団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2009年12月

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さくじつの忘年会は、遠路ご来店いただきありがとうございました。
初めてで不慣れのために、何かと配慮の足りない点が多々あったと思われますが、真空管の音に免じて店主の不作法を赦しください。

それにオニギリ・ナッツなどの差し入れをいただき、感謝・感謝です。差し入れも沢山いただいたので、皆さまの食べ具合を見ながら食事を出そうと考えていたら、メインのオードブルを出し忘れてしまいました。
閉会の間際に思い出して慌てて出したのですが、≪もう食べれないよ。≫と、ハム・ソーセージが沢山残ってしまいました。ピザも3枚ほど焼くばかりだったのですが、お腹が一杯そうなので断念。さらに足りなければレンジでチンのポップコーンも待機していました。そんな訳で今日からは、残った食材の在庫処分で太りそうです。

最後は近くの洋菓子屋さんの多摩蘭シューに当店自慢のコーヒー。普段こんなにいっぺんに淹れることもないので、豆の分量がちょっと不安。2杯目は、考えて薄めに淹れたら、酔っているのに≪ちょっと、薄めかも・・。≫との指摘です。さすがコーヒー通は恐ろしい。

参加者は店主を含めて10名でした。この店の大きさを考えるとこのくらいが精一杯。5時開店で、皆さまがそろったのは6時ころでした。

EAST SIDEの紅白歌合戦は、寺内たけしのエレキに始まって、神様ベンチャーズが登場。これは≪このくらいの剛速球は投げれるぞ。≫と云った往年のスピーカーの肩慣らしです。
あまり最初から頑張りすぎたのか、途中で片一方のスピーカーから音が出なくなるハプニング。メカに強い田中さんの見立てですぐに回復。なんとか続けることができました。

それからマックス・ローチとクリフォード・ブラウンの耳をつんざくドラムとトランペット。これはあの名盤の2の方です。さすが名盤です。私も1を掛けようかと用意していたのですが、ちょっと言い出しかねて(I can´t started)、完全に“I get kick of you”でした???

お持ちいただいた新旧のJAZZボーカルや多国籍音楽など、お勧め選曲に堪能させられました。浅川マキやちあきなおみ、沢たまきなども飛び入り参加。みなさま持ち込みの音楽に思わず拍手が湧きあがり、盛会の内に10時閉店となりました。

≪新年会もやろう!≫とお声がかかりましたが、≪来年のことは鬼が笑う≫と申します。TOPSのマスターに相談して、今後の運営を考えてみたいと思っています。

食べ物は、もう少し簡素にして月例?隔月?3か月?半年?などやってみたいと思います。でもこれは店主が望んで出来ることではないので、お客様次第です。このようなレコード・PL持ち込みの鑑賞会を企画していただけるとありがたく存じます。
貸切りも可能です。レンジでチンのポップコーンも使わずに残されました。いつでもポップコーン・パーティーをどうぞ。

お客様のお一人の女性が、JAZZ批評に連載されているとかで、2月頃の記事に紹介していただけるかもとのことでした。今からどんな内容か楽しみです。

1月は、6日(水)から営業です。越寒梅の升酒をサービスします。ただし先着8人様くらいです。初日に残ってしまったら、在庫処分で店主の腹に収めますのでご了承ください。

武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷・・ここに谷保天満宮が鎮座する。何でも関東の天神様では歴史が一番古く、亀戸・湯島と合わせて江戸の3大天満宮と称する。

ここまで来るには、日本橋を立って、半蔵門から甲州街道をまっしぐら。内藤新宿・高井戸宿・布田宿・府中宿・・次の日野宿との中間に天神様があった。距離にして9里(約36キロ)の道のりである。

明け六つに江戸を出発すれば、このあたりで野に日が暮れかかる。急がねば日野宿に到着するころは真っ暗だ。そこで、江戸っ子は、谷保天満宮を野暮(ヤボ)天神と云ったとか言わないとか。

≪五月の鯉で口ばかり、宵越しの銭は持たず、気が早い、粋でいなせ≫を江戸っ子気質(かたぎ)という。
江戸っ子に言わせれば、上方を≪上方贅六(ぜえろく=才六)≫と軽んじて罵しり、田舎者を野暮(ヤボ)と嘲笑った。

岩手から上京し、文京6中に入ったオザワ少年などは、東北訛りが残っていたので、≪ヤボでエンガチョ≫とからかわれ、ために性格が暗くなったという。どうも悪気はないらしいのだが、江戸っ子は、まどろっこしいのが嫌いなのだ。それでオザワ少年も短気だけが移ったらしい。

この気質は、江戸っ子でも下町文化。つまり職人や、江戸八百八町の台所を支えた≪神田のやっちゃば(青果市場)≫と≪日本橋の魚河岸≫、それに火事と喧嘩は江戸の華とうたわれた≪いろは四十八組≫の町火消の気質である。

