団塊の来し方行く末

昭和22年団塊世代。 緑内障が進行し、誤字脱字・誤変換が多いブログですが、ご容赦ください。 オーディオ好きが高じて、定年後に音楽喫茶を開店して11年です。 ジャズ・オーディオ雑誌にも何度か掲載された音の良い隠れジャズ喫茶でしたが 2020.3月に閉店しました。長年のご愛顧に感謝申し上げます。

自由を持て余すことない人生

人生で最も楽しかった時代は、受験戦争から解放された大学時代だった。休みは発掘三昧で汗を流し、酒も覚えたし、恋もした。親のすねをかじり、将来の不安を感じることもなかった。休講となれば、サークルの部室か雀荘か喫茶店で時間を潰した。自由な時間を持て余すことはなかった。いまでも叶うなら学生時代に戻りたい。

就職は4年になるまで考えたこともなかった。希望すス職種もなかった。束縛されて自由な時間を失うことが一番の不安だった。しかし、それほど苦労もなく親のつてもあった日本鋼管の入社試験に合格できた。試験は旧帝大・早慶・其の他私学の3枠に分けられ、其の他私学は200人ほどが受験したが、合格したのは私を含めてたった5名ほどの狭き門だった。同期入社の学卒150人中140人近くは旧帝大と早慶だった。

親のコネといっても、それほど強いものではなかったので、当時の超名門企業だった日本鋼管に入社できたのはラッキーというしかない。親からは取締役総務部長の正親(おうぎ)さんを紹介されたが、訪問時に対応されたのは総務部次長だった故渡辺宏治郎さんだった。渡辺さんは、偶然にも立教の先輩で熱心にお世話いただき、入社試験前に人事総務担当の副社長面接を段取りしてくれた。面接後に副社長の了解がでたと太鼓判を押してくれた。もし大学先輩の渡辺さんと出会わなかったら、軽くあしらわれていただろう。
入社後は、いつのまにか与えられた仕事を熱心にこなす会社人間となり、営業成果達成だけが目標の30年間が過ぎ、営業部長まで経験した。52歳で二部上場の日本鋼管工事㈱に転籍したが、張り合いのない窓際族の会社員生活に未練はなく、60歳で束縛から解放された。

60歳で給料がなくなる不安はあったが、一生を働くことが喜びだとは思わなかった。定年退職の日に授与された永年勤続表彰状はゴミ箱に捨てた。ネクタイは全て処分し、背広も着ることはなかった。ネクタイと背広は、私にとって作業着であり、外見を立派に誤魔化す道具だった。二度と着たくなかった。私は組織の歯車に過ぎなかったので、キャリアを生かすほどの能力はなかった。いわば私は小学生がランドセルと決別するように、希望に満ちた新たな人生を歩きたいと考えていた。

第二の人生を考え出したのは、日本鋼管工事㈱東京本店に配属されたのが転機だった。秋葉原の電気街に近い岩本町が事務所だった。昼に何げなく立ち寄ったのが、ヒノ・オーディオだった。そこで故日向野耕一社長と出会い、地下のオーディオ視聴室で昼休みを過ごすようになった。日向野さんはコーヒーの出前を毎回ごちそうしてくれ、私のオーディオ蒐集も始まった。定年を機にオーディオ喫茶もいいと考えるきっかけだった。地下室にはJBLALTECなどの大型スピーカーの名機が並び聴き比べて批評するのが楽しかった。ALTECでも千差万別である。ある時、オリジナルのALTECバレンシアが持ち込まれ、国産箱のALTECバレンシアと聴き比べた。ユニットは同じだが、音の豊潤さがまるで違う。即決で買うことに決めた。それは今でも私の宝物である。

オーディ熱に火がついた私に欠けていたのは、ソフトだった。入社以来の同僚だったミノワ君がジャズキチで、蒐集するレコードは1万枚を超えていた。私はジャスでは敵わないので、女性ボーカル収集に中古レコード店巡りを始めた。そこで知り合ったのが、川崎駅前のTOPSの渡辺さんである。女性ジャズボーカルの在庫では、関東随一と云ってもいい。入り浸っているうちに、酒も飲む仲になり、気茶店開業の後押しをしていただいた。私の第二の人生を導いた恩人は、ヒノ・オーディオの日向野さん、TOPSの渡辺さん、それにミノワ君の3人である。因みにミノワ君は、目黒区立一中の二年後輩で、奥さんも立教大学の二年後輩である。

喫茶店を開業して知り合った私の周囲には、定年退職後の自由な時間を持て余す人はほとんどいない。しかし世の中には、定年後の有り余る自由時間を持て余すあまりに、精神不安を抱えたり、一気にボケが進む人も多いようだ。仕事で束縛されてきた惰性の時間を、自らでは埋めることができなくなってしまった。さあ自由だ、好きに暮せと言われたって・・・・なかなか埋められない。その点で技術系の方は、退職後も能力を発揮する場が多いようだ。

私は自分本位に生きてきたので、自由を持て余す人に、的確な助言は持ち合わせていない。人それぞれ、興味や趣味や生き甲斐が異なるから、その人にあった生き方は十人十色で、人まねはできない。

私の体験から一つだけアドバイスすれば、一日の定常的ルーティーン ( routine,) を守ることである。私の場合は、5時半起床で朝のラジオ体操に参加することから一日が始まる。午前中はパソコンで頭の体操。午後3時から5時まではスポーツクラブで過ごす。特に温浴は免疫力を向上させル効果が高いので高齢者には欠かせない。夜は一杯飲んで寝るだけである。自由時間は午後のひと時だけである。もうすぐ目の限界からパソコンは使えなくなる。音楽を聴いて過ごすしかなくなるだろう。

定年前から余生の過ごし方を自らが模索し、何に没頭できるか課題を見つけることである。セカンドライフのための講座を設ける朝日カルチャーセンターや大学も多い。公民館に行けば、各種催しやサークル勧誘の張り紙がある。どんな分野でもいい。外部の刺激を受ける学ぶ好奇心を失わないことである。

徒然なるままに生きる自由

昨日は、今年4回目のジャズの会を5人で行った。コロナ前は、十数名ほどだったが、名簿を紛失し、連絡がつかなくなった。コロナで店を閉めてからも、ジャスの会は細々と続けてきた。

今回は、65歳の定年を機に新聞社を退職し、秋田にⅰターンしたSさんから珍らしい吟醸酒をお送りいただいたので試飲会を兼ねた。

このお酒は、秋田の『山本 和韻(わいん)純米吟醸酒』と焼酎である。仕込みには、ワイン酵母(シャルドネ用)と清酒酵母を両方使用して醸したハイブリッド日本酒で、白ワイン独特の張り出しの強い酸と優しい清酒の味が売り物である。試飲の感想は、さわやかな果実の香りにくせのないすっきりした清酒である。この酒粕を原料とした焼酎も、香り高く、飲み口はすっきりしていた。5人で2本を開け、他にもビールとバーボンで5時間近くジャズ談議に花が咲いた。二次会は、きらくな中国家庭料理店で夕餉の乾杯。都合6時間半ほど飲み続けた。

昨日は、70過ぎまでデパートに勤務していたTさんが、今年完全に退職した。「毎日やることがななくて、私がうらやましい。」泣き言を繰り返す。気持ちはわからぬでもないが、私はこの種の話が大嫌いである。

欧米では、働くことは人生の目的ではなく、生活を維持する手段にすぎない。賃金に見合ったアウトプットさえすれば、ケセラセラである。故に退職して年金生活で来る日を心待ちし、退職は『ハッピー・リタイアメント』 (Happy Retirement)と祝福される。私は会社に忠誠を尽くすような会社人間は、内心で軽蔑している。ゆえに、私が役割を終えた会社のOB会には加入していない。

人間は本来、自由に生きるために生まれ、金銭確保に、やむなく労働に時間を束縛されている。少なくとも、資本家や経営者ではない労働者は、労働とは見返りの代価を得るための手段だが、日本的経営では、儒教的「忠君功臣」を社員に求めてきた。愛社精神などは、親方日の丸・年功序列・永年勤続表彰時代の遺物である。というわけで、ジャズの会は、純粋にジャズ好きなトークだけでいい。過去の名声も、しがらみもないし、それぞれの家庭事情も持ちこんでほしくない。一切のストレスから解放され、ジャズ好きな仲間がジャズ談議で、一義一会のその場を楽しく過ごすのを大切にしたい。ここでは、音楽以外の話はしないことが大原則である。

来年4月に、私は喜寿を迎える。昔ならそろそろお迎えの時だが、77歳まで生きた平均余命は、11.09歳とされるので88歳まで生きる可能性がある。そこで一念発起し、来春から80歳を目標に、無料の音楽サロンを週一の金曜日に行おうかと考えている。音楽以外の話は、御法度にしたい。予定は未定にして決定にあらず・・・で、模索中である。

断捨離かねて無料カフェを始めます

毎日のニュースからウクラウナ情勢がめっきり減ってしまった。イスラエルのガザ侵攻のせいである。ほくそ笑むのはプーチンとトランプだろうか。ウクライナを護るのは、民主主義の根幹に係わる問題だが、ガザ侵攻は一神教同士による民族紛争だから、人道なんて倫理観は通用しない。イスラエルもパレスチナも神による聖戦だと信じ込んでいる。我々日本人には、理解しがたい世界観だから、ガザのパレスチナ人に生まれなくてよかったと想うしかない。

