団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2008年11月

イメージ 1
イヤハヤまったく、とんだ時期に遭遇したものである。
建築物価が高騰した春先に建築契約を結ぶ羽目となり、サブプライムローンのトバッチリで不動産が下落した時期に、家を売らなければならない羽目になってしまった。
その結果、建設予算は1割ほど上回り、家の売却は2割以上も目算が狂ってしまった。それでも不動産は、まだ下落するのではないかと期待され、買い渋りの<長考>に入ってしまったのだ。

だいたい<両親と相談して決めたい・・>なんていう手合いは、即断できない優柔不断だから当てにできない。それに近隣の建売住宅が投げ売り状態だから、中古住宅よりも新築に目がくらんでしまう。
そんなこんなで売却の目途が立たず、ここ3カ月ほどは浮かない日々を送っている。何としても家の引き渡し予定の3月31日までには、家を売却しなければ新居が宙に浮いてしまう。

そこで、万が一に3月末までに売却ができない場合の住宅ローンを銀行に依頼した。だがことごとく断られてしまった。理由はこうである。
・年金が主な返済原資のNORIさんには、たとえ賃貸収入があったとしても融資資格を与えられない。
・2世帯共同住宅は、年金生活者でも親子ローンなら可能だが、義兄弟の2世帯住宅は権利関係が他人と見なされるので融資対象にならない。
・家が売れるまでのつなぎ融資は、短期なので住宅ローンの対象外。
つまりNORIさんは、融資適格条件に当てはまらないから貸せないと銀行は云うのである。だが定期預金はそん所そこらのサラリーマンより積み立ててある。にもかかわらず、金は貸せないと融資センター長が廻りくどく説明するのだ。

しかしまだ定年まで2年近くある義弟なら、80歳まで融資が可能だと銀行はノタマウのだ。つまり義弟なら退職金で繰り上げ返済が期待できるし、定年延長の可能性もあるからなのだと云う。
それにひきかえNORIさんは退職金も貰っちゃったし、<タラタラ飲んで何もしない>グウタラ隠居・・・なんで融資できるのだと、慇懃無礼なセンター長の笑みがすべてを語っていた。

一流会社に40年近く働いていたとしても、退職すれば屁の突っ張りにもなりゃしない。麻生じゃないが、そんなヨボヨボ爺さんには、融資も高齢者医療も期待できない世の中なのである。隠居のジイサンは、年金手帳を担保にチマタの悪徳金融業者から金を借りるしか手がないのが現実のようだ。

まあ理由はともかく、このさい誰の名前でも必要資金が調達できればそれでよい。義弟への住宅融資と云う名目で大銀行の融資審査を通してもらい、最悪の場合の金融対策の目途はたった。

それにしてもアメリカ発の不動産への風評被害はひどいものだ。チマタのマンション・建売業者は、過度の銀行の貸し渋りで運転資金が枯渇し、投げ売りで現金回収に四苦八苦。
だが不動産業者の在庫一掃がすめば、需給バランスは供給不足に陥るはずだ。来年度には、供給も大幅に激減する見通しだから、売り手有利に好転すると思うのである。
ワタシャは、いま売れなくたって、売らないかぎりは資産が減るわけでもない。借金は嫌だが、返す当てもある。賃貸すれば、収支のバランスだってとれる。ここは値下げも売り急ぎもせずに、辛抱することだ。たぶん不動産下落は、この年末が底だろうとタカをくくることにした。

ところで家は買う時も、売る時も<思い立ったら吉日>なのである。人生は一寸先が闇。と云っても光明だって射すのである。解らぬ先のことをウジウジしていては、チャンスの神の前髪をつかむことは出来ない。チャンスの神の後ろ髪は、ツルッパゲなのだそうだ。つかみたくたって髪の毛がないのでつかみ様がない。あッ、あの時が買いだった・・と思っても、もう遅いのである。

写真は3連休でにぎわう外苑の銀杏並木です。今週末が黄金色にかわるピークではないでしょうか。今週末あたりがチャンスでしょう。

<熟し柿 まだよ まだよで 鳥の餌> NORI翁

イメージ 1
平成20年もあとわずか。<昭和は遠くなりにけり。>である。
20年前と云えば、NORIさんも41歳。人生で最も脂がのりきった怖いもの知らずの年だった。しかし20年前の記憶よりも、40年前の学生時代の記憶の方がはるかに脳裏によみがえる。