そこに幡随院 長兵衛や花川戸の助六みてえな侠客が加わり、色街の芸者が華を添え、酒が加われば宵越しの銭は持たなくなるのは当然の成り行きだ。

築地と云えば、魚河岸。現在の築地市場は、関東大震災のあとに、日本橋魚河岸が移転されて出来上がったものらしい。
この江戸前の浅瀬で取れた魚で握った寿司が、江戸前寿司。なにせ目の前のネタをささっと握って≪あいよ≫って出されるものだから、粋でいなせで、気っぷっがよく、気の早い江戸子気質(かたぎ)に受けて、たちまちに巷の人気となっていった。

そこに比べて、江戸から九里も離れた谷保は土臭い。≪あんだって、ウザったい≫のである。今では使われなくなったが、≪~ダベ≫と語尾に付ける方言が生きていた。≪~ジャン≫も使われるらしいが、どうも横浜弁が多摩川をさかのぼって定着したのではないだろうか。

むかし犬の糞など踏み付けると≪えんがちょ。えんがちょ≫と囃したてられ、子供心を痛く傷つけらた記憶が残る。オザワ君も思わず泣いてしまったものだが、これも多摩方言のようだ。

そんなウザイ地に、関東大震災でダメージを受けた東京商科大学(一橋大学)が移転してきてから、谷保村は国立と改められた。国立大学があるので国立かと思っていたら、立川と国分寺の間だから、国立と名付けたらしく、日本初の文教都市にしては安易なウザイ命名である。

そうは云っても、江戸は徳川家康の入府(天正18年(1590年))以前は、鎌倉武士の流れを汲む太田道灌の城下町だった。さらに遡れば武蔵国の中心は、府中に国府があった。国分寺は聖武天皇が全国に命じて建立された国立の寺院だった。ここ谷保は、府中国府に接する武蔵の中心だったのだ。

そんな文化の残る国立にEAST SIDEは、戦後の進駐軍が連れてきたアメリカ音楽を流しています。ヤボなことは言いません。ぜひ一度ご来店ください。

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We Wish You A Merry Christmas!
寒波の到来で、北国の街は、Dashing through the snow。今日はキリスト生誕の日にあって、ニワトリの受難の日でもある。なんでも西洋では七面鳥を食べるそうだが、日本ではニワトリが代用食である。

トリと云えば、日本では古代から霊界とこの世を結ぶ霊鳥であった。神社の鳥居の原型は、吉野里遺跡にも痕跡が残り、古墳には鶏や水鳥の埴輪が死出のお供とされた。そんな霊鳥を七面鳥の身代りに食べちゃうなんて!!こんな風習は、進駐軍が日本を占領して以来の出来事らしい。

最近≪天の声≫ばかり書いていたら、喫茶≪店主≫が≪天主≫に変換されてしまった。オザワさんじゃああるまいし、ちっぽけな喫茶店主が「喫茶天主」では、イブだと云うのに、お客様の足が遠のくばかりだ。

もしかすると天主と変換されたのは、神の啓示かもしれない。このさい占い師になって、天のお告げを始めたらどうだろう。仕入れも在庫もいらず、賞味期限もないから、コストは限りなくゼロにちかい。なんでも新宿の占い師は1分毎にいくらとか、20分で3千円も取るらしい。それで流行るからボロ儲けである。
男は、3千円もあれば酒で憂さを晴らすが、女は信心深く悩みをため込む性格だから、圧倒的に女性信者が多い。悩み事は同性に聴いてもらう方が打ち明けやすい。だからこの商売は女性に向いている。

だが私には、50数代続いた神職家の血が流れている。祖先は、あの≪蘇我稲目≫なのだ。蘇我入鹿の従兄弟は、我が祖先の家祖だと系図に残されている。
いらい世襲を50数代重ねて、能登国一の宮気多大社の八家体制を護ってきた。爺さんが転職さえしなければ、いまでも気多の社務所の地(ここで父は生まれた)に留まっていたかもしれないのだ。

祖先のおばさんの一人は、聖武天皇の後宮に仕え、従五位下をたまわる。その名は、気太君十千代と云って、続日本記(国史)に記されている。天平17年(746)の正月、そのおばさんの功績により、わが同族八家は気太君の姓を賜った。

江戸時代中期おばさんのひとりは、加賀百万石の江戸本邸(本郷)に奉公にあがり、筆頭老女(女性の家老職)までのぼり詰めた。前田利家サンからは、三五〇石を寄進され、加賀藩筆頭の寺社格を保証されていた。

だから私のDNAには、加持祈祷・病気平癒・なさぬ恋の成就・合格祈願・・・森羅万象あらゆる願い事を天に届け、地に申し渡す尊いノウハウが植えつけられているはずだ・・と自信はないが思う。

きっと・・そうに間違いない。いまでは霊能力も落ちているが、そんじょそこらの国学院を出たばっかりの神主よりも話もうまいし、社会経験はたっぷりと積んでいる。人徳だって備わっているにちがいない?それに文章だって毎日磨いているのだ。
そんな大事なことも気づかないで、しがないサラリーマン勤めを38年も続けてしまった。あァ~もったいない!