人間って・・・・人類って・・・・・本当に愚かな生き物である。誰も見たことのない神を妄想し、神に救いを求めた挙句に、人類同士が殺し合う。何のために人を殺すのか?アホらしくって、ブログに書く気にもなれない。私には説得も、折伏もできない。

岸田の減税政策も、アホとしかいえない。なぜなら減税の財源は借金の国債だからである。現世利益集団の公明党が政権に入ってから、日本は借金王国になってしまった。まさに日蓮の説く堕落しきった末法の世である。

とかく排他主義の一神教が政治に加介入すると、この世は乱れる。共産主義も一種の一神教で同じである。人類が宗教を全否定する日が来ない限り、人類は神という妄想から解き放たれることはないだろう。

という訳で、口角泡を飛ばしてブログを書く意欲が最近薄れてしまった。この世との未練を立ち切るために、断捨離のレコード整理を再開したが、未練経ちがたい。これからは、ブログを書くよりも、レコードを聴く時間を増したい。

1人で聴くのはもったいない。そこで来年春からは、週一回金曜日、レコード鑑賞の無料オープンカフェを始めたいと考えている。商売ではないので保健所の営業許可はいらない。飲食の提供はしないので、飲食持ち込みの無料休憩所である。電気代に50円ほど参加費でどうだろうか。

建物の外部塗装・タイル診断・補修工事を正月明けから予定しているので、外部足場が取れた3月から始めたいと考えています。

日々の楽しみ

『男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。』とは、かの紀貫之の『土佐日記』の冒頭である。日記ならぬブログは書き続けてきたが、時にへたくそな俳句や和歌を詠んで無聊を慰める。

俳句は正直むずかしい。韻文であり、季語や約束事が多いからだ。和歌もまた、5音と7音の韻律が基調だが、「長歌」「短歌」「旋頭歌」など抒情歌なので自由度が大きい。日本語の韻律の調べさえ守れば、俵万智のように心のままを自由に羽ばたける。

私の記憶に残る歌は次の三首である。 

<白鳥は哀しからずや海の青 そらのあをにも染まずただよふ>若山牧水

<山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ>釈迢空

<たのしみは朝おきいでて昨日まで 無かりし花の咲ける見る時>橘曙覧

橘曙覧は、歌集「独楽吟」のなかで、51首の<楽しみは>で始まる短歌を詠んでいる。そこで私も日々の中のなにげない楽しみを詠ってみた。

 

幕末の越前の歌人、橘曙覧(あけみ)に習いて作る歌16首。櫻井伊豆左

  楽しみは 朝陽を浴びて日々変わる 武蔵野の四季 友と語る時

  楽しみは 朝靄ついてラジオ音に 集う仲間と 息合わすとき

  楽しみは 日の出のテラス自販機で 100円珈琲 友と飲むとき

  楽しみは 朝の散歩の森の中 キツツキ叩く 音に目覚めし

  楽しみは 朝の散歩に何げなく 路傍の花を アプリで知るとき

  楽しみは 朝焼け照らす森蔭に 群れなす花を 悪茄と知るとき

  楽しみは 青く澄みたる高空に 列なす雁の 飛ぶを見るとき

  楽しみは 日の出を迎う元朝に 体操の後 甘酒交わすとき

  楽しみは 年越し蕎麦に酒添えて 除夜の鐘音 今年も無事に

  楽しみは 年毎に減り銭もなく 五体ボロボロ 喜寿となりぬる

  楽しみは 食欲減るも夕餉には 酒の肴と 一膳の飯

  楽しみは 暮れ行く年のスポーツに 後輩たちの活躍見るとき

  楽しみは たまの便りの友垣と 酒飲む誘い 明日は新宿

  楽しみは ジャスを奏でる真空管 ジャケット眺め 友と語るとき

  楽しみは 古代の迷路彷徨いて ネットで出会う 解を得しとき

  楽しみを 無かりし世には未練なく さらばと旅す日も遠からじ

たのしみは・・・・・

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時』

この和歌は、幕末の歌人、橘 曙覧(たちばな あけみ)の「独楽吟」52首の一首である。正岡子規が、『墨汁一滴』で絶賛した歌人で知られる。『楽しみは・・・・』の一連の歌には、日常を平易な言葉で表現されている。このうち私の琴線に触れる歌を紹介したい。

<花鳥風月を楽しむ>」

〇たのしみは空暖かにうち晴し 春秋の日に出でありく時

〇たのしみは意にかなふ山水の あたりしづかに見てありくとき

〇たのしみは常に見なれぬ鳥の 来て軒遠からぬ樹に鳴しとき

〇たのしみは庭にうゑたる春秋の 花のさかりにあへる時々

<友と出会う楽しみ>

〇たのしみは物識人に稀にあひて 古しへ今を語りあふとき

〇たのしみは心をおかぬ友どちと 笑ひかたりて腹をよるとき

〇たのしみはとぼしきまゝに人集め 酒飲め物を食へといふ時

<家族との楽しみ>

〇たのしみは妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時

〇たのしみはまれに魚煮て児等皆が うましうましといひて食ふ時

〇たのしみは機おりたてゝ新しき ころもを縫て妻が着する時

<収集の楽しみ>

 〇たのしみはほしかりし物銭ぶくろ うちかたむけてかひえたるとき

〇たのしみはふと見てほしくおもふ物 辛くはかりて手にいれしとき

<知識との出会いの楽しみ>

〇たのしみはそゞろ読ゆく書の中に 我とひとしき人をみし時

〇たのしみは珍しき書人にかり 始め一ひらひろげたる時

〇たのしみは紙をひろげてとる筆の 思ひの外に能くかけし時

〇たのしみは百日ひねれど成らぬ謌の ふとおもしろく出きぬる時

〇たのしみは世に解がたくする書の 心をひとりさとり得し時

 

日々の何気ない出会いに喜びと感謝を感じながら、余生は生きたいものである。定年後の<無聊(ぶりょう)を慰める(退屈しのぎ)>ために、60歳から団塊の生き様を綴るブログを始めたが、最近は筆も鈍りがちである。緑内障による視野欠損が進み、目から入る情報が少ないので、物欲や好奇心が薄れてしまった。それに、いくら吠えたところで犬の遠吠えで、政治も戦争も一向によくならない。

朝のラジオ耐雄の仲間と数人で、一橋大学構内の自販機コ-ヒーで30分ほど、よもやま話をするのがたのしみとなった。構内は武蔵野の面影が残り、春夏秋冬の移り変わりを肌で判じる。今はハナミズキの実が赤く染まり、日増しに木々の紅葉が進む。

<楽しみは朝起きいでて日々変わる 武蔵野の四季 友と語るとき>

目下の興味は、母校の高校・大学スポーツの活躍である。立教スポーツは、駅伝の上野監督のえげつない醜聞事件と、野球部のつまらない事件で世の顰蹙を買ってしまったが、駅伝は学生が頑張り予選6位で箱根本選を確保してくれた。特に関口絢太,(経営学部4年, 國學院久我山)が、立教新記録・日本人4位で引っ張ってくれた。駅伝部主将の宮澤徹(4年・國學院久我山)は、監督不在の穴を埋めて裏方で頑張って欲しい。これで正月三が日は楽しめる。箱根の山登りが上手く行けば、10位に食い込むことも不可能ではないが壁は相当に高い。立教大学ラクビー部の主将はスクラムハーフの北川時来(4年・國學院久我山)である。今期の対抗戦は全敗だったが、昨日の青山大学戦で勝利した。

東京6大学野球では、不祥事のあった立教は東大以外には全敗だったが、慶応大学の宮崎恭輔(4年・國學院久我山)が満票でベストナイン捕手(打率3割7分・ホームラン3本)で選出された。また上田太陽(商学部1年)が早慶戦では、セカンド・スタメンに起用され、守備のうまさを見せてくれた。二人とも高校時代は,甲子園にもキャプテンで出場し、文武両道で頑張っていた。

東京都高校駅伝大会では、国学院久我山が2時間711秒で優勝し、2年ぶり25回目の全国大会に出場する。目標は10位以内だが、12.3位くらいではないか。

114日の東京都高校サッカーの準決勝では、事実上の決勝戦とされる帝京高校と1-1のままPK戦を4-1で國學院久我山が決勝に進出した。

今週の11日は、サッカー決勝戦は久我山vs早稲田実業。ラクビー決勝戦は、久我山vs目黒高校が行われる。下馬評はいづれも久我山優勢なのでテレビ観戦が今から楽しみだ。

<楽しみは暮れ行く年の瀬スポーツに 後輩たちの活躍見るとき>

「愚策に次ぐ愚策」 亡国の中国と日本

中国の習近平体制下で、言論・出版・報道の思想統制が厳しく規制されだしたという。国家機密防衛と称するスパイ法で、アステラス製薬の50歳代の日本人男性が、「反スパイ法」違反の容疑で逮捕された。それもこれも、共産党一党独裁体制の維持のためだという。