昨日の飯は何だったのかも忘れてしまうのに、<造反有理>で閉鎖された大学闘争の最中の出来事の方は、甘酸っぱい香りが漂ってくるのだ。
権威を否定し、まずぶち壊す。その先など考えていない。<観るまえに跳べ>が合言葉だった。若いエネルギーの矛先は<権力の破壊>しかなかった。昔の仲間に会うと、忘れていた細部までも再現されて、口角泡を吹いて議論したあの紫煙の立ち込めた喫茶店で過ごした一日が、昨日の夕食よりも湯気をたてて現われてくる。

だから団塊はぶち壊し屋で、世間に貢献しなかったと、10年遅れの安倍の世代は復古主義への回帰をさけぶ。戦争責任をいつまでも背負う自虐史観よりも、大東亜をリードした日本を自慢する史観が正しいと叫ぼうじゃないか。そんな戦後レジュームの世直しは、安倍世代のザセツで頓挫した。

60年前の戦争責任ですら混とんとする日本で、また<私は貝になりたい>が復活された。B・C級戦犯の処刑者は約千人とされ、<昭和殉難者>として靖国神社に合祀されている。もし生まれ変われるなら<私は貝になりたい> とつぶやいたのに・・なぜだ・・。

団塊は不思議な世代だ。戦後生まれだと云うのに、軍歌を鮮明に覚えている。

<ここはお国を何百里 離れて遠い満州の・・><旅順開城 約なりて 敵の大将ステッセル・・><敵は幾万ありとても・・><天に代わり不義を討つ・・><勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは・・><徐州徐州と人馬は進む・・><ああ あの顔で あの声で 手柄頼むと妻や子が・・><守るも攻めるもくろがねの 浮かべる城ぞと頼みなる・・><見よ東海の空明けて・・><朝だ夜明けだウシオの響き・・><貴様と俺とは同期の桜・・><エンジンの音ごうごうと・・><若い血潮の予科練の七つボタンは・・><さらばラバウルよ また来る日まで・・><花は桜木 人は武士 語ってくれた人よりも 港の隅で泣いていた かわいあの子が目に浮かぶ トコ ズンドコ ズンドコ・・> 

云われてみれば、十やそこらの軍歌が脳裏に刷り込まれている。・・母の背中の子守唄で聞いたからか。街頭の白衣の傷痍軍人がつま弾くスチールギターの軍歌のせいだろうか?とにかく、父の兄弟や叔父の誰かは、戦争で死んでいった。入社した会社の上司には、予科練や海軍兵学校出がウジャウジャしていた。団塊は、戦後生まれだと云うのに戦争を引きずる世代に間違いない。

切ない話だが二十代の私は、涙を流して教授連中に<お前の戦争責任は??>と問い続け、<権威にアグラをかいて惰眠をむさぼる輩・・>と吊るしあげたのだ。そんな白昼劇を繰りかえしてきたのだから、太平の世の中に働き出して、四十年も<無事名馬なり>で過ごせたのは、心底ありがたいと思うのである。

いまや<団塊は何もしなかった>と批難されてもいい。何もせずに毎日が平和に暮らせることが尊いのだ。四十年前に<惰眠をむさぼる>と非難したあの日が懐かしい。あの時の自らの問いに対して、<俺は毎日を惰眠で暮らしている。>と平然と答えてやろうと思うのである。

写真は、銀座のロッキー・トップのライブから。歌っているのはこの店のマスター。団塊よりも十歳ほど若い安倍年代のオヤジバンドが、コンテンポラリーなブルーグラスを歌っていた。

イメージ 1
リサイクルショップの片隅で、1965年のDown  Beat誌を見つけた。
すこし興奮気味で雑誌を手にとり、何食わぬ顔で一枚100円のレコードとともに清算する。ちゃんとした古書店やディスクユニオンなら、数千円・・ウン万円?は、するかも知れぬ掘り出し物・・・蒐集の醍醐味とは、掘り出し物を二束三文で手に入れた時に最高の喜びに変わるものなのだ。
きっと一万枚を超えるジャズコレクターのM君だって、この号は持ってないにちがいない・・・いそいそと持ち帰り、一人でワインを飲みながら・・昨夜は優越感に浸ったのである。

