団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

2008年10月

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“Every cloud has a silver lining ” と云うことわざがイギリスにあるそうだ。日本では、「憂いの陰に光あり」である。すべての現象には、波があり、光があり、陰がある。太陽は必ず昇るものだ。
時価総額と云ったアブク数字で、赤だ、黒だと懐具合を計算するのは、とりこし苦労と云うのだ。空売り防止とか、金融危機を防止するには、昔のように「米本位制」とか「金本位性」のような換金価値が貨幣の基本になければならぬ。

アイスランドのように国民総生産(GDP)の6倍を上回る銀行借財を抱えていては、国家ごとロシアに身売りしなければ助かりそうもない。国家とは常々金融の暴走を監視しなければならぬ義務を国民に負っている。今回の金融危機では、市場原理に委ねる規制緩和の限界を感じる。

では日本はどうなのか?国家の借財は925兆円を上回るそうだ。だがこの国民は、貯蓄が大好き人間なので、総貯金額は950兆円を上回るといわれる。つまり、日本人はアイスランドのようにロシア人の奴隷にならず、かろうじて裸一貫で出直す覚悟さえあれば、外国へ奴隷に売られずに国家が保たれるだろう。
ましてや金融不安や先行き不安をマスコミがあおるから、金があっても先行き不安で貯金に回すのがこの国の国民の習い性なのである。ますます団塊の退職金は、埋蔵金で蓄えられていくだろう。定住農耕民族のDNAは、この世代にも受け継がれている。

400円のカップラーメンを食べる麻生君は、株価動向に<一喜一憂せず>と云い放ったが、さすが世俗を超越したセレブ宰相だ。こんな不透明な時には頼もしく見える。
金持ちとは、元来ケチなものかと思っていたが、緊急経済対策で庶民に施しをするそうだ。素浪人には正直ありがたい。
早速我が家でも、どう分配しようかと相談をした。むろん<半分ずつ好きに使おうぜ>と衆議は一決。私なんぞ中古レコード屋かブックオフに消えてしまうから、生産分野には寄与できない運命が待っている。

<入りを量りて、出ずるをなす>と漢の儒学者の言葉が「礼記」に残されている。まだ日本は、百余国に分かれて抗争した時代の言葉が今日でも財政の基本なのである。しかるに、いくら緊急事態だからと云って、3年後の増税を予告しての施し対策はいかがなものか??・・これで一時の国民の不安感が除かれれば安いものであるが・・・。

ジャケットは、アーネスティン・アンダーソンの“When The Sun Goes Down”から。明日から3連休です。連休明けには、アフリカ大陸の奴隷の血を受け継ぐオバマさんが大統領に選出されるでしょう。世の中チェンジです。太陽は沈んでも、月は照る。ではみなさんTGIF。

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世界中が、恐怖心に巻き込まれている。9・11の同時テロと比べても、世界の庶民に与える恐怖感は勝るとも劣らない。
原因はサブ・プライムローンに起因するらしい。このアメリカ発の金融不安は、金融テロ事件といっても過言ではない。言い換えればアメリカは、<金髪豚野郎>を野放しにしたテロ支援国家といってもよい悪の元凶なのである。欧州経済共同体とえらそうに言っても、所詮はアメリカ経済のコバンザメだったことも実証された。ふくらみ続けた風船は、いつかはじけてしぼむものなのだ。

ちょっと前までは、株価と為替・金利には連動性があるといわれ、<トリプル安>と云う言葉があった。
つまり<実体経済の好調な時は、株も円も強くなり、経済が不調になれば、株価も下がり、金利も下がり、とどのつまりは、日本の円も安く売られる。> 
たぶん高校の経済社会の試験などでは、こう答えなければ合格点はもらえなかっただろう。
だが現実は、<世界中が株と通貨が連動して下落しているにもかかわらず、日本の円だけが一人勝ち。日本の株は超安値で売られているのだ。>この現象は、私のような単細胞の頭脳の理解能力をはるかに超える。