それが・・・いまやどこの馬の骨とも分らぬオザワ君に≪天の声≫を取り上げられ、≪天主≫の座から≪店主≫の座に格下げされてしまった。その上、民主党を信頼して投票したら、裏切られてしまった。いまさらポット出の世襲自民党に豹変するには、わが名家の血が許さない。

いっそのこと、自ら政治家になれば・・だが地盤・看板・カバンがない。それに悪いことに、お坊ちゃまの教育も受けていないし、ブリジストンの資産もないのだ。よく考えてみれば、人徳だって備わちゃあいない。選挙に討ってでれば、野垂れ死が見えている。オザワ君のように天主を目指すより、店主でいた方が無難らしい。

26日の土曜日は、夕方からパティー予約のため、店は6時で閉店いたします。
当日の4時からは、NKK時代の先輩が、NHK・FMでカントリー特集の解説者で出演するそうなので、カントリー特集にしたいと考えています。

27日は、忘年会を5時から開催します。今のところ6名様が予約されました。予約なしでも入場可能と思いますので、覗いてみてください。

写真は、谷保天満宮境内のにわとりです。

男と女の間には、≪騙す≫とか≪嘘≫とか≪罪≫とか≪バカなのね。≫と云った深くて暗い川がある。

だがそこには、愛を駆け引きにした哀しく切ないゲームがあるから、≪泣いた女がバカなのね≫と言われようが、≪騙した男が悪いのね≫と言われようが、深くて暗い川は、背番号3と共に永遠不滅なのだ。

たいがい歌の世界では、騙すのは男で、騙されて泣くのは女と決まっている。女はなかなか≪悪女≫にはなれぬようだ。
ことし紫綬褒章に輝いた中島みゆきは、≪いかないで、悪女になるから・・月夜はおよしよ 素直になりすぎる≫と歌っていた。

オオカミ人間は、満月に変身するそうだ。だが政治家は、≪いかないで、悪女になるから・・月夜はおよしよ≫と止めたって、素直じゃないから月夜のない暗い夜に変身する。

≪全国民≫≪天の声≫≪天皇はそう思っている≫などと虎の威を借るきつね・・あの闇黒の帝王・政界のドンことオザワ君が動き出したのは、月夜が欠ける新月17日の夜からだった。

あの月の出ない夜から、宇宙人ハトヤマ君は悩みぬく。そして4日目。ハトヤマ君はマザコンからも決別し贈与税を払う決心をおこなう。ついでに地球人の男の≪嘘≫と≪騙し≫のテクニックを身につけ、たくましい≪罪な男≫に変身した。きっと、優等生タイガーの変身ぶりもハトヤマ君を勇気づけただろう。

国民はやはり政治家のウソに騙されていた。これが男女の愛であれば、ウソでもいいから愛されたいものだが、因幡の白ウサギに騙されたワニの心境で、おさまらないのは国民の怒りである。

騙した民主党議員は、≪泣いた国民がバカなのね。≫って、今頃うそぶいているのだろうか?
≪大盤振る舞いのマニフェストは必ず守る。国の借金はこれ以上増さない。その財源は、政府のムダの排除と、370兆円にもなる特別会計の埋蔵金からねん出する。≫これが民主党の全国民にたいする誓約だったのだ。

≪コン畜生。バカ野郎~ ~≫≪おれの青春を返せ~≫って叫んだって、戻っちゃあこないのだ。次回のシッペ返ししか、全国民に残されていない。
こんな政治とのラブゲームに愛想がつくから、男と女は結婚せず、出生率はますます下がる?のじゃなくて、投票率はますます下がる。基礎地盤をもつ世襲議員と自治労組織しか議員になれなくなる。世の中は、深くて暗い川ばかりだ。

今年の十大事件には、1月の黒人大統領オバマの選出≪チェンジ≫に始まって、国内では≪偽装献金事件≫≪マニフェスト詐欺事件≫、そして男女のウソと云えば、絶倫男に変身したタイガーに尽きる。オバマの大統領選出も、あのノーベル賞だって、私は思わず≪ウソ~ゥ≫って叫んだのだ。

今年の1文字を選べと云えば、≪新≫でもなければ、≪嘘≫につきる。
私だって喫茶店を開いて、≪ウソッ~、本当オ?≫と、世間を驚かせたし、こんなにお客様が少ないのも≪ウソッ~≫って、想定の範囲を超えるものであった。

