団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2009年07月

山桜を家紋とするわが親族が亡くなると、いつもこの歌を思い出す。

≪桜の花ちりゞりにしも  わかれ行く

      遠きひとりと君もなりなむ≫  釋 适空

人の一生って、あっけないものだ。日本初の女性警察署長をつとめ上げた従兄の嫁さんが74歳で亡くなった。それは多くの参列者に見送られ、残された20人ほどの身うちが野辺の送りを見届け、十日祭を済ませて三々五々に散らばっていった。

彼女は、警察官時代の経験を生かし、青少年を犯罪に追いやらぬように各地で講演に回っていた。机上の空論ではなく、実体験を通しての彼女の話は、精神が混迷する現代社会にあっては貴重な伝導師の役割を担うものだった。

私にとっては、近くに越してきた矢先の他界である。我が家でゆっくりと珈琲を飲んでもらえる日を楽しみにしていた。日ごろは疎遠であったが、入院されてからは、病院まで自転車で数度と通い、安らかに眠る寝顔を遠くで見て安堵し、なんとか回復してもらいたいと念じていた。わが一族にとっては、家長家の大黒柱を支えた方だっただけに、この空白は埋めようもない。
喪主の従兄弟が最後に送る言葉は、彼女が最後まで大切にしていた感謝の心≪ありがとう≫だった。

神道では、人は死ねば神様となる。氏神の一人となって我が氏族の守護神となり、末長く見守っていただけるのである。交番の婦警さんから始まり、日本初の女性警察署長まで上り詰めた彼女のことだ。これからは氏神様となって、懐深く慈愛に満ちたあの瞳で末代までも、多くの人たちを見守っていくことだろう。


一人戻って、久しぶりにクラッシクを聴いてみたくなった。ワインを開け、好きなメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を聴きながら、あなたの人生に≪献杯≫する。人々に尽くしたあなたの一生・・ありがとう。

ワインを片手に、四十六歳で逝ってしまった兄貴の追悼集を開いて読みかえした。なんだか涙がこみ上げて止まらない。
7月14日は、兄貴の命日だった。≪バカヤロウ・・・早く死にやがって・・≫ と、思わぬ言葉が頭に浮かぶ。
写真の中にしか見えない兄貴の顔が18年前のあの日を思い出させた。それは寿命だったのかもしれないが、あの世としか会話できないのは本当にくやしい。

≪故郷の杜(もり)は宴(うたげ)ぞ 新参の神と饗ぜむ夏の夜≫

≪新魂は あい吹く風に誘われて 氏神が集うタブの杜往く≫


 NORI翁

梅雨も明けた昨日は、チャリンコにまたがり、立川保健所に申請に行った。
喫茶店の営業は、保健所の許可が必要だからだ。我が家からは、一橋大学の構内を横切り、15分もこげば立川駅である。国立は小さな町だから、府中・小金井・立川市内は自転車の移動距離にある。それに横浜と違って平坦なので、車で動くよりも自転車の方が小回りも利いて快適である。

立川保健所で1万8300円の申請料を払い、検査官が近くまで検査に来る予定があると云うので、ついでに我が店舗の施設完成検査もお願いした。
検査官は、チャリンコで移動しているらしく、予定時間より30分も遅れて到着した。着くなり、なんせ住宅街の中で、それらしい看板がないから分らない。店を探して何回も通り過ぎ、ウロウロしたから遅くなったと釈明される。わかりやすい看板を立てなさいと指導された。ふつうは店を借りて開業する人が多いから、看板を立てて、すぐに許可申請を行い、明日にでも営業許可を下ろせと急かされるらしい。

まあ、確かにまだ店らしい外観は施していない。開店前にうっかりお客様に来られても困るし、こちらの心の準備も整っていない。
≪お暑い中、すんませんね。≫と、クーラーの利いた店内に案内する。店内を一瞥し、真空管に興味津々である。≪都庁の仲間にも、マランツとか真空管ファンがいましてね。ボーカルなんて柔らかいよい音だそうですね。≫

衛生設備は一応のものが整っている。自動食洗機も冷蔵庫も、いいモノ揃えていますねえと感心される。話はすぐに雑談混じりの衛生管理上の注意になる。特にトイレ使用後の手洗いは、手先だけではなく肘の下から入念に洗うようにとのこと。すぐに確認検査は終わった。一週間もすれば飲食店としての営業許可が下りるので取りにいけばよいそうだ。

検査官の話によれば、この付近では、素人にてっとり早い喫茶店・ケーキ屋さん・手打ちそばの店など申請者が多いそうだ。≪ほとんどが団塊世代のリタイヤー組だけど、管理職でエバッテいた人が、どれほど続きますかねえェ。9か月で閉店する人が多いですよ。≫と吾輩の顔を覗きこむ。