共産主義がこのようなドグマに陥るとは、マルクスも予言できなかった。共産主義は、もはや社会科学ではなく、一種の聖典となり、習近平は唯一絶対の共産宗教の皇祖になりつつある。このまま中国が共産党独裁国家を維持すれば習近平は、現代のムハンマド(メッカに生まれ、神アッラーの啓示を受けてイスラム教の伝道を始めた唯一絶対の伝道者)と永遠に讃えられるだろう。神を否定する共産主義が、自ら唯一絶対の神の予言者として君臨するざまは、論理破壊したカルト集団に見える。

昨日の報道で知ったが中國では、明朝最後の皇帝崇禎帝(すうていてい)を題材に、9月に再出版された「勤政的亡国君(勤勉な亡国の王)」が、事実上の出版禁止となり、ネット検索もでき案くなった。おかげで、古本が数十倍で売れているという。

この本は、201612月に第1版が「崇禎往事」との書名で出版されたが、改訂に当たり題名と、本の宣伝帯が、習近平批判と当局の検閲に掛かったとされている。なんせこの国は、秘密主義なので出版禁止の理由は明かされない。

宣伝帯には、「愚策に次ぐ愚策、勤勉な王ほど国は滅びる」とあり、これが習近平を揶揄する政治批判だと、取り巻き連中が忖度したのだとウワサされる。本の内容は、今年5月に死去した歴史家の陳梧桐に揺る歴史小説で、17世紀の明の滅亡に至る過程を描いている。

崇禎帝(すうていてい)は、明の最後の第17代皇帝。崇禎帝の時代は、北に満州族の後金が侵攻し、南では李自成の反乱が多発した時期だった。崇禎帝は、政治に熱心であり、色事にふけることもなく、倹約を心がけていた。しかし猜疑心が強く、臣下を信用できない悪癖を有していた。即位直後から重臣を次々と誅殺し、在位17年の間に誅殺された重臣は総督7名・巡撫11名、罷免された者も多数あり、重臣達の士気の低下を招くこととなった。

明王朝の最後は哀れである。崇禎17年(1644年)、農民を武装蜂起させた李自成の乱により北京は包囲され陥落した。崇禎帝は息子たちを紫禁城から脱出させ、側室と娘たちを自ら手にかけて殺害した。反乱軍が北京を包囲すると、宦官・文武百官全てが崇禎帝を見捨てて李自成軍に降伏し、宦官の王承恩のみが崇禎帝のもとに駆けつけた。崇禎帝は、紫禁城の北にある景山で首を吊って自殺した。王承恩も皇帝の隣で首を吊って殉死した。

「愚策に次ぐ愚策、勤勉な王ほど国は滅びる」は、明王朝の最後を伝える史実だが、習近平の側近は、政治風刺と受け止めた。裏を返せば、習近平の政策が「愚策に次ぐ愚策」であると認めるものである。

中国は、共産主義による統制経済が限界を超え、もはや自由主義経済のサプライ・チェーンから除外されだした。生産拠点は、雪崩を打ってタイ・ベトナムに移行されだした。もはやいくら誘致政策を行おうが、政治リスクを恐れる欧米企業が中国に拠点を設けることはない。台湾のIT企業も、中国の侵攻リスクから熊本に拠点工場を新設している。情けないが、台湾より日本の賃金が安いこともある。中国政府の幹部や富裕層は、カナダ・アメリカ・オーストラリアに拠点を移し、息子たちを欧米に留学させ、市民権・永住権を取得させている。日本の都心部のマンションも、中国人が投資と、いざという時の退避用に購入している。

習近平は、愛国主義教育に力点を置いているが、ネット社会のなかで、情報は筒抜けである。日本の魚類輸入禁止も、国家扇動で行われたが、海外からの情報が拡散するにつれ鎮静化し、観光客も戻っている。日本近海の中国漁船は相変わらずだし、中国の二枚舌政策は、世界のもの笑いされている。
愛国教育は、情報を持たない貧民層には浸透するだろうが、高等教育を受けた若者には通用しない。統制が厳しくなればなるほど、優秀な人材の国外流出が進み、中国の没落が加速する。もはや習近平の共産主義経済政策では、没落に歯止めはかからない。さすれば習近平は、国内不満を海外に転嫁し、緊張感を煽る愛国精神の高揚に走る。台湾有事のリスクは高まるだろう。特に、パレスチナとウクライナの戦闘が長引けば、アメリカは台湾まで手が回らなくなる。虚を突いて、中國が動く可能性も高まるが、外相・国防大臣の相次ぐ失脚で習近平政権の立て直しに時間がかかりそうだ。軍部の上層部の腐敗も露見し、軍隊の士気を落ちている。しかし実態が見えにくい国なので、一寸先は予見できない。

対岸の火事と見下したいところだが・・・・足元の岸田内閣も「愚策に次ぐ愚策」、減税政策など愚の骨頂である。なぜなら財政規律などハチャメチャである。国債が増える一方なのに、借金を踏み倒し、税収が増えたので国民に還元すると愚民政策でゴマ化そうとする。日本国民はバカじゃないから、岸田の支持率は3割を切り、6割近い不支持率である。だが立憲の泉健太に期待する声もないし、自民党にも人材がいない。こんな無責任国家が国際的に信用されるだろうか。中国も日本も、債務超過のデフォルト国家には変わりない。

古代史徘徊―文明の誕生と抗争の歴史―

1.           文明と宗教の相克(そうこく)  

歴史を学ぶ目的は、昔から『温故知新』古きを訪ね新しきを知る、と言われてきた。しかし文明の誕生以来、人類は権力闘争、領土紛争、宗教対立など紛争と戦争が絶えない歴史はなかった。人間とは、賢い動物なのか、愚かな動物なのか、『ジキル博士とハイド氏』のような解離性同一性障害の精神疾患を内在する動物であり、叡智では克服できない前世からの宿業を背負ているようだ。人類は歴史から学び、新しい世界を築いてきただろうか。確かに科学の進歩は著しいが、精神文化の進歩は文明の発生から進歩しただろうか。

歴史は、権力者の悪知恵に利用され、権力者を擁護する愛国教育の道具にされてきた。歴史学は、人類の向上の役に立ってきたのだろうか。ウクライナ戦争、中東戦争を目の当りにして、人類とは霊長類最悪の愚かな生き物だと思うようになった。

紀元前8世紀の中国、春秋戦国時代の儒家の言葉に『衣食足りて、礼節を知る。』という諺がある。<およそ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り、守り倉廩に在り。国に財多ければ、則ち遠き者来きたり、地、辟挙すれば、すなわち民、留処す。倉廩みちて、すなわち礼節を知り、衣食足たりて、すなわち栄辱えを知る。>:『管子』牧民篇より。一見すると素晴らしい権力者への戒めの言葉だが、権力者が民を豊かにしても、民が礼節を知ることはなかった。豊かになればなるほど貧富は拡大し、経済的勝者と敗者の二極化がもたらす社会問題は深刻さを増している。

例えば世界一の高福祉国家と言われるスウェーデンでは、2020年に約157万件の犯罪が報告されている。同年の日本の犯罪件数が約92万件なので、人口規模(日本:約12000万人、スウェーデン:約1000万人)では、スウェーデンの犯罪数は突出している。また国連統計によれば、スウェーデンの性犯罪発生率は2010年で人口10万人あたり63.54人、同年の日本は1.02だった。スウェーデンでは、日本の63倍もの強姦事件が発生し、性犯罪率率はOECD加盟国で最悪である。『衣食足りて、礼節を知る。』ものではなかった。

それどころか、資源強国が資源供給を権力拡大の武器に世界制覇を目論む時代である。習近平国家主席の一帯一路構想は中華思想の野望であり、プーチンの欧州に展開する天然ガスパイプライン網やサハリン油田開発もしかりである。『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』とは、まさに人類の歴史である。

2, 日本国誕生の事実検証

私の生涯研究の対象は、日本の弥生から古墳時代の国家誕生がテーマだが、日本書紀・古事記に描かれた古墳時代の真っ赤なウソを、地上に残された遺物と痕跡から立証することであった。記紀神話は、天皇制という虚構を信じ込ませる日本流の聖書の役割を果たしてきた。権力者による大衆操作の道具である。海外の視点から見れば、神国日本は旧約聖書やコーランと変わりない信仰書である。神武東征の足跡を探ることは、ノアの方舟の痕跡を探る行為に似る。

日本の夜明けを紐解けば、朝鮮半島経由の中国文明に揺籃されて目覚めた後進国であることに気づかされる。しかし古代史愛好家でも魏志倭人伝に詳しくとも、中国史や朝鮮半島の歴史まで手を伸ばす方は少ない。魏志倭人伝は、邪馬台国と云う日本列島内(倭)の一つの部族連合国の朝貢を書き留めたものに過ぎず、今日につながる日本ではない消滅した国家である。

大陸の歴史書は、戦乱の歴史を紐解くもので、聴きなれない人物が多く、しかも漢字が難解で歯がたたない。古墳時代に限っても、中国の文献史料は素人に手が出しにくい。そこで私なりに朧に理解できたことは、朝鮮半島南部の伽耶(かや)または加羅(から)地域には、倭の橋頭保となる「任那加羅」が存在していた。この地域に産する鉄鋼資源抜きに、古墳時代の倭国は成立できなかった。古墳時代を通じて、ヤマト王権の最大の外交課題は、伽耶の鉄鋼資源の確保であった。