どうも痛みと云う奴は、表現するのがムズかしい。痛みが治まればケロッと忘れてしまうから、表現する言葉が見つからない。

先週から内またと、後頭部の皮膚の一部に針で刺したようなピリピリと電気が走る。
偏頭痛だとこめかみあたりに、ガンガンと脈を打つような痛さが襲ってくるらしいが、私の場合は後頭部のごく一部分に限られている。その痛みとは、電気クラゲの大群が襲ってきたようで、数秒おきに神経をピクッ・ビリッと逆なでし、そのたびにギクッと思考が中断される。とてもブログに集中できる状態ではない。

その痛みで昨日は眠れず、夜中にノーシンを飲んで落ち着いた。今朝から仕込みのケーキを捏ねていたら、薬が切れたみたいでズキンズキンとまた痛む。慌ててまたノーシンを飲んだので少し落ち着いたが、まだ斯くのごとく思考中断状況が残っている。

こんな時の頼りと云えば、我が家は昔から富山の置き薬だった。トンプク・ケロリン・ノーシンを飲むと頭痛が治り、ゴホンと云えば龍角散である。

痛みの原因はどうも、20年も前に罹った帯状疱疹の後遺症らしい。普通は数年で神経後遺症は無くなるようだが、私の場合は年に数度も、こんな状態に陥るのだ。別に医者がそう診断したわけじゃあないが、MRIで調べて脳腫瘍もないから、勝手に自分でそう決めつけたのだ。
いわば持病化したやまいだから、昔からの療法でその場をしのぐしかない。さすがに両コメカミに梅干しを貼るような伝統的な頭痛療法はしないが、ノーシンがあれば安心する。

ところで、昨日のテレビで、人間の寿命について新たらしい事実を教えられた。
なんでも≪アポトーシス≫とか言う奴で、人間の細胞の再生は60回が限度なのだそうだ。つまり、私の場合はもう50回ほどは使い切ってしまったから、どんなに頑張っても残りは10回くらいしか細胞再生能力がないのだそうだ。

なあんだ・そうか!(合点・ガッテン・がってん!!)寿命は、生まれた時から時限爆弾のようにヒトの細胞の中に組み込まれていたのだ。それがコチコチと時を刻んでいるなんて、心臓の鼓動を聴くようで妙に納得させられる。できれば取り外してみたいものだが、それが生物のオキテらしくってダメらしい。
なんでもこの≪アポトーシス≫は動物特有の遺伝子に組み込まれているらしく、ガラパゴスゾウガメの遺伝子でも組み込まない限り、人間の寿命は120歳くらいが限度なのだそうだ。

徐々に細胞の再生能力が落ち、老化現象がでるのは、誰にでも必ず起きる自然現象なのだ。
老人性難聴・視力低下・記憶力減退・精力減退・冷え性・更年期障害・疲労・うつ状態・インポテンツ(勃起不全)・不眠症・骨粗しょう症・関節痛・腰痛・老臭・動脈硬化・糖尿病・痴呆・・・数えあげたらきりがない。

だましダマし、加齢現象と付き合うしかないのだ。そして最後の1回の≪アポトーシス≫を使い切ってしまうと、かならず自然死が待っている。

EAST SIDEを開業して、気づいたことが一つある。
リピーターでやってくるお客様は、圧倒的に≪アポトーシス≫を50回以上も使い果たした高齢者である。皆さん≪真空管の音≫に惹かれてやってくる。お話をすると、多趣味で好奇心旺盛な方ばかりだとわかる。引き籠りはいないので、話はいつも外気に触れて新鮮である。それにお酒にも強く、音を肴に楽しんでいる。どうも真空管の音と、アクティブ・シニアに相関関係があるようだ。

EAST SIDEは、そんなアクティブ・シニア層のたまり場になりつつあるような気がします。

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≪団塊も御用納めの歳の暮れ≫ NORI翁

団塊は、これまでの先輩世代と違い、定年後せいぜい2年くらいで御用納め。63歳以上も勤め続ける例はまず少ない。それは、戦前・戦中世代が100万人くらいで推移してきたのに対して、一気に200万人に倍増し、社会の受け皿が整っていないせいだ。
いくら国が助成金制度を創って70歳まで働いて欲しいと頼んでも、冷え切った経済情勢では夢のまた夢。そんなわけでチマタには、元気のよい初期高齢者がウジャウジャとさ迷うことになる。

僕らは、小学校から教室が足りなくて、午前組・午後組の2部式授業。やっと急増のプレハブ校舎に収容されたのは半年後だった。
終戦の落とし子に生まれた平和な時代の厄介者。生まれた時から過飽和で、死ぬ時までもチョウ過密。火葬場だって足りっこない。やむなく10日くらいは、冷凍倉庫で順番を待つ運命にある。