<円が強いとは何なのか⇒日本の通貨信用力が高いからだ。⇒その信用力の基盤は、「日本経済のファンダメンタルズ」が強いからだ。>その強い日本の経済を担う企業の株が、なぜ売られるのか?<国際投資家は、リスク回避に日本の株を売って円に換金している現象>だと評論家は説明し始めている。
<株価と為替・金利には連動性がある>と云った経済評論家は、今どこに隠れているのだろうか?
円が本当に強ければ、株はかならず上がるはずだ。株が下がるのが神の与えた節理なら、円もかならず下がるはずだ。この金融のネジレ現象は、早晩どちらかに収斂するのではないのかとNORIさんには思われるが・・。

だが日本経済は全治3年の重症患者だと、わが総理大臣様が宣告している。はたして、日本の実体経済は強いのか?弱いのか? 政治は超ねじれ現象の中で、安倍・福田・麻生と極度の空白が2年以上も続いている。
その政治家は、テロ対策の国際貢献と云う名の下で、インド洋上の無償給油活動を続行してきた。しかし実体経済を担う日本の金融業界は、アメリカ発の金融テロに与しなかったおかげで、国際信用力を高めている。まことに皮肉な現象に思われてならない。
麻生は、この金融危機に<日本の場合は米国、欧州に比べて傷は浅い。日本は国際的な役割を果たすべき・・>と、まるでインド洋上の無償給油活動と同じ理屈を繰り返す。

泰葉という奇妙奇天烈な女がいる。もと夫を<金髪豚野郎>とののしり、「私は小朝と戦う。絶対に許さない」と遠くからブログつぶてを投げつけ、もと夫にまとわりつくのである。小娘ならいざ知らず、もう50にも手が届く熟女を、未成熟のままに育てたあの家族は肩身が狭いだろう。

<金髪豚野郎>と云うなら、日本経済を育ててくれた最愛のもと夫のアメリカに投げつける言葉にふさわしい。(あっしには、そんな汚らしい言葉は思い浮かばないが・・)
日本が国際貢献を唱えるなら、<市場原理主義>に、一定の秩序あるルールを提唱してもらいたいものだ。<金髪豚野郎>のマネーゲームに引きずり込まれた庶民はえらい迷惑なのである。
最近のわが総理の唯一の長所は、泰葉のように底抜けに庶民感覚とずれている明るさだろう。暗いニュースでしょぼくれているよりは、超然と夜な夜な高級ホテルで会食してくれていた方が、まだましかも知れない。

ジャケットは、ナイトクラブの越路吹雪から。京都の超高級クラブ・ベラミでの実況録音盤。1978年、美女に囲まれてブランディーを飲んでいた山口組田岡組長が銃撃されて有名になった。確かに帝国ホテルやホテルオークラの方が、総理が飲む場所にふさわしい気がする。

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今でも東北地方では、官軍の薩摩・長州に恨みを持っているという。だが、奥羽越列藩同盟に参加した山形県庄内には、あろうことか西郷隆盛を祭神とする南洲神社が建てられている。西郷だけは、敵地にあっても格別の徳をもった人物だったのである。

西郷について、大分県中津から同士を募り馳せ参じた増田栄太郎は、こう語っている。<一日先生に接すれば一日の愛があり、十日接すれば十日の愛がある。だから先生の許を去るに忍びない。先生と生死をともにする。>と。

西郷隆盛は、錦江湾と桜島を一望にする南洲墓地に眠っている。西郷を取り囲んで、幹部の桐野利秋、篠原国幹、 村田新八、辺見十郎太、別府晋介、桂久武、それに鹿児島県令として西郷を支援して処刑された大山綱良、わずか14歳にして戦場に消えた伊地知・ 池田両少年、兄弟5人が討ち死にした児玉兄弟、県外出身者など2023名の戦死者が眠り、墓碑は749基が立ち並ぶ。
その南洲墓地には、西郷隆盛を祭神とする南洲神社が建てられている。個人の遺徳を偲ぶとは、こう云うことなのだろう。