ダウン・ビートは、隔週に年27回も発売され、73年に渡って発売され続けているアメリカの権威あるジャズ雑誌である。と云っても全米の新聞売り場で、当時35セントで手に入ったから読んで捨てられ、保存されたのは案外と少ないのだろう。これだって無造作にズボンの尻ポケットに2つ折りに放り込まれ、読まれたのだろう。見事に畳んだ跡が残っている。

1965年は、ダウン・ビートが発売されて30周年にあたる。この記念の年のジャズレコード大賞が、拾ってきた年末号に特集されているのである。
コルトレーンは、誉れ高き「至上の愛」(A Love  Supreme)を64年の年末に発売し、65年に全米の圧倒的な支持を受けた。ジャズ界に歴史的な金字塔をうち立てた年なのだ。
彼を見出したガレスピーもマイルスもモンクさえも従えて、史上初の4冠王となってジャズ界のトップに君臨したのだ。そして1年半後の67年4月、コルトレーンは40歳で亡くなってしまった。
ロウソクは最後の一瞬に光を増して消えていく。そんな光の輝きを、このダウン・ビートが伝えている。

65年のダウン・ビート各分野の上位者を紹介します。
Hall of Fame : 1位コルトレーン 2位ウッディー ハーマン 3位クリフォード ブラウン 以下ミンガスは7位、スタン ゲッツとバド パウエルは並んで10位である。ビル エヴァンスは20位、ソニー ロリンス26位などなど。

Jazzman of  The Year: 1位所ジョン コルトレーン 2位デューク エリントン 3位アール ハインズ 4位スタン ゲッツ 5位マイルス デイヴィス・・9位ビル エヴァンス

Record of The Year : 1位ジョン コルトレーン(A Love  Supreme) 2位 ラムゼイ ルイス(The “In”Crowd) 3位マイルス デイヴィス(My Funny Valentine) マイルスは20位まで3枚も入っているから、コルトレーンと競ってもいいのだが、なぜか総合点で5位に甘んじている。

トランペット部門: 1位は、ダントツでマイルスだ。2位はデイジー ガレスピー、3位はクラーク テリー。
アルトサックス部門:1位ポール デズモンド、2位キャノンボール アダレィー
テナーサックス部門:1位ジョン コルトレーン 2位スタン ゲッツ
ピアノ部門:オスカー ピータソン 2位モンク 3位ビル エヴァンス 至上の愛に参加したマッコイ タイナーは5位。
ベース部門:チャリー ミンガス 2位レイ ブラウン 3位ロン カーター。
以下バリトンサックスはゲリー ミリガン。トロンボーンはJ.J ジョンソン。クラリネットはバディー デフレンコ。フルートはハビー マン。オルガンはジミー スミス。ビブラフォンはミルト ジャクソン、ドラムはエルビン ジョーンズ、風変りな分野ではローランド カーク。

男性シンガーはフランク シナトラ、女性はエラが1位で、サラは4位。2位にナンシー ウイルソン、3位にカーメン マックレイと黒人系が独占する。5位にかろうじてアニタ オディーが入っている。ペギー リーが10位なのは意外。

ここで何か抜けていない? そうギター部門です。1位から3位まで、誰が選ばれているでしょうか?意外性はありません。当ててみてください。

イメージ 1
シカゴからサンタモニカの海岸を結ぶルート66。カントリーロードをのんびり走る時代が終わったのは、インターステート・ハイウエイが整備された1985年のことである。

中でもアイテン(I-10)と呼ばれるロスのサンタモニカと、フロリダのジャクソンビルを結ぶ国道は、距離が3459キロメートルもある。3分の1はテキサス州を東西に貫く幹線道路である。この多目的道路を走る車種は多い。産業道路でもあるし、沿線の生活道路でもあるからだ。

ヒューストンに住んでいた日本人駐在員にとって、このアイテンほど馴染み深い道はない。市内の高層ビルから西へ、郊外の自宅までは、毎日このアイテンを利用したからだ。さらに西に向かえばアラモ砦のあるサンアントニオ、そしてメキシコ国境の町エルパソ。東に向かえば隣のルイジアナ州ニューオルリンズへ。愛車を駆って、この一本道をドライブしたものである。
地球の果てまで続くような、どこまでも続く一本道。牛の寝ころぶ牧場、それに赤茶けた荒野。水をくみ上げるウインドミル。点在するオイルリグ・・・西部の富を運ぶ街道である。眠くなりそうな道がどこまでも続く。今でも思い浮かぶアメリカの国土の広大さ、豊かさを感じる道である。