さりながら、世の中には余人をもって代えがたい特技を持つ方もたくさんいる。専門職として残る方は、希望すれば70近くまで働けるかもしれない。だが大概の団塊サラリーマンは、余人をもって替えやすく、代わりの人材はいくらでもいるだろう。

高級官僚となった超エリートたちだって、天下り先の外郭団体が減り、官製談合もなくなったので、民間会社への天下りもままならない。団塊世代は、先輩の路線を守り、天下った先輩を支えるために、必要悪と知りつつ談合を仕切ってきた。だがいざ自分の番が来たというのに、甘い汁が消えてしまった。こんな理不尽なことはない。

それでも団塊亭主はやっと労働から解放され、ウキウキしているのだが、悩んでいるのは、実は団塊のカミサンである。
≪亭主元気で外が良い≫とばかりに、自由気ままな生活を送ってきた人生だ。なのに!今さら亭主ズラして家でウロウロされるのは迷惑だ。チョウ嫌だワァァ~!(もう悲鳴)。考えるだけでノイローゼになりそうだ。彼女たちは、深刻に悩んでいる。
かくしてカミサンとの融和を保つために団塊の男たちは、リックを担いでウオーキングに出かけるのだ。
だが、日本列島は寒波が襲ってきた。こんなに寒い日は、どこでどう過ごせばいいのだろう?

ここ国立East Sideは、アクティブに生きるシニアのたまり場です。ここを足場にまだまだ長い人生を楽しく過ごしましょう。
幼児期から青春時代までのレコードは、一杯あるのでリクエストください。もし他にお客様がいなければ、あなたの辿った≪傷だらけの人生≫なんてセリフ入りの演歌を、しんみり聴くのもOKです。

もちろん古いレコードをお持ちいただければ、真空管アンプでガンガン音をお聴きいただけます。アッと云う間に2時間は過ぎて行くでしょう。きっと新しい仲間もできるはず。

ところで、12月27日(日)は、5時からEAST SIDEの忘年会です。
今のところ予約は半数ほど。まだ空席がありますので、おはやめにご連絡ください。

何でもありの音の闇なべ市ですが、出来れば私の好きな女性ボーカルの美味しいレコードやCDを紹介いただけると嬉しい。

写真は、三木のり平の≪戻れぬ人生≫EP盤です。

「これは、党の要望というより全国民の要望だ。」と、オザワは≪暫定税率の存続≫≪子供手当の所得制限≫を居ならぶ閣僚を睥睨(へいげい)して一喝した。

ちょっと待ってよ、オザワさん。

ワタシャあね。≪暫定税率の存続≫≪子供手当の所得制限≫なんて、あんたに頼んだ覚えはない・・
それよりか、暫定税率を廃止すると云うから投票したのだ。2兆5千億も税収が減って大丈夫か?って心配したら、政府のムダを排除するから大丈夫。って胸を叩いていたじゃあないか。それで、どれだけ政府のムダは排除できたのだろう?あの仕分会議は、パフォーマンスだったのかい?ホント、政治家はいい加減なんだから・・。

国民にだって色々な考えがある。大政翼賛会じゃああるまいし、小沢よ、勝手に全国民を代表して大見えを切らないでほしい。私だって、一国民なのだから・・。

あなたは、何かと云うと≪憲法に則って≫とか、≪天皇陛下もそう考えているに違いない≫とか、≪国民の要望≫とか、それに時には≪天の声≫まで使い、自分勝手な思い込みで、大上段に魔剣を振りかざす悪い癖がある。
あなたがすごむと、顔が怖くて、目が陰湿で、態度がでかいから、それだけで威圧される。笑った顔は、なぜかわざとらしい。
あなたの態度は、まるでヤクザにみえた。ゼネコンだけじゃなく、誰だって怖がって煙たがる。

そんな態度だから、あなたの元を去る者は多く、政党を創っては潰し、お山の大将で孤高を保っていた。
不思議なことに、いつの間にか、あなたは、政治団体の名目でいくつものマンションを所有するほど私財だけは増えていった。

国民は、あなたが政治を道具に使ったすぐれた錬金術師じゃあないのか?と疑っている。実業家でもない職業政治家が、どうやって蓄財を増やしていくのか?もしかして、政治の場とは金鉱なんじゃないだろうか?それとも金の成る木?国民はその秘訣を聴きたがっている。

あなたの邪悪に見えるところは、≪憲法≫≪天皇陛下≫≪全国民≫を了解もなく自己の権力行使の盾に使い、挙句の果てに≪総理大臣≫すら、傀儡(かいらい:あやつり人形)に仕立てあげて、権力をほしいままにする暗黒のドンなのだ。