近隣の新規開店情報は大切だから少し商人目線に戻って卑屈に聞いてみると、近くに自家製焙煎でコーヒ-豆を売り、喫茶店を併設する店ができるそうだ。なんだか、かなり大きな焙煎機が場所をとっているらしい。
まあ、いまどき特色がないと利益は出ない。≪まあこの店の売りは、音?ですか。≫と、食事で勝負しないので保健所は安心して帰っていった。

吾輩は、地元の豆屋さんや紅茶屋さん、酒屋さん、花屋さんとタイアップし、多少高くたって、そこから仕入れてアドバイスを得たいと思っている。なんせ終の棲み家なんだから、この店を拠点に地元との縁の絆を深めたい。

目的は営利優先ではなく、気の合った楽しい仲間の集いの場である。エバル訳じゃないけれど、嫌な客には厭味でも云って、2度と来ていただかなくても結構。≪厭なら金はいらない、帰ってくれ。≫くらいに思っている。そんな私を知る友人は、私には似つかわしくない職業だと思い込んでいる。
だが、店主が嫌がる客は、気の合った仲間にとっても嫌な客に違いないのだ。類は類を呼び、友は友を呼ぶ。
小さな店なのだから、オーディオ好きで、音楽の愛好者がゆっくりとくつろいでいただきたい。珈琲と紅茶だけは、そこそこに美味い店にしたい。機械を使わずに手作りだから、暇なくらいがちょうど良いと思っています。
ところで、店の名前は、“East Side”としました。国立市東にあるからEast Side”。大好きなパティー・ページのLPにも“East Side”と云うレコードがあります。

ジメジメした毎日が続く。湿気が多くてモノが腐りやすい季節である。
喫茶店開業まで、2か月を切ってしまった。そろそろ営業許可を得るために準備を急がないといけない。調度類はほぼ整ったから、あとは営業許可をえるだけ。
手順は簡単で、/品衛生責任者の一日講習を受講し、資格を取得する。⊆,暴螻蹐諒欸鮟蠅捻超筏?朕柔舛鮃圓Α8〆困あり、許可が出る。ただそれだけのことだ。

しかし、仮想空間から飛びだし、いざ現実へと動き出すと、何かと戸惑いも大きく、重い腰がなかなか上がらない。
<見るまえに跳べ>を生活信条に生きてきたが、60の手習い。初めての創業。自営業への転身。2年間のノンキで気儘な暮らしに別れを告げるのはさびしすぎる。第一に今までのようにグウタラな生活ができない。時間に縛られる。神様のお客様にサービスしなければいけない。残り少ない人生をかけるだけの意味があるのだろうか?

そうこうモタモタしていたら、食品衛生責任者講習会の受講者が多く、どこも定員満席。7・8月中の受講が難しくなっていた。1万円もの受講料を払うのに、何で一杯なの?世の中、就職難の時代だ。自営業を目指すものが多くなったからか?

店の看板を付けなきゃいけない。友人の紹介で看板屋さんと会うことにした。その前に店の名前を決めないといけない。別に店の名前で客が来る訳でもないのだろうが、インターネットに載せるとなると、一発でヒットするようなオリジナリティーが欲しい。

喫茶店だから、「カフェ」とか「珈琲」とか、横文字で“Café”,“Coffee” なんて付けた方がわかりやすいのか?横文字にしようか和風にしようか。単純で洒落たセンスのある名前はないだろうか?
長たらしい文章を書くのは得意でも、短いキャッチコピーをつくるのは縁がない。根が理屈っぽいから、単細胞にはなれないのだ。

副題は、≪珈琲と音楽の店 ○○≫ ○○は単純がよいだろう。じゃあ、単純に「純」ではどうだろう。それに昔は純喫茶といったものだ。
料理も出せない純喫茶の“純”で~す。コーヒーだけの単品一発勝負。つまみは、清純な音楽の空間だけ。煙草の煙は鼻つまみです。禁煙厳守のお店です。だから空気も<純>です。ビールも純生を。水も純粋濾過で。

≪珈琲と音楽の店 “純” ≫  ≪Coffeeと音楽の“純” ≫

甥っ子の名前もジュン。義妹の娘の亭主もジュン。
それにNORIさんお得意のカラオケは小林旭である。旭が歌う「それから」は好きな曲だ。阿久悠の歌詞は素晴らしい。高齢者の心情にぴったしじゃないか。

遊び上手な奴に騙されていると聞いた・・噂だけだね「純子」・・だって・・むかし憧れた彼女の名前に似てるような・・。

心が純で真直ぐで  キラキラ光る瞳をしてた
はにかみながら語る   夢大きい

君もおれも昔はそんな子だった
遠いころのお互いに乾杯

涙は熱くとめどなく    愛するゆえに流してた
傷つきながら抱いた   恋せつない

昨日も今日も  2日も同じ夢みた
笑い 泣いた  その頃に乾杯

君もおれも あれからどこで何した
めぐり逢いの  しあわせに乾杯

開店したら、“純”で集い、「遠いころのお互いに乾杯」しませんか? ってのはいかがでしょう。

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