今日の近代国家の礎を築いたのは、明治維新にあったことに異論はない。国家が国に殉じた人々を顕彰するのも異論はない。だが、戦死者を靖国に祭るか否かは別として、靖国神社を宗教法人から国が管理する財団法人に替える麻生の案には大いに異論がある。

国に殉じて亡くなった方々には、戦争に反対しながらも徴兵され、自由を渇望して亡くなった庶民が多く含まれる。天皇陛下に忠誠を尽くし、死んで靖国に戻るのが彼らの望みだったのだろうか? 無論、それが望みで亡くなったかたもいるのだろう。

兵隊に召集されて戦場で戦うのが国民の義務だとしても、死んだ後まで兵隊の序列のままで国家に管理されるのは、私なら拒絶する。
戦前の靖国神社は、生き残ってノウノウト暮らす軍人高官が天下って神官を務めていた。よしんば麻生の主張するように財団法人化されたとしても、またぞろ役人の天下り先が増えるばかりなのである。宗教法人として民間に移管されたものを再国有化する麻生の考えは、時代錯誤も甚だしい。

明治維新で国を憂いて亡くなった人々には、西郷だけではなく、幕府軍や新撰組だって人後におちない。また日露戦争・満州事変・第二次世界大戦・・・各々の戦争には国家の戦争動機も国際状況も異なり、その戦死者を国家が一律に祭るには、あまりにもアバウト過ぎるのである。
靖国神社・乃木神社・明治神宮・東郷神社・南洲神社・・・明治以降に個人を顕彰する神社を崇敬するかどうかは、いまさら国家が介入する話ではない。長い歴史の中でもまれ、人の世の移ろい、自然の漂泊に任せておけばよいのだ。いつしか徳のある神社だけが日本の風土とともに残されていくだろう。

中津軍を指揮した増田栄太郎は、妻から渡された懐剣を握ったまま銃弾に倒れた。城山籠城中に死を覚悟して詠んだ増田の詩が残されている。

<故郷のはは その森やいかならむ  旅寝つゆけき秋のこのころ>  

増田は、二十八歳の命を西郷の愛と義に投じた。死に向かって突き進んだ増田の最後の胸に去来したのは、母であり、妻であり、故郷の森だった。

ジャケットは、チェット・ベィカーとアート・ペッパーのPICTURE of HEATHから。内容は、For Miles And Miles 、C.T.A. For Minors Only 、Minor Yours 、Resonant Emotions 、Tynan Tyme など。
その昔、Heath云う兄弟でドラムとベースとサックスのジャズマンがいた。このレコードでは、その中のJimmy Heathの曲を取り上げています。

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あれから131年が過ぎていった。明治十年に起こった西南戦争の戦死者は、一万三千有余名。両軍の死者は、相拮抗する人数であった。しかし靖国神社に祭られる英霊は、官軍として亡くなった半数の6,972名だけである。
戦いに動員された両軍の兵力は十万人。いわば明治維新の勝ち組同士の勢力争いにすぎないのだが、それからの日本に国を二分する内乱は起こっていない。

賊軍の頭目となった西郷隆盛とは、不思議な人物である。江戸城を無血開城に導いた維新の巨魁。たぐい稀なる英雄。それが賊名のそしりを甘受して討ち死にして果てたのだ。西郷は、江戸に一滴の血も流さなかったかわりに、故郷の城山を真っ赤な血に染めて、別府晋介の介錯でこの世を去っていった。
その死を惜しむものは多いが、中でも西郷と時代の転換期を担った勝海舟ほど、追慕してやまない人物はいないだろう。明治十二年、靖国に祭られない西郷を勝は、葛飾の浄光寺に南洲記念碑をひそかに建てた。(現在は、洗足池にある勝海舟の墓の横に移設されている。)

日本の近代官僚制度は、西郷と私学党残党の屍の上に築かれたのだと云っても過言ではない。この戦いで士族は滅び、官僚が国の担い手に台頭してくる。西南戦争を期に、地方は国に隷属する官僚支配体制が確立する。

麻生は、靖国神社について次のようにオフィシャルサイトで述べている。
<いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか―。 >・・<この問いに対する答えは、もう明らかだ。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。>
<例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法人化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。>
<靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた246万6000余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。 政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。>  と・・。