操り人形に使うなら、ハトヤマ君のような世間知らずのお坊ちゃまが都合がよい。そこに政治音痴の福島女史を抱え込み、飴玉をしゃぶらせておけば、共産党を除く左翼勢力の牙も抜ける。

あなたのような旧自民党の田中角栄もどきの権力志向者は、仲の良い亀井のような古い政治家と結託して政治を振り回すのを、≪国民≫は苦々しく思っている。(こんな時こそ、≪国民)とは使う言葉なのだ。)国民主権の民主国家では、権力を預かる者が謙虚さを失ったらお終いだ。

ハトヤマ(頭にくるから呼び捨て)は、≪マニフェストは国民との誓約だ。≫≪それが守られなければ、選挙で鉄槌を下してくれ≫とも選挙戦でチョウ叫んでいた。
それがたった3カ月で簡単に破られ、≪国民がマニフェストを守らなくてよいと云っている。≫などと小沢の魔剣を鵜呑みに発言する。そう云うのって、状況に合わせた柔軟な対応ではなく、無定見な御都合主義っていうのだ。

ハトヤマ君。お坊ちゃまで宇宙人だけど、あなただけは、まともな政治家だと信じていた国民も多かったはずだ。それだけに失望も、怒りも大きいのだ。

国民は、マニフェストを替えてもよいと云うだろうか?
国民が鉄槌を下すのか下ろさぬのか?

先ずは、政府のムダを徹底的に排除した実績を示してほしい。それなくして増税ならば、今すぐ内閣を解散して総選挙をしたらどうだろうか?
さすれば、オザワくんもハトヤマくんも本当の≪全国民の声≫がわかるだろう。

そもそも外国要人に会うことは、天皇の義務と課せられた国事行為だろうか?

急いで憲法第7条の天皇の国事行為を読んでみた。項に≪外国の大使及び公使を接受すること。(Receiving of foreign ambassadors and ministers)と規定されていた。

憲法上の規定では、日本に着任した大使・公使は信任状を政府に提出し、政府が承認した場合に限り、国家元首たる天皇への儀礼的な謁見が許される。と記されているだけである。

いわゆる≪皇室外交≫なる行為は、憲法上では≪国事行為≫と見なされない、天皇家の私人としてのお付き合いにすぎない。つまり公的には、天皇は国家元首としての外交権がない。したがって、外国要人と会うのは、公人でもなければ国事行為でもない。
法律的には、天皇の海外訪問も、海外要人と会うことも、国(国民)を代表する行為でも何でもない私的行為なのだ。こんなのは、むかしっからの憲法学者の通説である。

しかるに小沢は、今回の中国国家副主席と会う行為は、≪内閣の助言と承認を受ける国事行為≫だと手前勝手に拡大解釈し、従わぬ宮内庁長官は腹を切れと啖呵を切ったのだ。

≪小沢君あんたね。勝手に憲法解釈を拡大して、捻じ曲げないでくれたまえ≫と黙りこくった記者団はなぜ叫ばないのだろうか?????

飛ぶ鳥落とす権力者、全実権を掌握した傲慢な幹事長は、ギョロっと上から目線で睨みつけ、≪諸君は憲法を知っているのか!」と怒鳴るのでる。大上段に間違った憲法(剣法)を振りまわすなんて、嫌なヤツだ。オザワを好きだっていうのは、≪ブッテ。ブッテ≫って叫ぶマゾ女くらいだろうか。
≪キチガイに刃物≫≪触らぬ神にたたりなし≫という。怖くって、危なくって、祟られたらこまる。こんな男に手をださないのは、温和な日本人が培った伝統的な知恵である。

今回の天皇謁見は、かくのごとく天皇家の私的な外交にすぎない。改めて云う。国家元首ならいざ知らず、副主席と会うのは憲法が定めた天皇の国事行為ではなく、私的行為なのだ。
天皇家が、どこの馬の骨ともわからぬ諸外国の成り上がり者と全て会う必要もなければ、憲法上の義務もない。政治家の小沢からも、平野からも、ましてや相続税を滞納する首相などから、会うことを強要されるなどは論外なのだ。

≪小沢は。天皇への礼を失している。≫ばかりではなく、会うことが≪国事行為としての天皇の義務≫とまで重大な憲法違反を堂々とかたるのだ。戦争放棄の第九条を拡大する≪自衛隊≫よりも、もっと問題視すべき、悪質な≪天皇の地位を利用する政治的行為≫である。

現憲法では、戦前に軍部が天皇の名をかたり、戦争を拡大させた教訓を踏まえて、天皇の国事行為を厳密に規定している。憲法の拡大解釈をする小沢は、戦前の満州国陸軍参謀を見る思いがする。