中国が内部抗争し混乱した4世紀の五胡十六国時代は、朝貢外交の必要性はなかったので、中国史に倭国の記述はなかった。しかし五世紀に入ると華北では、鮮卑の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方騎馬民の部族制を解体した。江南では劉裕が東晋より禅譲を受けて420年に宋を建国し、中国は南北朝時代になる。ヤマト王権では、朝鮮半島の権益を護るために中国に朝貢し、倭の五王の称号を授与されて、百済・新羅から分離独立した伽耶の鉄鋼権益を護った。

朝鮮半島からは、鉄鋌(てつてい)と呼ばれる鉄の延べ板の素材が大量に輸入され、倭国は鉄器時代を迎えた。それが纏向のヤマト王権を誕生させた原動力である。

百済・新羅・伽耶・任那と倭国は、一衣帯水の濃密な関係性を保つ部族国家である。言い換えれば、朝鮮も倭国も同一民族が別れた部族国家群といえる。このころ朝鮮半島と日本列島には、異民族意識はなく、対立する部族意識だったと想像される。

異なる点は、倭国の日本列島には原日本人の縄文人が先住民族として独自の文化を持っていたことである。しかし民族意識などない縄文時代に、伊万里市の腰岳の黒曜石や日本の縄文土器が朝鮮半島の南部から出土し、朝鮮半島の櫛目文土器や釣り針、中国製の耳飾りが日本列島側で出土している。

稲作文化も縄文晩期に朝鮮半島から伝播している。おそらく稲作農耕技術を有する朝鮮半島の部族が北九州に移住し、水耕栽培を開始したのではないか。弥生時代には、大量の朝鮮半島から移民が流入し、縄文人と和合して稲作農耕の弥生時代が開始された。渡来人の流入は、青銅器や墓制及びDNAからも検証されている。

1世紀中葉に中国正史の『三国志』や『後漢書』では、「其(倭国?)の北岸」または「倭の西北端の国」の『狗邪韓国』(慶尚南道金海市)とその北に位置する弁韓諸国と呼ばれる小国家群が出現している。後に狗邪韓国(金官国)となる慶尚南道金海の付近は、弥生時代中期(前43世紀)以後になると弥生式土器が急増し始める。これは後の狗邪韓国(金官国)に繋がる倭部族が進出した結果と考えられる。古墳時代には、同地域に前方後円墳や埴輪が出現し、倭国との文化の共通性は顕著である。しかし韓国では愛国心から、倭部族が進出した国だとの事実をみとめない。

日本国家誕生は、中国史と朝鮮半島史を合わせて理解しないと全容が見えてこない。つまり日本古代史は、東アジア古代史の一分野に過ぎないのだが、閉鎖された島国故に、独自の歴史観(記紀神話)が真実の如く通用してきた。真の古代日本史を解明するには、東アジア史を学ばねばならぬと70にして解かったが、今や遅しである。

3,   世界四大文明と宗教の発生

私の高校時代は、日本史と世界史は選択制だった。私は受験に日本史を選択したので世界史には疎い。日本史は東アジア史に括り、明治以降の近代・現代史に教育の力点を置くべきだと思う。さすれば、嫌悪な日中・日韓の歴史的背景も理解できる。源平や鎌倉武士の中世は教養智識だけでいい。「鎌倉殿の13人」などは、歴史オタクで十分である。ただし郷土史は小・中学生時代に、遠足を兼ねて学習して欲しい。

同様に文明が生まれたチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、次にナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明、黄河・長江流域の中国文明は、必須科目として充実すべきである。近世の西洋史は、ポルトガル・スペイン・オランダなどが地球規模の新大陸を発見し植民地化した大航海時代以降でいい。無論フランス革命以降の西洋史は必須である。

チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明を学べば、現在のイラン・イラク・イスラエル・パレスチナの中東紛争の歴史的背景が理解しやすい。この4大文明から発生した宗教が現代社会でも、善悪の根源となり人類を苦しめている。オウムも統一教会も、この文明から発生した亜流の邪教集団である。文明の発生とともに、人類は神を創造した。万物の創造主は、人間の空想力であり、神ではない。

古代のメソポタミア神話の地球平面説は中世まで、世界の主流だった。この時代にチグリス・ユーフラテス川が大氾濫し、旧約聖書の『ノアの方舟』が出来上がった。ノアの方舟で逃れたノアが、創世記の記述に従えば、すべての人類の祖先である。聖書によれば人類は、500万年前にアフリカに誕生した直立猿人や欧州のネアンデルタール人、中国の北京原人ではない。旧約聖書に描かれた歴史は、チグリス・ユーフラテス川の自然現象を神話化したもので、人間の空想の産物である。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、ノアの創造の産物である。仏教では、孫悟空は釈迦の手の中を飛び回って世界の限界を知ったが、人類は釈迦の手から解き放たれて広い宇宙を知った。

ところが、アラブ人は、いまだにチグリス・ユーフラテス川文明のままである。幸か不幸か、閉鎖された日本列島の民は、4大文明から隔絶していたため、ノアの乗船の子孫になることもなく、天皇という唯一神を創作した。天皇の創造主は、8世紀の革命児・天武天皇であり、アマテラスは存在しない。

三角形の定理のパスカルは、著書の中で「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。 しかし人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である。」という。『パスカルは、神の存在は論理的に証明できる次元ではないとし、神の存在を証明する哲学論を否定した。パスカルは、神の存在は科学的に証明できないが、神を信仰することが神を信仰しないことより優位であると確率論で示した。基本的人権の信仰の自由は、葦の如く弱い人間の精神の救済に不可欠と考えたからだろう。

歴史を科学的・論理的に分析すれば、現在の宗教対立・民族間対立・人種差別などは解消されるはずである。私は、世界を平和に導くことはできないが、せめて日本の歴史の誤りくらいは糺し、天皇制神話を信じる国家主義者を日本から一掃したいと願っている。正確な日本国家の夜明けを知れば、日中・日韓のわだかまりなど解消されるに違いない。なぜなら東アジア文化が波紋のように広がった歴史を共有する同族・多部族国家だからである。

右の頬を打たれたら・・あなたは?

日曜のフジ THE PRIMEでは、レギュラーの橋下徹とゲストの櫻井よしこが不毛な議論で対立していた。この二人、何れも好きになれないが、似た者同士だが犬猿の仲に見える。話は、イスラエルのガザ攻撃が許容できるか否かであった。櫻井よしこは、イスラエルの攻撃は『自衛権』に基づき正当であるとする。橋下は、国際法に基づき一般市民を巻き添えにする攻撃は許容できないと、しつこく主張する。紀元前4世紀の中国戦国時代の荘子は、このようなくだらぬ議論を『蝸牛角上の争い(かぎゅうかくじょうのあらそい)と云った。

いいかげん、うんざりして関口宏のTBS「サンデーモーニング」に切り替えた。この番組は、見識あるコメンテターが持論を述べるが討論会ではない。議論が深掘りされないので物足りないが、関口がコメントしないのが長寿の秘訣かもしれない。また橋下や櫻井よしこのような偏向人物は呼ばれることはない。それがこの番組の見識である。

来年3月に関口は引退し、元NHKアナウンサーでTBSテレビ専属契約の膳場貴子に代わる。関口の語り口に不快感を持つ方も多かったが、大学の先輩でもあり、長寿番組にしがみつつくことなくご苦労様といいたい。みのもんた・徳光・古館など一線を去り、立教卒の看板がまた消えた。長嶋一茂では物足りないが、まあいいか。

所で橋下と櫻井よしこの不毛な激論に、私がうんざりしたのは、議論のポイントがあまりにも非現実的で浮世離れしていたからである。

そもそも戦争に大義や正当性はあるのか?サマスがテロ組織であり、国家ではないと規定したところで問題は解決しない。しないばかりか、西欧のキリスト教国家がイスラエル支援をだせば、パレスチナ国家はますますサマス支援で団結する。

サマスは国家ではないが、事実上のガザ地区の実効支配者で地下トンネルで武装化されている。今回の紛争は、突然に戦争布告もなく、数千発のミサイルを撃ちこんだことから始まった。

実行犯はサマスだが、裏で弾丸を供給する黒幕がいる。イスラエルが、ガザ殲滅作戦を行おうが、黒幕の思う壺である。サマスなどイスラムのジバードの捨駒だから、殲滅は織り込み済みである。むしろイスラム過激派は、西洋諸国に無差別自爆テロ攻撃を活発化させるだけである。今回のサマスの挑発攻撃は、世界をテロの恐怖に巻き込むことが、黒幕の真の狙いではないか。

櫻井よしこみたに、イスラエルの自衛権の正当性を叫ぶのは愚の骨頂。イスラムにはイスラムの聖戦の正当性があるからだ。宗教上の対立は、昨日今日の話ではない。極論すれば、いづれかの宗教が地球上から消えない限り殺し合いは続く。しかもユダヤ教もイスラム教も、世界一の戒律を守る敬虔なる信徒集団である。例えば両宗教共に、厳しい禁欲と食事の戒律、断食が課せられている。