そのアメリカ社会の富の象徴は、GMのキャデラックであり、フォードのリンカーン・コンチネンタルだった。車の車種が、富と地位との象徴だった。庶民はムヤミやたらと地位の上の人が乗る車を買うこともなかった。
私と云えばファーストカーは、8気筒のフルサイズGMカプリス・クラッシック。セカンドカーには、フォードの6気筒、真っ赤なマスタングを手に入れ、アメリカのリッチな生活を楽しんだのである。

そのフォードはクエートの資本傘下となり、今やGMが瀕死の危機に陥っている。アメリカ人は、借金を苦とも思わないO型国民である。その国民に貸し渋りが起こったのだから、消費が落ち込み、車が売れなくなるのは必然なのである。車が買える環境さえ整えれば、景気はすぐに回復する。

対してA型人間の日本人は、人一倍心配性で臆病な国民である。世の中が将来不安を煽るから、蓄財を減らさない方向でサイフを閉じてしまい、景気がさらに落ち込む悪循環にはまり込んでしまった。これではいくらいい車を造っても売れることはない。年金原資の運用減少を喧伝するから、借財出来る人までもが貯蓄に走るようになる。

アメリカ社会の景気回復が、日本の回復のカギなのだが、群盲象をなでるがごとく百家争論。ア・ソウ首相までもが<3年くらいかな。この病は・・>と投げやりな国家運営なのだ。案の定G20が行われたというのに、株価は一向に好転しない。

ところで、GMは破たんするだろうか?答えはNOである。
アメリカの車社会が滅亡しない限り、車が必需品なのは自明の理である。破たんしたGMの経営権は、きっと中東のオイルマネーが狙っているに違いない。下手をするとロシアの成金だって・・。金融自由市場経済に身を委ねるなら、破たんとは新たにハゲタカの餌食を実体経済が供給するだけのことである。

こうして庶民が乗る車は、破たんしても経営者が変わるだけのことで供給され続けるだろう。ただリンカーンに乗る主人が、オバQのような中東衣装をまとったひげ男になるだけなのだ。
経営権を誰が持つにせよ、庶民に働く保障がある限り景気は間違いなく回復する。この将来不安を除くには、目先のバラマキではなく、国家が国民の継続的な労働環境を保障することなのだろう。経済と雇用は、車の両輪なのだ。では金融とは何なのだろう・・・? 潤滑油?ガソリン?どうも得体が知れない代物である。この化け物はなんとかならぬものだろうか?

写真は、雨の中で紅葉する我が家のしだれカエデ。例年だと紅葉する前に枯れてしまうのだが、今年は見事に赤く染まってくれた。今年の里の紅葉は、楽しめそうな気配である。

イメージ 1
<身の丈に応じた服を着る>とは、<入るを量りて い出るをなす>に通じる言葉である。アメリカ人のように欲しいものを求めてローン(ツケ)で払う生活をしていたら、いつかは破たんする運命が待っている。

貧乏なら貧乏人でいいじゃないか。日本には、<清貧>と云う言葉が美徳であったように、カネに拘泥するのを卑しいとする風土があった。だから質素・倹約を旨とし、<武士は喰わねど高楊枝>なのである。

<凶年に備えて備蓄をする>のは、農耕民族たる日本人の美徳だった。緊急時のいずる事態に備えて蓄財をなし、憂いをなくすのが家計の基本なのだ。アメリカのように全ての利益を株主に還元し、経営者の手柄に分配していては、内部留保が薄くなるばかりで格差も広がるのだ。
クライスラー買収を棚上げしたGMを見れば、<蓄財>の重みが分けると云うものだ。木枯らしが吹く季節になって困り果て、アリにすがるキリギリスの姿を描いたのは西洋の寓話ではなかったのか?