靖国神社が政治化された場所にならぬように、政治家が非宗教法人とした<招魂社>として国有化するのだというのは、なんとも短絡的で矛盾した話ではないだろうか?
明治維新がつくった近代国家・・その衣鉢を引き継ぐのが現在の日本国だとの認識である。麻生の靖国神社国有化論一つをとっても、麻生の歴史認識の浅薄さがうかがえる。

勝てば官軍と云うが、勝ち組を尊び、負け組を排斥するのが靖国神社のオキテとなった。だが百年余も漂泊の時が経るのだから、勝った負けたに拘わらず、日本を思いて死んでいった英霊たち全てに光を与えるのが民主国家の度量と云うものではないだろうか?国家にとって逆賊で反乱者であっても、反逆の思想は何だったのか?歴史とはそれを検証するものなのだ。

官僚制度をぶっ壊すのなら、まずは明治維新の呪縛から脱却しなければならない。神道派のNORIさんにとっては、麻生の提唱する靖国神社の鎮魂社国有化に反対である。明治天皇にしろ、乃木大将にしても神として神社で祭るのは、軍国主義の政治的な意図を感じるからである。

ジャケットは、コールマン・ホーキンスとレッド・アレンの“BATTLE of THE REPUBLIC”から。1957年に収録された。戦いが終われば、サンタが街にやってくる。

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<貨幣の信頼なくして、国家の安定なし。>である。日本の円が買われている。いまやスイスフランよりも円の方が信頼されはじめた。
これも「上げ潮派」の頭目と目される竹中半蔵の金融政策と、自己資本率向上につとめてきた日本企業が、ここ10年間かけて正道を歩んできた証なのだろう。
歴史とは皮肉なもので、あれほど竹中嫌いな自民党の派閥・門閥が、竹中の銀行公的救済策を自分の手柄のように自慢しはじめた。あの非常事態に、<麻生は銀行への公的資金注入に大反対した>と、竹中半蔵は憎々しげに述べている。その麻生は、<日本の経験として堂々と主張すべきだ。>と90年代の日本の公的資金投与を、さも自分の実績のように誇るのは噴飯ものの極みである。

麻生は、<日本経済は重症患者だ。再生に3年はかかる。経済は俺に任せろ。>と云うが、日本の実体経済は、トヨタが空前絶後の利益を上げてきた。
<産業のコメ>と云われる鉄鋼業界も王様の世を謳歌している。原料のクズ鉄が下がっているから、3月期決算はもっとよくなる見通しである。その上に、円高と原油価格が大幅に下がった相乗効果で、物価はさらに安定してくるだろう。電力も儲けすぎで批判されないように、値上げを再検討しはじめた。
大企業は軒並みここ10年で足腰が強くなっているのだ。おちぶれ炭鉱の財閥放蕩児から政界に転身した麻生君。あんたに任さずとも、健全な大企業は当面の内部留保をたっぷりとため込んでいる。

問題は、繁栄の中で光と影の格差が激しくなったことにつきる。竹中は市場原理主義ではあるが、ブッシュのように公的資金の注入に躊躇しなかった。実体経済を分析し、国家は何をなすべきかを具体的に実証してみせた。その上で小さな政府へ向かって構造改革に取り組んだ。
その間に市場経済は立ち直った。金をかけない政策だから影は放置されたが、湯水のごとく税金を使ってきた道路族と土木業者も、塗炭の苦しみに喘いでいる。公務員のわいろやネコババ(ネコチャンにごめんね。)は、白日に晒され始めている。<自民党をブッ壊す>といった小泉の予言は、いまや現実になろうとしている。(総選挙がはやくきてほしい。麻生のヒョット子面は、ますます歪むのではないだろうか?小泉の3世息子も落選するだろう。)

たかだかアメリカ発の金融恐慌におびえて<日本経済は重症患者だ。>と安易に語る御仁に、日本を任せておく訳にはいかないのだ。<マンガおたくで、失言症、お坊ちゃま>の麻生に、竹中並みの経済予知能力があるとは思えない。

ヨーロッパ経済は、アメリカに追従したために瀕死の重体に陥っている。<国際社会の一員として、洋上補給から手を引くのはありえない。>と麻生は言うが、ならば<国際社会の一員として、アメリカやヨーロッパに追従しなかった日本の金融界>を麻生は、ののしるのだろうか?