イスラムが取るべき五行には、①告白(シャハーダ)、礼拝(サラー)、⓷喜捨(ザカート)、④食(サウム)、⑤礼(ハッジ)、これに、ジハード(努力・聖戦)が加わる。これは、宗教の戒律であると当時に法律でもある。基本的人権や個人の尊厳よりも、神への忠誠心が最優先される世界観である。橋下の説く国際法など通用しない。

『目には目を、歯には歯を』は、アラブ・パレスチナ・ヘブライに共通する遊牧民の基本法と言える。

マタイ福音書5-38には、『目には目を、歯には歯をと言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなた方に言う。悪人に手向かうな、もしだれかがあなたの右の頬をうつなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をもあたえなさい。』とある。アメリカをはじめとするキリスト教国家が、イスラエルの自衛権を擁護するのは、キリストの教えに反するのではないのか。私は何もできないが、イスラエルの自制を神に願いたい。

信教の自由は、諸悪の根源なり

日本人にとり心の聖地とは、故郷の鎮守の森の山であり、海と川である。伊勢神宮を心の聖地だと思う人は少ない。天皇家ですら、明治になるまで自ら伊勢神宮に参拝することはなかった。また最近では、天皇家が多摩御陵参拝を行うが、これも明治以降の国家神道の風習である。そもそも神道において、霊が墓に宿るとは考えていない。故に墓地が霊地になることはなかった。墓地は霊地でもなく、霊の去った屍の不浄の穢れの場とされていた。霊は鳥に運ばれ、止まり木の鳥居に降り立ち、清浄なる神殿にお迎えする。代々の天皇陵など築造後は忘れ去られていたが、江戸中期に神道国学復興の水戸黄門が幕府に働きかけて、御陵特定と整備を行った。しかし古墳の主を特定するのは困難である。古墳は、聖地化することなく、古代遺物として科学的な発掘調査を行い、古代史を解明すべきである。

ところが、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、聖地はエルサレムであり、しかも一神教だから排他主義である。種々雑多な神々が同居し、海幸・山幸を分け合って仲良く暮らしてきた日本人には、一神教がいがみ合う西洋文化は理解しがたい文化である。

日本では、多様性を認めあうのが近代文明のように昨今は喧伝されている。しかし一神教の世界では教義のみが絶対であり、多様性など認める余地はないのが実態だ。イスラム教のハマスとユダヤ教のイスラエルは、未来永劫にお互いの存在を認め合うことはあり得ない。厳しい戒律を守ることが神への忠誠心であり、来世が約束される。ハマスは、来世を信じ、殉教こそが最善の生き方である。

ユダヤ人は、原イラン多神教を基にするザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)教により、バビロンの捕囚を解かれて、故郷のエルサレムにユダヤ国を再建したが、パレスチナでの宗教対立の歴史は、紀元前3千年前から現在に至っている。

ニーチェがツァラトゥストラに語らせたように、人類は神を全否定し、超人とならぬ限り、宗教対立による殺し合いはなくならない。神の存在こそが、悪の根源ではないのか。実証主義においては、根拠が証明できない神は存在が否定される。宇宙に神秘などなく、ただ人類の英知が解明の域に達していないだけである。

現代国家では、信教の自由を憲法で保障することが自由主義国家の絶対条件とされている。信教の自由は、人間の魂の救済にかかわる精神的自由の源として、1789年のフランス革命の人権宣言で初めて保障された。その後、昭和23年(1948年)1210,国連第3回総会(パリ)において,「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として,「世界人権宣言」が採択された。しかし一向に人類の基本的人権は護られず、今やロシアのウクライナ戦争が泥沼化し、第三次中東戦争が始まろうとしている。ウクライナ戦争は、領土問題なので、いつか解決するが、中東戦争は一時的な停戦はあっても、信仰がなくならない限り、根本的な解決はあり得ない。

我々日本人は、ハラハラ見ている以外に仲介は出来ない一神教の世界観である。敢えて言うならば、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」は、『信教からの心の解放宣言』であり、ニーチェが提唱したように、『神の存在を善否定する超人宣言』を国連で採択することである。

信教の自由は魂の解放ではなく、魂を神に捧げることである。統一教会では、信教の自由を楯にとり、邪悪な金儲けの詐欺に宗教を利用してきた。宗教とは、善良な人類から、神への献金と称してカネを搾取する詐欺道具にすぎない。未来の法文化では、人権宣言をもって、全ての宗教活動を禁止する社会が到来すると、私は予言しておく。真の心の自由とは何か。オウムや統一教会事件を経験した日本人は、心の中を問い直してはどうか。

日本は、『戦争放棄』を国是に掲げ、78年間は戦争に巻き込まれずに済んだ。銃や武器を手に取ることもなく、平和な時代に生きた日本の団塊世代は、世界一の幸せ者である。これを押し付け憲法で、戦争の出来る普通の国に、憲法改正が必要だとノタマウ櫻井よしこを教祖とする自民党右翼は、統一教会の「国際勝共連合」と結託して国民を欺いてきた。

安倍晋三を襲った凶弾一発は、ニセ愛国者の化けの皮を剥がした歴史的な瞬間となった。山上徹也容疑者の犯行動機がなんであれ、結果として岸信介以来の日本右翼の暗い闇を暴いた。これを機に、信教の自由を隠れ蓑とさせぬように、全ての宗教法人に対する優遇処置を撤廃してはどうか。

信教の自由を保障することと、宗教法人を優遇する事は別問題である。信仰は個人の自由で国家の保障対象だが、宗教法人を国家が優遇する義務はない。税制優遇を撤廃しても宗教弾圧ではない。宗教法人法の優遇処置を撤廃すべきである。社団法人となっても拳法違反ではない。歴史的に保護すべき神社仏閣・宗教施設などは、文化財保護法を充実させ、積極的に保全すべきである。

募金など寄付行為に対しては、免税処置をおこなうことで奨励し、民間基金による奨学金や様々な救援・支援活動を活発化させる社会が自由主義には相応しい。

改めて『不戦の誓い』と、宗教法人の位置づけを日本人の知恵で、法文化として確立して欲しい。

因みに私は、無神論者ではない。古代神道の祖先崇拝を怠らず、神棚に祖先を祀っている。今ある私は、蘇我稲目に発する60数代の祖先のDNAの継承者だからである。

秋の温泉旅行・新玉川温泉

3泊4日の温泉旅行から戻りました。行き先は、色付き始めた秋の、みちのくの秘湯です。秋田県の仙北市田沢湖玉川にある玉川温泉。JR田沢湖駅から約1時間程度。クラブツーリズムの25人の団体ですが、往復だけ団体であとは自由。34日・朝夕2食付き79,000円でした。往復盛岡までは新幹線。盛岡から貸切バズ。雫石・田沢湖経由で約2時間です。

玉川温泉は焼山山麓の十和田八幡平国立公園の中にあり、1680年に発見され硫黄採掘場として運営された。明治からは湯治場として発展したようです。1ヵ所からの湧出量は、98度で毎分9000リの日本一の湯量を誇り、日本で唯一の強酸性の温泉です。目玉は、癌に効く免疫力向上の天然ラジューム岩盤浴で有名です。

今回の宿泊は、老舗の玉川温泉から徒歩10分の新玉川温泉。経営者と源泉は同じです。違いは、玉川温泉は、昔ながらの秘境の湯治場。新玉川温泉は温泉は、リゾート風で、ベットルーム。入浴施設は、同じような造りで、昔ながらに薄暗い木造の湯舟が並んでいます。湯船の数と広さは新玉川が上です。玉川温泉は、屋外の岩盤にゴザを敷いて地熱で温めるのが特徴です。ゴザは汗が出るので持参か一枚千円です。新玉川に宿泊しても玉川温泉の無料入浴券があるので両方が楽しめます。

源泉のpHは、1,2。レモンジュース(pH2.00–2.60)ですから、飲んでみたら酸っぱい夏ミカンより更に濃い味でした。因みには、1から14までの数値で、7が「中性」、7より小さいと「酸性」、7より大きいと「アルカリ性」です。火傷して溶ける硫酸は0.3なので、硫酸を少し薄めた程度。

初日はピリピリする程度視したが、3日目は、1分も入っていられないほど体がヒリヒリし、すぐにかけ湯で洗い流さないと耐えきれないほど、ツラの皮の薄い私には感じました。幸いに湯殿が10以上もあり、ぬる湯・高温湯・弱酸性湯・野天風呂・ミストサウナ・歩行湯などなど多様で飽きません。変ったのは箱湯、箱の中に座り首だけ出す蒸風呂です。外から見ると晒し首状態です。一度は体験したい温泉です。天然蒸気の蒸し風呂は帰仇に優しく、ジュワーと汗が吹きで気持ちよかった。

山の中なので、食事は期待していませんでしたが、それぞれに工夫された食材と味付けでおいしかった。岩手牛ステーキや焼き立ての海老も食べ放題。焼いた海老は足まで香ばしく地酒にピッタリでした。