むかし現役時代に、身の丈以上に交際費を使ってしまった他所の部署から、NORIさんの交際費枠で処理してくれないか金策を頼まれたことがあった。知らない仲ではないが、私はその人と飲んだこともないし、宴席を共にしたこともなかった。むろん彼の交際費にタカッタこともない。
あんなバクチ打ちのような交際費の使い方をしていたら、いつか破たんするぞと、他所眼に危惧していた。結果は湯水の如く夜の交際費を使ったにもかかわらず、仕事はとれずにツケだけが残ったのだ。
私の部署といえば、みんなでアリさんになって細々と利益を稼いでいたのだ。部長だからと云って勝手に経費を流用するわけにいかないのだ。それに、分けてやるほどの交際費枠は持っていない。
<ツケは自己責任で処理しろ>と断ったら、逆恨みされてしまった。いまでも「NORIは冷たくて、ケチで嫌な奴だ」と方々で触れまわっているらしい。

とは云っても<貧乏暇なし、蓄財なし>ならば、<ないときの辛抱>もやむを得ない。
だが<辛抱>の限度を超えた人は、世の中にたくさんいる。一家の主を失った孤児。貸し渋りで倒産した中小企業の労働者。老老介護、認認介護の高齢者・・病気の人・・などなど・・トウトウ・・従って・・民間の相互扶助や寄付など善意に頼ることなく、これを救済するのが国家の役割なのだ。国家を運営するのは為政者、つまり政治家の使命である。
などなど・トウトウ・・従って・・と麻生が言うならば、定額給付金と云ったバカげた国民一律のバラマキ政策などにたどり着くわけがない。金持ちは善意で返上しろ??この政策はおかしいというようも、常軌を逸している。

<辛抱>の限度を超えた世帯に、重点的な政策を施すのを国民は期待しているのだ。世界に冠たる蓄財王国の日本人である。バラマキなどしても貯めてしまうだけなのだ。安心して暮らせる将来を示してもらえれば、財布のヒモなど緩むものだ。

金融危機は、世界を救うチャンスとなった。・・市場原理主義・グローバリズム・成果主義・キャッシュフロー経済・・アメリカが造った<世界の常識>に革命的なパラダイムシフトの波がやってきたからだ。
オバマの選出はアメリカ国民自身がそれに気づき、大胆な社会のパラダイムシフトを求めている現象なのだ。世界は間違いなく変わる。キリギリスの国民が、Changeを予言したオバマに救世主を期待するのも無理はない。

日本といえば、あいかわらず既得権益にしがみつく自民党と、それに癒着するコバンザメ政党が亡国への道筋を支配する国である。これがNORIさんの現代史観である。立場も史観も田母神と異にするが、国を憂うる軍人が出ずるのも無理はない。

ジャケットは、1982年発売の“The Griffith Park Collection”から。Griffith Parkは、ロスのハリウッドに近いゴルフ場や動物園まである大きな公園である。NYのウオール街とは違うが、疲れきった労働者は、職を求めてこんなところで時間をつぶすのだろうか。

イメージ 1
1980年代後半から2000年にかけて、時代を駆け抜けた寵児がいた。
甘い蜜を放つ男の名は小室哲哉と云う。女たちはその音楽が放つカリスマ性に魅かれ、恋い焦がれ、華原朋美は精神の均衡までも奪われてしまった。

その男の栄光と転落は、昨今の株の乱高下にも似て悲劇でもあり、カネに翻弄された人生は喜劇でもある。
“Prosperity makes friends, and adversity tries them”と云う言葉があるが、真の友人とはこんな時に真贋が試されるのだろう。

逮捕された小室の心境は如何ばかりだろうか。虚構と虚勢で精いっぱい着飾った人生を終え、独房に逃げ込んだ小室は、ホッとしているのではないだろうか。
一人牢獄で壁に向かって囁いているのかもしれない。・・・My Revolution・・・・・

<きっと本当の悲しみなんて  自分ひとりで癒すものさ
わかり始めた My Revolution   明日を乱すことさ
誰かに伝えたいよ   My Tears My Dreams 今すぐ

夢を追いかけるなら  たやすく泣いちゃだめさ
君が教えてくれた  My Fears My Dreams 走り出せる
・・・・・
求めていたい My Revolution  明日を変えることさ
・・・・・
自分だけの生き方   誰にも決められない
君と見つめていたい   My Fears My Dreams 抱きしめたい>