だから、宮内庁長官が辞めることもなければ、やめさせる理由もない。本来ならば、天皇を守るべき侍従長が、≪宮中祭祀に差し支えるので、1か月以内に申し込まれた私的な謁見は、すべてお断りする≫と啖呵を切ればよいだろう。

世襲を憲法で認められるのは、天皇家だけである。その天皇家にとって一番重要な私的儀式とは、宮中祭祀なのだ。アマテラスオオミノカミの万世一系の尊いお血筋ゆえ、天皇制が続いてきたからだ。祖先を崇拝することこそ、日本人の清き伝統精神である。

40年ぶりに憲法を教わった宮沢俊義先生の『コンメンタール日本国憲法』を開きながら、代々世襲の社家(神主)の家に生まれたNORIさんは、オザワへの闘志をひそかに沸かせるのであった。

打って変って穏やかな土曜日である。暖かさに誘われて自転車で通り過ぎる人影は多い。幼い子供連れの若夫婦が興味深かそうに立ち止まったが・・行ってしまった。

2時過ぎに珈琲好きのお客さまがあらわれ、話題は国立の喫茶店となる。
どこも景気は悪いようなのだが、駅に近いB店では、隣の画廊が閉店するのを機会に店舗を広げ、分煙スペースを確保するらしい。拡張経費も相当かかるらしいが、縮じみこんでいるばかりでは発展がない。当節思いきった決断と感心する。
そこのお店は珈琲もうまいし、焙煎小売もする。店長も若くてまじめだから賑わって欲しいものだ。

何せ、町全体に活気がなければ、人通りも増えるわけがない。商店街では、お互いの店の魅力が相乗効果となり、さらに人を惹きつける町になる。
核となる集客施設がないなら、一つ一つの店が魅力的な商品を競い合い、ストリート全体がモールのように散策を楽しめないと、賑わいがなくなる。商店会の高齢化が進んでいる。世代交代を急がねば活気のない負の連鎖が拡大する。

最初のお客さんと二人で2時間ばかりそんな四方山話。お年を聴いたら聖子ちゃん世代だと云う。それで誰もこないのを幸いに、今年50になった百恵ちゃん、それに明菜とか薬師丸ひろ子、斎藤由貴、渡辺奈美子、工藤夕貴、三原順子、南野陽子、小泉明日子などPLジャケットを取り出して眺めていた。
≪若い時って、みんな愛くるしくて、いいよね~≫≪アップにたえるし、あどけない・・≫≪明菜はマッチだっけ?あの失恋から変わっちゃったのかなあ??・・≫≪薬師丸ひろ子は、年相応のいい役者になったね。≫話ははずむ。
曲は、明菜の少女Aが流れている。誰だって、アイドルにあこがれる青春時代はあったのだ。これらのレコードは、リサイクルショップにうず高く埋もれていたので、NORIさんによって救出されたものである。この世代は、CDに変わっていったから、当時のLPレコードには見向きもしない。LP需要がないので、リセール価格は限りなくゼロに近い代物である。

そこに会社時代の同僚Hさんがひょっこりと顔を出してくれた。≪いやぁ、あの~、普段聴かないんだけど、・・・≫慌てて、ナンシーシナトラに掛け直す。(ナンシーだって明菜だって50歩100歩かも知れない・・)

Hさんは、6時から国立高校野球部のOB会があるというので、その前に立ち寄ってくれたのだ。国高・一橋という地元の名門コースを歩いたエリートだなんて知らなかった。この町は彼の故郷だったのだ。

友は友を呼ぶものだ。5分も立たずに、会社時代の後輩O君も顔を出してくれた。吉祥寺で忘年会があるので、その前に立ち寄ってくれたのだ。
お二人は、私が最近しょぼいブログばかり書くので、励ましにきてくれたのに違いない。やはり40年近く働いた会社の≪縁≫とはありがたいものだ。

お二人ともまだ現役で働いているから、話題は会社の近況となる。暗い話題が出なかったので、こんな不景気な世の中でも、業績は保っているのだろうか。
私が退社した後で、子会社の大統合・組織の大改正があった。親会社から子会社に散らばった昔の仲間がどこでどう働いているのか見当もつかない。話によれば、残っていた私の同期生は、来春までにほぼ退職するらしい。150人もいた同期も、それぞれに第二の人生を歩んでいるようだ。

最後になって正統派のJAZZをかけると、O君が≪JAZZ喫茶みたい・・≫と叫ぶ。そうここは本当はJAZZ喫茶なんです。

≪むなしさは お役にたてない豆に似て  氷雨の店主 苦くしぼまむ≫ NORI翁

≪堅苦しい話ばっかりで、ブログなぞ誰も読んでくれなくなるゾ。≫って、友人から警告があった。
ブログの人気が無くなるのは自業自得で致しかたないが、≪小うるさいオヤジのコーヒーなんて・・・苦くて不味いにちがいない。≫とお客が誤解して減るのは困るのである。