国際社会の一員だからこそ、アメリカや欧州に追従せず、イスラム社会との協調を探るのが、多神教の日本の道ではないのか?麻生は、一神教のキリスト教徒だそうだ。十字軍に加担するのは、麻生の単純な頭脳からすれば正義なのだろうか?
一神教といえば創価学会もかわらない。キリストを信じてもいないくせに、ローマ法王との会談を手柄にする池田某などは論外な日本人である。はっきり云えば、おバカなエセ・キリスト教徒と、個人崇拝の創価学会が手を結んで、国を運営しているのが今の自公政権なのである。そんな自民党なんか、もういらないのだ。
小沢もそう好きではないが、保守系野党の民主党にがんばってもらわねば、日本は良くならないだろう。秋のすがすがしい日は、このくらいズバーと云いたいものだ。

ところで株価はどうなるの??当面は小康状態。11月下旬、自民党大敗で株価は上昇する。政権が単独で民主党に移れば、さらに急騰するだろう。なぜなら衆参両院を民主が制するからネジレは解消し、政権が安定するからだ。さらに12月15日、アメリカ大統領選挙でオバマが選ばれるから、株価は世界的に急上昇するのだ。

麻生じゃないけど、3年間遊ばせる金があるなら、シロウトさんは今が株の買い時である。と、NORIさんは予言しておきます。皆さん、株価を上げたいなら民主党が買いのようだっせ。年の瀬には<もうかりまっか?><ボチボチでんな~>が流行るにちがいない。 
写真は、神々が宿る日光湯ノ湖からです。今週が日光の見ごろです。休みを取って、ぜひ秋を楽しんでください。

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10月16日は、快晴の秋日和。
株価はパニック状態で乱高下している。訳もなく右往左往している下界を離れて、こんな日は日和見を決めこむのが隠居の特権でもある。
そこで今年はじめての紅葉探索に出かけた。七時過ぎには谷川岳一ノ倉沢に到着。
いつもは新潟から流れこむ気流で山頂が雲に覆われている谷川岳だが、今日は雲ひとつなく二つの耳と呼ばれる両峰が峻立しているさまがよくみえた。情報では紅葉の見ごろとあったが、まだ少し早いようだ。
写真は、10月16日午前8時ごろの谷川岳一ノ倉沢です。

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藤原湖・奈良俣湖から奥利根ゆけむり街道の紅葉を楽しみながら、片品村を抜け金精峠越えで奥日光へ向かう。今年の紅葉は山が燃えるようだったとキノコ屋のおやじの話だったが、坤六峠付近はもう葉が落ちかけてしまい残念だった。

片品村からの日本ロマンチック街道を快適にドライブ、車窓からの秋風がここちよい。丸沼・菅沼あたりは、落ち葉のじゅうたんである。
金精峠のトンネルを抜けると途端に硫黄の匂いが漂う。男体山に抱かれた湯ノ湖から戦場ヶ原が一望に開ける。戦場ヶ原一帯は、紅葉の 見ごろを迎えていた。

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道は日光に入ると途端に混みだした。湯ノ湖のあたりが紅葉の真っ盛り。湯滝から戦場ヶ原、竜頭の滝では、平日にも関わらず小学生の遠足や観光客で混雑している。
<日光を見なけてば、結構というな>とかなんとか云うことわざがあったような?気もするが、けだし名言である。確かに湯もよし。滝もよし。湖もよし。ユバもよし。栃木の酒がまたよし。である。

米と云えばササニシキ・コシヒカリだが、その源流となった亀の尾を酒米として仕込んだ清酒は銘酒が多い。栃木の仙禽(せんきん)酒造の木桶造り純米吟醸原酒を購入する。ふくよかな香りが鼻孔をくすぐり、程の良い濃厚さが喉を濡らす。