ただ朝夕がせわしいバイキングなのは、足と目の悪い老人にはきつい。宿泊客はかなり多く、食事時間は混みあうが、風呂は広いので混雑は感じません。青い目の外人客は見かけませんでしたが、個人の台湾人が少しだえけで、99%は日本人でした。外人は青森・奥入瀬・十和田・八幡平・諸岡に抜けるようです。

昼食のメニューは少ないが、日替わり定食・比内鶏親子丼・比内鶏ラーメン・稲庭うどん・キノコ蕎麦が千円程度。おにぎりセット・トーストセット500円とリーズナブルです。比内鶏ラーメンを食べましたが、美味かった。

岩盤浴・温泉と3日滞在してもあきない。機会があれば、また泊まりたい宿でした。帰りは師岡で2時間あったので、魚屋で宮古産の生の帆立貝や干物など買って帰りました。

何も云ね~アホ話

ツイターにみたいだが、呆れかえって、何も云ね~・・・・恐れ入谷の鬼子母神である。

一つは、立教・駅伝監督の上野雄一郎。

あと一つは、衆議院議長の細田博之である。

1、        上野雄一郎

幸いにして立教卒ではないが、立教に泥を塗って解雇された。立教だけではなく、母校の文武両道の寮で育む全人教育を謳う中高一貫教育の佐久長聖高校から、駅伝名門の中央大学の名選手だっただけに与える影響は大きい。立教駅伝の復活には、エスビー食品時代からの恩師・瀬古利彦の肝入りもあった。推薦した瀬古も怒り心頭だろう。マスコミも上野を名監督と持ち上げるから、上野は有頂天になって、常軌を失った。

指導者として、手を付けてはいけない部員女性と、寮を抜けだし、夜な夜な大学のマーク入りの監督車内での不倫(倫理観の欠如)だから、指導者失格は当然だ。それ以前に、この不倫がバレたら、地位も名誉も、家庭すら失い、将来の指導者復帰もあり得ないことくらい、わかりそうなものである。脇が甘いのではなく、理性が欠けている。周囲の期待感が大きかっただけに、失望感も大きく、私を含めた立教関係者に与えたショックと怒りは大きい。

明日の箱根駅伝予選会を前に、選手への影響は図り尾知れない。今はただ、選手諸君が日頃の成果を発揮し、無心で走って欲しいと願うばかりである。

上野は、一時の快楽の代償に、一生を失った大きさを知り愕然としているだろう。同情の余地はなく、哀れな男だというしかない。
追記: 箱根予選会は、6位で本選出場決定。よくやった。

2,  細田博之

病気を理由に議長を辞任した。30分ほどの記者会見を聞いたが、記者の質問にまともに答えられず、正常な判断能力を失ったトンチンカンな受け答えには、呆れかえって、何も云ね~・・・・これまた哀れな男である。

議長は辞任するが、議員は続け、再選を目指すという。ともかく、国政を担える能力は失っている。免許証返上しないボケ老人さながらに、自分がボケた自覚すら失っている。池袋自動車事故を起こし服役中のボケ浪人も東大出身だったが、高学歴者ほど過去の栄光が持続していると錯覚している。

有権者の島根県民には、間違ってもこんなジイサンを国会に送りこんで欲しくない。島根県の恥である。

老兵は死なず・・・・ただ消え去るのみ・・・・この男に、もはや社会貢献は期待出来ない。せいぜい統一教会に有りカネはたいて、韓鶴子に貢献したらよい。

ハマスの陰にプーチンあり

パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するハマスは、107日にイスラエルに越境攻撃を仕掛けた。寝耳に水の攻撃で、怒り狂ったイスラエルによるガザ殲滅攻撃が始まっている。

財力も武力も劣るハマスが、なぜ大規模攻撃を行ったのか理解に苦しむ。大量のロケット弾を供給できるのは、イランしか頭に浮かばない。イランの砲弾供給は、ウクライナに苦戦するロシアへ間接支援だと私は睨んでいる。イランの最大の敵国はアメリカであり、最大の友好国がロシアとハマスだと言われている。

一方でアメリカにとって、ウクライナ支援よりイスラエス支援が優先政策である。ここでイスラエルとパレスチナが第三次中東戦争となれば、アメリカの武器支援は二股に割かれることになる。トランプ共和党は、声高にウクライナ支援を停止し、イスラエル支援を優先せよと騒ぎだした。

ロシアの思う壺である。私は、イランとハマスの尻を叩いたのは、ロシアの情報部の仕業だと思っている。ロシアにとって、ガザ地区の住民が皆殺しにされても捨て駒である。プーチンには人道なんて存在しない。戦闘が激化するほど、ウクライナへの関心が薄れ、アメリカがウクライナから撤退すれば、プ―チンは息を吹き返す。哀れなのは、ロシアの策略に踊らされたハマスである。

西側諸国に求められるのは、一丸となって、イスラエルの報復攻撃を止めさせ、停戦させることである。もしもロシアがウクライナに勝てば、ロシアはますます軍事強国となり、狂人プーチンは、ウクライナ支援を行った日本を含めた西側諸国に仕返しするに違いないからだ。プーチンは陰湿な男である。アホな鈴木宗男がゴマすたって、助けにもならない。

日本人は、ハマスとイスラエルの戦争を対岸の火事と気楽に考えてはいけない。世界はつながっている。ロシアがゾンビの如く生き返えれば、北朝鮮も中国も頭に乗って、極東にも飛び火する。中東戦争が拡大すれば、アメリカの第七艦隊も中東応援で手薄になる。トランプ共和党は、極東の日韓よりイスラエルのほうが重要なのだ。そこでチャンスとばかり、北朝鮮が攻撃に出ないとも限らない。

プーチンにとり、ウクライナ戦線が手薄になればなるほどありがたい。北朝鮮の金正恩をおだて挙げ、朝鮮戦争が再開すれば、米軍は動かざるを得なくなる。中国も義勇軍を送り込む。台湾攻撃も行われる。沖縄だって、過去は中国の冊封体制下(属国支配)に入っていた時代があったから、中国領土だと云いかねない。首里城の守礼門は、中國皇帝の遣使を琉球王が土下座して迎い入れるための中国風の門の名残である。

金正恩は裸の王様だから、陰謀に優れたプーチンから見れば、ガキを手玉にとるのは簡単。金正恩が、いつハマスのように攻撃してきても不思議ではない。日本も油断は禁物。イスラエルをなだめる手立てはないもののか。

老後を幸せにボケる法

秋の日は、<鶴瓶落とし>と云うが、団塊76歳、あっという間の人生だった。特に定年退職してからの10年は、喫茶店を開業したが、ストレスもなく、一期一会の行き交うもまた旅人なりで、記憶に残ろこともない。この10年の間に、世話になった先輩があらかた亡くなり、同期生の訃報が届いた。灯は、一つ一つ消えていく。

医者に行けば、「加齢ですね」で済まされる。足腰の痛み、目・耳の衰え。内臓疾患に血管はボロボロ。動脈硬化でステント補強は当たる前の時代である。かくして、生きとし生きるものは、皆死ぬ運命だから諦めるしかない。

ボケ防止策にブログを綴ってきたが、固有名詞や単語が頭に浮かばなくなった。謎解きのごとく、ネット検索から記憶を取り戻す。

最近ふと思うのだが、人に迷惑を掛けないなら、ボケて死ぬのが一番幸せではないか。ボケ老人は、ストレスや人生の憂いはあるのだろうか。ボケ老人の世話は大変だ。老人ホームの人材不足は解消不可能だ。

そこで提案だが、ボケ対応AIロボット君を速く開発したらどうか。人の世話にならず、ロボット君とお手て繋いで、生活する姿は哀れでもなく、究極の幸せではないか。人にシモの世話になるより、ロボット君なら気にはならない。背中が痛いなら、時間を気にせず、一晩中さすってくれるに違いない。学習機能があれば、なにをすれば喜ばれるか学んでくれるだろう。

ボケ防止対策に高価な薬開発より、人工知能の人に優しいロボット開発に国は税金を投入した方が、高齢化対策になると私は思うのだが・・・・・。

古代史徘徊30 歴史の視点・天皇制 

書物の文字が見えなくなった私は、文字拡大機能があるネットからしか情報収集ができなくなった。情報が氾濫するネット社会で重要なのは、情報を正しく吟味する能力(情報批判力)である。これを歴史学では、『史料批判』と名付けた。

政治の世界では、マスコミやネットリテラシーを使い、虚偽情報で国民の意識操作が行われてきた。中国・ロシアでは、歴史を歪曲し領土拡大政策の正当化に利用している。さらには歴史を愛国教育の道具に利用し、他国への敵愾心を煽る。韓国や中国は、国民の内政不満を転嫁させる常套手段としてきた。同様に日本でも、愛国者を自称する櫻井よしこなど国家主義者は、天武天皇が捏造した天皇制神話を信奉し、反共の御旗をあげている。いわば愛国歴史観は、バカの壁である。

ネット上の古代史愛好家には、記紀の記載を妄信し、そこから空想して自説を展開する方も少なくない。中には、国立歴史民俗博物館が行った炭素 14 年代法を信用できないと否定する。歴博は、資料サンプルを炭素 14 年代法で測定し、弥生時代の始まりが従来考えられてきた前54世紀ではなく、約500年さかのぼった109世紀であると発表した。

