネさえあれば、軽井沢の避暑地に別荘を兼ねた山小屋風の喫茶店を開き、ひと夏をそこで過ごすなんてのは、ボクの理想だ。アルバイトを雇っても、年間の稼ぎくらいは出そうな気もする。サマージャンボが当たれば、考えてみよう。

近所の園芸店は、真夏は園芸植物が持たないから、8月は丸々を休業する。真冬の2月も園芸の端境期で休業。1年を10カ月で暮らす。休みはハワイなどで過ごすと云うからうらやましい。しかし普段は働き者だし、第一にここの花の苗は一味もふた味も違う。よく咲き、長持ちし、丈夫なのだ。それで常連さんも多い。贈答用のランなんかは間違いなく、他のものとは違う。違いの分かる常連さんでにぎわっている。

何が違うかと云えば、花の仕入れの目効きなのだ。花の咲く前に苗の段階で優劣を見抜く。それが積み重なってくると、信頼の置ける生産者が見えてくるのだそうだ。なんでもそうかもしれないが、素材が一番で、その素材を磨くのは、生産者の腕に全てがかかっている。

日本人は、この手塩にかけて、優れた製品を育てる才に優れた民族だ。
それが園芸だけじゃなく、ものづくり全てが高い品質を求めて、切磋琢磨の日々を重ねている。トヨタだって、シャープの世界の亀山だって、この日本人の腕なくして、世界一にはなれないのだ。

それが最近の経済界では、<円高><電力料金高>で、海外移転が進むと警鐘を鳴らし続けている。財界御用新聞の日経は、バカの一つ覚えのように、<企業が海外に逃げる>と、国民を脅し続けている。ボクなどは、<日本人の能力>に依存しない企業は、安い生産立地を求めて、トットと出て行って欲しいと願っている。

日本人は、世界中から良い素材と資源を集め、日本国内でなければ出来ないモノ作りに拘って、生きていけばいいのじゃないか。とボクは思う。

夏のけだるさのせいだろうか?いや・・・寝不足なのだ。
なでしこジャパンの応援で3時半から起きていたせいで睡魔が襲ってきた。それにしても、日本のオナゴどもは、けなげにも強いじゃないか。10センチも平均身長が低いのに、正確なパスワークと、ピンポイントのスルーパスで、相手の防御の裏を突く。動物的カンと云うより、鍛え抜かれた組織力を感じる。むろんキャプテン沢の判断力とセンスも光るのだが、あの顔はどこにでもいそうな日本のおばちゃんなのだ。強そうに見えずに勝つのがすごい。こうなったら、ぜひ優勝して欲しい。

脱原発宣言で起死回生を狙う菅の支持率は、16%にも落ち込んだのに、奇妙な政治的均衡が政治を安定させている。政党支持率は、民主も自民も17%と超安値安定で、菅内閣の支持率と変わらない。菅を引きずり降ろしたところで、期待する政党も政治家も見当たらないからだ。

そんな時は、なでしこジャパンのように組織力なのだが、民主党内はガタガタ。政権与党の体をなしていない。前原がハトヤマやオザワの力を借りねば、菅を引きずり降ろせないとは情けない。民主党の人材が、いかに払底しているか見て取れる。
これでは誰が首班に指名されようが、大臣の椅子にふさわしい人物は見いだせず、結局オザワやハトが人事に口を出す。ところが方向性がマチマチだから、すぐに閣内は不統一。菅を代えたところで、現在の民主党は綱領もなく、主義主張の異なる連中の集合体にしか過ぎない。
菅のように、嫌われても、嫌われても、徹底的にオザワを無視すればよいが、前原ではオザワの院政が復活する。それにハトが鳴き出せば、この党の自壊は早まるばかりだ。
さりながら、自民党が受け皿になるかと云えば、そんな期待感もない。原子力行政の責任を問えば、自民党の時代の失政に起因する。

ハッキリ言って、民主も、自民も国民の期待外れなのだ。
明治維新に例えれば、両党は徳川幕府と藩閥同盟。どちらも旧体制の残骸なのだ。これを引きずっている限り、この国はよくならない。
さすれば・・どうすればよくなるか?
維新政府が断行したように、旧体制を解体し、<版籍奉還>させることだ。具体的に云えば、政党に与えた<政党助成金の召し上げ><世襲代議士の立候補禁止>。<全ての団体からの政治献金の禁止>である。代議士の三種の神器とされる<地盤・看板・カバン>を召し上げないと、過去の利益集団との癒着としがらみは断ち切れない。