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秋晴れの連休の最終日である。例によって例のメンバーは、下町ウオーキングに出かけた。今回のコースはJR目白駅に集合。都電荒川線に乗って三ノ輪に、それから浅草まで歩く予定だった。
都電の乗車賃は160円。一日乗車券は400円である。そこで一日乗車券を買い、適当に下車しながら浅草を目指すことにした。

まずは学習院大学の正門をくぐる。今をときめくヒョット子仮面???超セレブの麻生首相の母校である。警備員と目を合わさぬように正門を入る。(ちょっと・・君ら庶民は入ってはいけない・・)と呼び止められることもなく無事通過できた。連れの一人は、旧華族さまだ。目に見えない体内から発する高貴な香り・・きっと警備員にはわかるのだろう。
お坊ちゃま・お嬢さまがスポーツに興じる様子を横目で眺めながら台地を下り、うっそうとした森に囲まれた馬術場の横の裏門から抜け出す。
U君が素っ頓狂な声で、<ここは旧帝国大学だったのじゃないか?乃木将軍はここで殉死したのだ。>とのたまう。だがここは乃木希典が院長だったころの官舎の家だ。自殺したのは、青山の乃木神社の私邸の方だ。
学習院は帝国大学と呼ばずに、明治17年に宮内庁所管の官立大学となる。もともとは江戸時代に天皇家がおつくりになった華族のご学問所である。調べてみたら、学習院と同じく戦後私立大学に代わった大学がひとつだけあった。内務省所管で神社司庁に置かれた伊勢の皇學館大學である。

<神主の養成所なら国学院もそうやろ?>とU君が聞くので適当に<??かな>と答えておいた。だが国学院は、明治初年にできた皇典研究所が1920年(大正9年)に分離独立し、内務省の委託を受けて神職養成所として設立された初めから私学大学なのだそうだ。因みに日本大学もその時点で、皇典研究所付属の法律夜間学校から分離独立したそうだ。

学習院下から都電に乗って、庚申塚で途中下車。巣鴨とげぬき地蔵通りの<すがも園>で塩大福を買うためである。飛鳥山でまた下車。飛鳥山公園から王子まで歩く。王子から混雑した車内を揺れながら町屋・荒川をへて三ノ輪まで約20分ほどである。
本当はここから回向院・小塚原刑場・吉原の大門を経由して、両国の東京江戸博物館を目指す予定だった。でも時間はもう3時を過ぎている。三ノ輪の商店街を散策し、焼き鳥をゲット。隅田川のほとりでビールを飲む趣向となった。

明治通りから白髭橋までの裏街は、日本堤である。昔は山谷のドヤ街と呼ばれたが、今ではけっこう小奇麗な簡易宿泊施設が立ち並ぶ下町である。昔からの木造木賃宿は、今でも千円ほどで泊まれるようだが、新しい施設は一泊三千円の看板が多い。外人も多く泊まるようになった安全な町だ。

ここに泊まる人々は、まだ社会の富裕層である。少し下の層は、隅田川の河畔に青いテントを張って住む。
今日は、その青テントの横で、焼き鳥で一杯である。俺たちは大富豪だと満足感にひたる。さらに浅草まで2キロほどの川沿いには、自家発電・電動自転車付きの青テント豪邸なども建ち並ぶのは驚きだった。孫悟空のきんとん雲???なんせ金色の得体のしれない下品なオブジェが対岸に見えてきたら終点の浅草である。

ともかく浅草ときたら神谷の電気ブラン。髪の薄くなったU君が電気ブラシと呼ぶのはご愛敬だが、百円高いオールドブランと普通のブランを飲み比べる。髪の毛に効くのは高い方か?いずれも水薬のようでニッキ水のような味なのだ。甲乙つけがたいのだが、オールドがいいとMも旧華族のOも譲らない。

尾張家で天ぷらともりそば。仕上げはHUBでジャズを聴く。慶応出のジャズメン根市タカオトリオに七瀬薫のボーカル。藤井寛のヴィブラフォンも素晴らしく、薫ちゃんの歌のステージも楽しかった。毎月第二月曜日に出演するそうだ。5時から飲みだして10まで、5時間も飲んでしまった。