稲作の起源は、長江下流域の河姆渡遺跡(紀元4880±90が定説となっている。朝鮮半島最古の水田は、紀元前11世紀の慶尚南道喜山・オクキョ遺跡で見つかっている。朝鮮半島からの伝播と考えれば、日本列島の稲作開始(弥生時代)が、前109世紀とするのは不自然ではない。ただし稲作の寒冷地順化の跛行性を考えれば、縄文晩期と弥生初期は、地域によりかなり混在していた。

古墳時代の古代史を論じる場合は、天皇制の検証抜きに語ることはできない。戦前の皇国史観では、記紀は歴史の規準であり、疑念を抱くことは許されなかった。しかし戦後78年も経つた今でも、神武東征を信じ、愛国者と称して戦前の歴史教育の復活を目指す政治団体と日本人がいる。

自民党議員の大半が所属する日本会議は、生長の家の創始者である谷口雅春ら新宗教・神道系の宗教団体を中心に、記紀神話を崇拝する一種の宗教団体である。

もう8年も前の話になるが、自民党の三原じゅん子は、戦前の大東亜共栄圏のスローガンを持ち出し、「八紘一宇は、日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だと時代錯誤の発言を国会質問の最中に行って唖然とさせた。だが国会で咎めることはなかった。公明党ですら、日蓮が得意とする折伏(しゃくぶく:悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせる説法)ができす、権力に迎合する様は、おぞましき末法の世というしかない。日本の歴史教育は、歪んだままなのだろうか。

1,    実証主義歴史学

日本の古代史を正しく解明するには、日本書紀・古事記の史料価値をいかに検証するかが、最大のポイントである。そこで改めて、歴史を科学的に研究する方法論を再確認したい。 

実証主義に基づく科学的な歴史学を確立したのは、19世紀ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケである。ランケは、史料の正当性・妥当性は常に注意深く吟味されなければならないと述べる。史料が証言する内容については、どの程度信頼できるか、どの程度の証拠能力をもつかを評価する必要があるとする史料批判(ドイツ語: Quellenkritikが提唱された。この考え方が、現代歴史学の基礎となっている。

ウイキペディアでは、『歴史学における実証主義は、厳密な史料批判を行い、科学的な規律を確定し、事実のみに基づいた歴史記述を行うものである。歴史を特定の立場に都合よく利用する思想を排し、科学的・客観的に歴史を把握しようという立場』と紹介している。

古事記・日本書紀においては、編纂者が自由に事実を述べることができたのか、事実を述べる覚悟と意志があったのか、の2点より検討されなければならない。

中国前漢の武帝の時代に、史家の司馬遷が編纂した『史記』は、皇帝から陰部を切断される刑に処せられても司馬遷は皇帝の改ざん命令を拒否し、事実を後世に伝えた。司馬遷は、歴史家の役割は、権力に迎合することなく、客観的事実を後世に伝える哲学を信念としていた。死して尚、信念を貫くのが、中国の史家の矜持だった。それが現在でも中国古代史が高く評価される所以である。しかし中国では、体制批判には秦の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の情報統制が、習近平体制でも行われている。

残念だが、日本の記紀編纂者は、蘇我氏が所持していた古代史の『国記』を焼却し、事実を伝える覚悟もなく、天武天皇から与えられた天皇制神話を正当化させるために、古墳時代の史実を改ざんして後世に残した。

2、    津田史学

ランケの実証主義歴史学を、真っ先に記紀検証に使用した先駆者が津田左右吉だった。一言で言えば、天皇制歴史観批判である。ドイツ語のQuellenkritikを史料批判と直訳したから誤解が生じる。正しくは、天皇制神話の科学的解析手法を用いた事実検証である。

津田は、記紀編纂は、天武天皇の政治的意図を反映して編纂されたものとみなし、編纂者が事実を述べることができなかった、事実を述べる意志はなかったと考えた。

そこで史料批判の結論として、神武天皇、欠史八代から第14代仲哀天皇とその后の神功皇后までの天皇は系譜も含めて、史実としての資料的価値を否定した。ウイキペディアに、津田史学の主張を端的にまとめているので、以下に引用する。

1.   神武天皇(初代)から仲哀天皇(14代)までの歴代天皇の存在を否定する。

2.   神武東征及び景行天皇の筑紫巡行・熊襲親征、日本武尊の熊襲征伐・東国経略、神功皇后の三韓征討など、上代における皇室の事蹟を、全て否定している。

3.   現人神である天皇の地位は祭祀を行う役割に由来するものとしている。

4.   天照大神は神代史作者が観念上、創作したものとしている。

5.   天照大神を始めとする皇室系譜上の神々は、朝廷による支配を正当化するための政治的目的で創作された存在としている。

6.   皇極天皇以前の神勅、詔勅は、全てのちの人が創作したものとしている。

7.   14代仲哀天皇以前の皇統譜には、意図的に手が加えられているとしている。

8.   仁徳天皇の仁政は、中国の思想をもとに創作された物語としている。

9.   皇室系譜の神々は、天皇の統治権を確立し、皇室の権威の由来を説明するために、創作された物語上の存在であるとしている。

10.    天照大神からニニギノミコトに賜った神勅には、中国の思想を含み、かつ日本書紀編者の手が加わっているとしている。

この津田史学を、国粋主義の観念論者はマルクス史観・自虐史観などと非難する。しかし、今日の日本の歴史学の主流は、津田史学を踏襲している。

3,   記紀の改ざんを見抜く3要素

悩ましいのは歴史愛好家である。テーマを絞った優れた業績を上げる郷土史家も多い。しかし記紀を全否定したら、寄るべき古文書はほどんどない。また風土記や延喜式内神社誌は、記紀神話の神々を反映しており、信憑性に疑問が多い。そこで史料を評価する立ち位置によって、恣意的な解釈がまかり通り、様々な古代史観が巷に溢れている。

私は実証主義の考古学を学習したものとして、古墳時代の天皇制は全否定する立場である。しかし天皇のモデルとされた大王が、ヤマト王権の群臣推挙で存在したことは確かである。古墳には、故人が所有した威信財が副葬され、相続されないことから世襲カリスマ的権威の継承はなかったと考えられる。つまり天皇制のような天孫降臨神話は、古墳時代に存在しない。従って記紀の各天皇の事績には、以下の3点の政治的意図がなく、物証で確認できるものは、史料価値を評価できる。

≪記紀から消去されるべき3要素≫

   天皇支配を正当化するための政治的目的。

天皇の神勅、詔勅は、全てのちの人が創作した。

⓷天皇系譜の神々は、天皇の統治権を確立し、皇室の権威の由来を説明するために、創作された虚偽物語。

以上の3要素の虚偽記載が、記紀の中に巧みに組み込まれている。従って天皇制を正当化させるために粉飾偽装された3要素を記紀から消去し、残されたものは、さらに考古学と地歴から吟味し、整合性が合致すれば史料価値が高いと認められる。

そこで記紀を検証すると、

  神武から欠史8代までは、全て偽造で、史料価値はゼロである。

  アマテラスの上代記からは天皇の天孫降臨神話を消去し、スサノヲとオオクニヌシの出雲神話が、古墳時代に伝承された史実と考えられる。

なぜなら出雲神話は、皇統譜の正当化とは無関係だからである。わざわざ出雲の国譲り神話を記紀に挿入した意図は、記紀の信憑性を高める為だった。言い換えると、先行してヤマトの支配者となった出雲王から国が譲られない限り、神武東征は成り立たない。この国は出雲王が建国者となるからである。古墳時代の土着神話にスサノヲとオオクニヌシは定着していたので、記紀編纂者は、出雲神話を抹消することができなかった。出雲の国譲り神話からは、天孫降臨と神武東征が政治的意図を持った虚偽記載と判断される。

  出雲神話は、神庭荒神谷遺跡から大量の青銅器が一括出土したことや、西谷墳丘墓群の四隅突出型墳丘墓を盟主とする北陸一帯への波及と、オオクニヌシの越(こし)遠征神話に整合性が認められる。

  箸墓古墳、三輪山伝承からは、天皇制と異なる出雲神話の存在が確認できる。

  天孫降臨神話や神武東征は、考古学資料からは立証不可能だった。(橿原遺跡は、縄文晩期の遺跡)

  高千穂に降臨し、神武東征の起点となった宮崎県には、弥生後期に出雲・吉備の巨大な首長墓に匹敵する大規模墳丘墓は出現しない。

  宮崎から東進するには、豊予海峡から愛媛に渡る最短ルートが弥生時代には出来ていた。神武は、瀬戸内海の最大勢力だった吉備を味方にし、長期滞在しているので、わざわざ北九州迂回して東征する合理的理由は見いだせない。迂回せずとも、誰にも妨害されず東進することができた。

  畿内では物部氏の祖先ニギハヤヒが開拓したヤマトに迎え入れられた。従って生駒越えで入部が可能だが和歌山から熊野を迂回するのは不自然である。

以上から神武東征は、天皇制を正当化させる神話に過ぎず、架空の物語である。宮崎県の豪族がヤマト・河内王権に登場するのは、5世紀の日向諸県君の髪長姫が仁徳天皇の妃に入内したのが初例である。同時期に日向には、北九州最大の前方後円墳の西都原古墳群が築造された。これらのことから神武東征神話は、日向諸県氏をモデルに創作されたものと前回のブログで論じた。