そして、明確な国家ビジョンを示す新たな政策集団なり、政党が再編されることだ。そうでもしない限り、この国の政治的混乱は収束しない。ともかく国民主権で、幸福になるための国家指針を明確に示してくれないと、しがらみを背負った既存の政党では選択のしようもない。

だが<政党助成金>の召し上げは、議員のオマンマの喰い上げだから、共産党以外の政党はこぞって反対する。世襲議員の立候補禁止は、憲法が保障する<職業選択の自由>が盾になって実現しないだろう。企業団体からの献金禁止も実現困難だろう。それでボクが理想とする日本の政界浄化策は、日の目を見ることはないだろう。

そうなると暴力的革命で全てをぶち壊し、憲法を改正するしか手がない。もしそれが出来るとすれば軍隊しかない。だが今の自衛隊にはその力もないし、三島由紀夫に呼応するような覇気も感じられない。
イスラム社会のように強烈な信仰力で国を動かすことは可能だが、多くの国民が信仰心すら失った日本ではそれも不可能だ。現状のダメな政治風土を変える力は、どう見ても日本には見当たらない。
国民がこんな状況に気が付き、一人でもダメな議員を落選させ、政界から抹殺しない限り、日本のけだるい混迷は続くだろう。

田舎は旧盆だからあまり実感がないが、明日から新盆である。
盆と云う習慣は、てっきり仏教の儀式かと思っていたら、どうもそうではないらしい。死者の霊を迎え饗宴饗食するのは日本古来の祭事のようである。日本人は盆と正月の2回、祖先を迎え、祭壇を構え、供物を供え、祖霊と共に過ごす。

そんな訳で(訳などどうでもいいのだが・・)、昨日は風呂上がりに寿司屋で一杯飲んでしまった。
生ビールに白焼あなご、それに新子を酢にサーッと潜らせたものがツマミである。1杯のつもりが3杯になっても、この暑さだ。体中に滲み渡って、スーッと消えてしまった。(新子:コノシロの子供・貴重で高価)
何せこの時期の新子は美味い。寿司で握れば3匹で1個。1貫で6匹も食べちゃう訳だ。魚が小さいから骨抜きなど手間がかかる。それでこの美味さが解らぬ客には、大将は勧めない。食べた客も、この美味さを誉めてあげないと大将の苦労が報われない。

そのあたりは阿吽の呼吸だ。付け台に座ったら、<大将、今日は何が美味い?>て聞いてみるがよい。だが、ときどき偏屈なオヤジがいて<うちには、不味いものは一つも置いてないよ!>って、そっぽ向く大将もいる。一見の客は、常連のそぶりを見てから、オヤジに声を掛けた方がいい。

ときどき、うちにもそんな客が来て、マスターの一番のお勧め聴かせてよ。ってリクエストされる。ボクは<みせにあるものみんなお勧めですよ。>とそっけない。5千枚から1枚が選べたら、そんなに買い集める訳がないじゃないか?

寿司屋で旬を食べるツウは、江戸前を選ばねばならぬ。江戸前の寿司屋でマグロのトロなど愛でるものは、中国人。真の江戸っ子は、この時期、酢で締めたものか、煮アナゴ、白焼きアナゴに下しワサビで冷酒が似合う。コチやサヨリなんてのは、これからが美味い。関西ならさしずめ鱧(はも)料理なのだろう。

梅雨開け10日。
昔なら、デパートの屋上で生ビールの季節である。昼間の火照りを、月夜の涼風がほほをなで、吹き払う。口を泡だらけにしながら大ジョッキを飲む瞬間がたまらない。生ビールのお供と云えば、枝豆にヤキトリ。ビヤガーデンに一人で行くのは淋しいが、みんなでワイワイ飲むのは楽しいものだ。

春夏秋冬。山海の珍味に恵まれた日本に生まれてよかった。政治家を抜きにすれば、これほどよい国はない。
子供じゃああるまいし、サビ抜きの寿司など生臭くって喰えない。政治も同じで、どこかにツゥーンとサビの利いた政治家はいないものだろうか。最近の政治家は、いくらワサビを利かせても、臭くて喰えない者ばかりである。

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