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かみさんの姪っ子の結婚式が明後日行われる。<オジサン、なんかしゃべってよ。>と頼まれて、つい<いいよ>って返事をしてしまった。しかし、家の建築のこと、売却資金繰りなどでそこまで頭が回らない。

ものの本によれば、何でも新郎新婦を褒めてやればいいそうだが、オベンチャラやゴマすりはできないNORIさんだから、歯の浮いた言葉なんぞ思い浮かばないのだ。かといって、えらそうな人生訓を語るのも性にあわない。
昨今の金融不安や、一部上場の新井組の倒産・・不動産・建設業の大不況などは、新郎が建設業に勤めているそうだから、これも禁句の話である。

<エ・エ~ 今日はお日がらもよろしく、○○クン・××ちゃん。それに両家の皆様はさぞお喜びのことと存じます。おめでとうございます。>(お日がらもよろしくって?NORIさん・・今日は先負けの午前中だぜ??) 
<もとい(これ、公務員が言い間違えた時につかう常套句)、ゴホン。今日は先負けの日にも関わらず、そんな古い因習にとらわれず、午前中から果敢に結婚式を挙行された○○クン・××ちゃん。君たちは、あえてこの日を結婚式の船出の日に選ばれました。新しい船出は、どんな困難が待っていても乗り越える固い決意の表明だとオジサンは喜んでいます。>・・でも・・マアお日柄の話は、やめておいた方がよさそうだから没収。

新婦のエピソード??身内だから話してはならない禁句は思い浮かんでも、話せば顰蹙をかうに決まっている。だいたいこのブログだって、政治の話が多くて面白くない。ジャズだけにしろとM君からクレームが来ている。でも趣味のウンチク話なんぞも、興味のない人には面白くもないのだ。それに乾杯前の話なんて、内心では早く終わってほしいと、だれも聞いてもいない。

人間あって七癖、なくて七癖。癖があってこそ人間らしいのだが、このくせものを話題にするのは至難の業だ。知らないうちに花嫁の人格を貶めることにもなりかねないのだ。それに新郎新婦の当人たちより舞い上がって、トチ狂って禁句を連発してしまったらどうしよう。

心配しはじめたかみさんから、紙に書いて練習しろと命令されるしまつだ。こう見えても小心者だから、静まり返った中で話すのは苦手で、あがり症なのである。そのくせ出たがり屋で仕切り屋だから始末が悪い。酒でも引っ掛けて話し出せば止まらないのだが、乾杯前だからそうもいかない。午前中の結婚式だから、待合室ではカクテルも出ないのだろう??(ポケットウイスキーでもトイレで飲もうか?)

自分が恥をかく前に、姪っ子に恥をかかせてはいけない。今日は天気もいい。ブックオフでなにかパクれそうな話題を探してこよう。
哲学の話など小難しいことをトウトウと述べて、少しは学のあるところを見せつけてやろうか。さすれば××ちゃんだって、<おたくのオジサン。もしかして学者?>って尊敬のまなざしで見られるかもしれない。

それとも綾小路きみまろ路線で、<知らない人に笑われ続けて61年。団塊のNORIさんで~す。・・中高年はおしっこも近く、天国も近い。そこのおじさんも早く終われとモソモソしはじめたネ。
かみさんも新妻と呼ばれ続けて36年。いまじゃあ下取りのきかない体、返品のきかない顔・・おいと呼べは、プイと無視される仲睦まじさ・・・そこのおばさん・・あんたのことさ・・>って・・と笑いの路線でいこうか? <オジサン、ひょうきんで面白い。>って受けるに違いない。
哲学者か?ひょうきん者か?どちらが××ちゃんに喜ばれるだろうか???今日・明日とハムレットのように悩む日となりそうである。

ジャケットは、シルビー・バルタンのフランスのドーナッツ晩から。サアサアみんなでロコモーション。なんて伊東ゆかりも歌っていました。

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