もしかして、ヒマつぶしにブログを書くのが、集客の邪魔をしているのではないか? きっと、たぶんそうだね。あのイヤミなイヤジの店には近付かない方がいいよって、自分で悪い風聞をまき散らしている。≪絶対そうだ。≫確信に満ちた奇妙な自信が湧いてくる。

≪だいたいやねェ≫(これ竹村健一の口癖だった・・あのオッチャン最近見ないけど元気かなぁ?所かまわずにハマキ吸って、まわりは煙たがってたけども・・)だいたいやねぇ、毎日店を開く前には、1杯のコーヒーを立てて、自分で味見をしているのである。賞味期限切れの珈琲豆は、すべて自家消費に回している。店の珈琲は、だから美味いはずなのである。

豆の賞味期限はどうして判定するのかって?
それは五感でわかるようになってきた。豆を挽いた時の香りを嗅ぐ。蒸らした時のふくらみ方を凝視する。30秒ほど蒸らすと、ホッと息を付いたようにプツッと音が鳴ってしぼんでくる。それまで息を凝らして待っているのである。萎んできたら、渦を巻くようにお湯を注意深く注いでいく。粉がプウゥ~と勢いよく膨らんで、クリーム上の泡が立つ。その泡がつぶれるたびに、銘柄特有の香りが立ち込める。
味わう前に、この一連の過程のどこかに異常を感じたら、豆の命はすでに終わりなのだ。

そんな訳で仕入れた豆の3割ほどは、私とカミサンの胃の中で償却処分となるのである。償却処分って云っても、そんじょそこらのU●●の豆なんか足元にも及ばぬ味は保っている。冷えても甘みと酸味を増して味わいが落ちない。缶コーヒーと比べると、市販の缶コーヒーがいかにヒドイ薬みたいな味かよく分かるし、二度と飲む気にならないだろう。
この比は、石のアンプと真空管アンプよりも激しく、それでも違いのわからぬ人は、うちの店よりもマックのコーヒーを勧める。

かくのごとく、引き籠り現象のオヤジの意固地なまでの偏屈度は増すばかりで、かくして豆の原価率はますます高まり、経営状態は悪化の一途をたどることになる。

だいたいやねェ、Jazz喫茶のオヤジなんて、みんな気難しくて、独りよがりで、近寄りがたい偏屈ばかりだと、昔からそう決まっていた。珈琲だって、ドロドロして美味くもなかった。それを大切そうにチビチビ飲むんだから、店の方も上手くなろうなんて努力もいらない。
引き籠り症候群で、小さな店に閉じこもりたがる。性格が暗いから、店の空間も薄暗い。暗闇でガンガン音を出すから、会話なんぞできやしないし、本を読む明るさもない。
そこに巣食う昔のJazz好きは、やたらタバコをスパスパ吸う人種で、中にはピー缶(50本も入っていたピースの缶)を持ち込み、一日中居座っているモサもいた。薄暗い中に同化しているから、棲みかにピッタリなのだ。
愛すべき奴ら・・もう肺ガンになっちゃって、この世にはいないんだろうか?・・ところが・・結構こう云った連中は、うす汚れた空気環境に順応する能力が強くって、ゴキブリのようにしぶとく生き残っているらしい。
だが、わが店は空気清浄機を入れてるから、昔のJazz狂には、息も吸えぬほど住みづらい環境である。タバコが吸えないJazz喫茶なんて、ノンアルコールビールのように味気ない。それに珈琲だって美味すぎる。居心地が良すぎて、却って落ち着かないのだ。
副流煙を吸って巻き添えになった連中のほうは早く死ぬ。なんて・・・世の中は、理不尽にできているのだろう。

もうすぐ4時。店を開いて3時間近い。なのに、こんな雨の日は誰も来ない。奥でモニターを見ていたら、若いアベックが興味深そうにのぞきこむ。慌てて出迎えようと席を立ったが、行ってしまった。中は暖房で温かいのにね。

ついさっきは、チンコンってセンサーが鳴るからお客様かと思ったら、花屋さんが商店会の集金にやってきた。街灯のクリスマス・イルミネーションの追加経費と合わせて5千円近くが消えていった。雨でお客がない日に限って、お釣りで用意したお金までもが消えていく。明日はお釣りの補充が必要みたいだ。酒でも飲んで音楽を聴きたい心境だが、まだ早すぎる。あと2時間くらいは、本でも読もう・・・。

ハトヤマ君に引退勧告を出したが、この分ではハト君より、こちらの引退の方が早くなるかもしれぬ。私もハトヤマ君のようにノラリクラリと頑張らなくては。

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