小室哲哉。たくさんのタレントを育てた才能を持つ男だ。自らの才能の原点に戻って再起を期待している。

再起と云えば、再起がむずかしい終末期を迎えた老夫婦がいる。長門裕之と南田洋子である。
太陽族を演じた長門は、いまやアルツハイマーの洋子を老老介護する歳になってしまった。ただの痴呆のおばあちゃんに変身した南田の姿は、演技でもなく、素そのものなのだ。うろたえながら介護する長門は、奔放に暮らしてきた若かれし面影もなく、ただの衰えたおじいちゃんにすぎない。
テレビで老いの醜態などさらけ出したくはないだろうに、現実を現実として公表する長門裕之という俳優の生きざまを見直す思いである。

私なんぞのここ1年は、61歳という年齢の自覚もなく、世を捨てたわけでもなく、なんとなく漫然と定年後の余暇を過ごしてきた。振り返るとアッと云う間の人生に愕然とする。そろそろ残りの人生を <求めていたい My Revolution  明日を変えることさ> とチェンジさせてみたい気もあるのだが・・・。

ジャケットは、最近注目されているジャズ・ボーカリストのティファニーです。ロス生まれですが、日本を2ND拠点に公演をしています。最近、小曽根真・秋田慎治・海野雅威などをバックにサードアルバムの“Amazing Grace”が発売されましたのでお勧めします。

イメージ 1
世界が本当に“Change”するのかどうか、世紀の結論は明日くだされる。
<白も黒も、ヒスパニックもアジアもない。あるのはただひとつ。アメリカ合衆国。>オバマの言葉は、人々の心を酔わせるものがある。

しかし、拮抗していた選挙戦がオバマ優勢に転じたのは、金融危機が顕在化したリーマンショックからだそうだ。つまりは生活不安を抱える貧困層の動向がオバマに勝機を与えているのだ。

東洋では、<衣食足りて栄辱を知る>と云うが、<人はパンのみにて生きるものにあらず>とキリストは云う。今日の生活不安を解消することが焦点になって、オバマの“Change”が現実味を帯びてきたのは皮肉な西洋社会の現象ではある。

報道ではオバマ絶対有利とされるが、オバマの不安は、<人種差別>に尽きる。内心の<人種差別>を悟られまいと、いい子ぶっていた白人がマケインに投票するブラッドリー効果は、どの程度か測りしれないのだ。現に黒人との混住を嫌って、白人の中流階級以上は郊外に住んでいるからだ。

だがたぶん、こんな白人層の心理抵抗も空しく、オバマは選出されるだろう。30年ほど前にテキサスに4年間ほど住んでいた私にとってはとても信じられないことだが、色の黒いライス国務長官を見ればアメリカは変わったと思わざるをえない。

WASP(White Anglo-Saxon Protestant)がこの国をつくったという建国神話は、オバマがホワイトハウスの住人となれば根底から“Change”する。オバマ自身の政策実行力は未知数だが、世界が変化を求めて歓迎するのはまちがいない。
オバマ効果は、世界の経済を活性化させるだろうし、世界中がより和平に動くものと期待される。

世襲議員と宗教団体がこの世を牛耳る日本は、どう“Change”するのだろうか?
自公体制に嫌悪感を抱く国民は、間違いなく増えている。巷のスポーツクラブの風呂談義でも、自公が頼りとする高齢者の自公嫌いが高まっている。
あの自民党御用達の読売新聞でさえも、麻生内閣の支持率は前月より5.4ポイント下がり、不支持が上回るようになった。
創価学会が目玉とした<総額2兆円に上る定額給付金支給を「評価する」は38%、「評価しない」が56%>と多かったのである。国民の多くは、あんな子供だましのアメ玉政策にだまされるほど馬鹿ではなかった。
2兆円もの財源があるなら、金をうすくバラマクより緊急な対策があるというものだ。麻生がどう足掻こうが、政権の交代は世の趨勢と云うものだろう。まず自公から民主へ“Change”することが日本の次の歩みだろうか。

アメリカの政局は、まず<衣食足りて>を求めた。日本は<人はパンのみにて生きるものにあらず>が民意のようだ。実は日本には、パンが捨てるほど満ちあふれ、カラスのえさになっているからである。本当のところ実体経済も、景気もマスコミが煽るほど悪くはないのだろう。
ジャケットは、ポリー・バーゲンの“All Alone by the Telephone“ から。彼女は女優でもあり、ジャズ歌手でもあった。

↑このページのトップヘ