4、  神功皇后以降の天皇の実在性

神功皇后から河内王権の天皇の実在性を津田左右吉は否定する。しかし私は以下の5点からモデルとさされる大王または女王が存在したと考える。

   百済の近肖古王から神功皇后に贈られた七支刀が実存する。

   宋書に倭の五王が記載されている。

   埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣の院象嵌銘に大王名が確認される。

   河内に、日本最大の百舌鳥・古市古墳群が築造される。

   大陸の北方民族の馬匹文化が導入される。

以上から、5世紀に倭の5王が河内王権に存在したことは、氏名は特定できないが確認できる。

しかし記紀では、倭の5王が中国に朝貢し、冊封されて「征東大将軍倭王」の称号を授与されたことに触れていない。同様に卑弥呼が魏皇帝から「倭王」に冊封されたことも無視している。つまり倭国が、中国の属国支配下にあった古代の事実は、天皇制神話と矛盾するから意図的に消去したのである。

神功皇后が近肖古王から七支刀を贈られたことは、単なる外交儀礼なので事実として記載した。神功皇后と応神天皇の事績は、朝鮮半島の三国記をほぼ丸写しで編纂したことは間違いない。それにも拘わらず、中國の冊封体制下に入った事実だは歴史から隠蔽した。

4,   神功皇后と葛城襲津彦

神功皇后と思しき女王は存在した。しかし69年もの長期に渡って摂政として君臨したとは考えられない。神功皇后は、69年間も摂政であり続け、子の応神は69歳まで天皇に即位できなかった。老齢で即位した応神天皇の実在性が疑われる。神功皇后の時代は、葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)が、ヤマト王権の大王だったと考えられる。応神は、襲津彦のダミーとして創作した架空の人物であろう。

記紀は、葛城襲津彦大王を隠蔽するために、神功皇后在位を引き延ばした。その理由は、ヤマト王権と河内王権に、それぞれ大王が存在したため、皇統譜を万世一系で繋げる為である。そもそも神功皇后の夫の仲哀天皇は即位9年に親征先の筑紫で熊襲の矢に当たって死んだとされ、その後の虚偽記載を混乱させた。やむを得ず、神功皇后が身籠っていたことにし、その後の熊襲征伐・新羅征討中に応神を産んだ架空話を創作した。

ヤマト王権では、大王がなくなれば、群臣会議で大王を選出する仕組みが出来上がっていた。武内宿祢に擬せられた大王が存在したと考えられる。記紀の編纂者は、何が何でも仁徳に皇統譜を繋げるために神功皇后を摂政とし、仲哀から繋ぎの応神を作り上げた。百済記からは、葛城襲津彦が新羅征討の将軍と考えられ、神功皇后の新羅征討は、朝鮮半島の三国記を基に創作されている。

因みに神功皇后の母は、葛城高顙媛という名の葛城氏ゆかりの女性で、母系は新羅系渡来人である。葛城襲津彦も新羅に精通した人物であることから、神功皇后とは、かなり近い血縁関係だったと考えられる。

5、   応神と仁徳は同一人物か別人か

河内王権では応神と仁徳は、重複する事績が多いことから、1人の大王の事績を二分割して二人の天皇に仕立て上げたと推測される。

記紀の応神記仁徳記を比較すると、応神記は外交に詳しく、朝鮮半島の「百済記」と整合性がとれている。対して仁徳記は、内政の河内開拓を詳述し、河内に残された遺跡と整合する。応神と仁徳は、ほぼ同時期の人物と考えられ、外交と内政を分離して、二人の天皇に仕立てあげた。

記紀は、応神と仁徳の在位時期を前後にずらしているが、5世紀初頭には、外交を担当する大王と、内政を担当する大王が並存していた可能性が高い。応神の時代には、ヤマト王権を代表する外交官は、葛城襲津彦だった。襲津彦がヤマト大王で、応神のモデルと私は考えている。

葛城襲津彦は、神功皇后・応神・仁徳の3代にわたり、朝鮮外交の窓口となっている。履中天皇(第17代)・反正天皇(第18代)・允恭天皇(第19代)の外祖父でもある。娘の磐之媛は仁徳の皇后である。襲津彦は、ヤマト大王に相応しい人物と言える。記紀は、葛城襲津彦が天皇の命令で動いたことになっているが、実在しない天皇を消去すれば、葛城襲津彦だけが残る。『百済記』の類似名称の記載から、葛城襲津彦の実在性が指摘されている。

6,   葛城襲津彦の外交

  神功皇后5年 新羅王の人質が一時帰国したいというので、神功皇后は葛城襲津彦をそえて新羅へと遣わした。だが対馬にて新羅王の使者に騙され人質に逃げられてた。襲津彦は怒り、使者3人を焼き殺し、釜山南の多大浦)から上陸し、草羅城(くさわらのさし。慶尚南道梁山)を攻撃して捕虜を連れ帰った。(桑原・佐糜・高宮・忍海の4邑の漢人らの始祖)。

  神功皇后62年 新羅からの朝貢がなかったので、襲津彦が新羅討伐に派遣された。

  『百済記』逸文 382年に倭国は沙至比跪(さちひこ)を遣わして新羅を討たせようとしたが、新羅は美女2人に迎えさせて沙至比跪を騙し、惑わされた沙至比跪は加羅を討ってしまった。百済に逃げた加羅王家は天皇に直訴し、怒った天皇は木羅斤資(もくらこんし)を遣わして沙至比跪を攻めさせた。沙至比跪は天皇の怒りを知り、密かに貴国に帰って身を隠した。

  応神天皇14年 百済から弓月君が奏上するには、百済の民人を連れて帰化したいが、新羅が邪魔をして加羅から海を渡ってくることができないという。天皇は弓月の民を連れ帰るため襲津彦を加羅に遣わしたが、3年経っても襲津彦が帰ってくることはなかった。

弓月君は、山城国葛野郡(かどのぐん)太秦(うずまさ)を本拠とし、近畿一帯に地盤を築いた。弓月君の子孫は、各地の秦氏の流れへと繋がる。

  応神天皇168月 天皇は襲津彦が帰国しないのは新羅が妨げるせいだとし、平群木菟宿禰(へぐりのつく・武内宿祢の子で、襲津彦と兄弟)らに精兵を授けて加羅に派遣した。新羅王は愕然として罪に服し、弓月の民を率いて襲津彦は日本に帰国した。。

  仁徳天皇41年 天皇は百済に紀角宿禰を派遣したが、百済王族の酒君に無礼があったので紀角宿禰が叱責すると、百済王はかしこまり、鉄鎖で酒君を縛り襲津彦に従わせて日本に送った。

7.    仁徳天皇の事績

一方で仁徳は、葛城襲津彦の娘で、武内宿禰の孫にあたる葛城磐之媛(いわのひめ)を皇后とした。仁徳は恐妻家だが、浮気癖が治らず、磐之媛は怒って別居し、晩年は二度と逢わなかった。仁徳は、いわば葛城氏の入婿である。仁徳は、義父の葛城襲津彦の命を受けて、河内に進出し、難波新港の建設と、増大する渡来人を河内に入植させ、河内開拓にあたらせた。

  即位元年1月 都を大伴氏が本拠を置いていた難波の上町台地、難波高津宮に遷した。

  河内平野一帯で大規模な治水工事を行った。

   河内平野における水害を防ぎ、また開発を行うため、難波の堀江の開削と茨田堤(大阪府寝屋川市付近)の築造を行った。

   山背の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)に灌漑用水を引かせた。

   茨田屯倉(まむたのみやけ)を設立した。

   和珥池(わにのいけ、奈良市?)、横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)、依網池(よさみいけ、大阪市住吉区)を築造した。

   灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町辺り)を掘削し、広大な田地を開拓した。

以上の記紀が記す河内開発は、考古学の物証でも確認できる遺跡である。仁徳のモデルとなった大王は実在したが、外交にはほとんど関わっていない。

仁徳の下で新たに採用したのが、馬匹集団を率いる物部氏である。物部氏は、葛城配下だったが、仁徳の河内開拓に伴い大伴とともに仁徳配下に入る。江戸時代で云えば、附家老(つけがろう)である。将軍家の連枝を大名に取り立てた際には、将軍家から直接の命令を受けて家老に附属された家臣である。

大伴氏は、葛城同族の紀臣系氏族で紀の川河口付近を本拠としていた。大伴氏は、葛城磐之媛の家臣として仁徳の河内開拓に組み込まれた。後の物部・蘇我戦争の際、大伴氏は物部軍ではなく、蘇我軍に参戦している。

記紀編纂者は、ヤマトと河内に二人の大王【天皇】が存在すると万世一系の皇統譜と矛盾するため、葛城襲津彦を大王としなかった。以上から、応神は、架空の天皇と考えられ、葛城襲津彦がヤマト王権を代表する大王と考えられる。

,    誉田御廟山古墳は葛城襲津彦の墓

私の推論が正しければ、古市古墳群最大の誉田御廟山古墳は応神天皇陵ではなく、応神のモデルとなった葛城襲津彦だと考えられる。葛城襲津彦は、仁徳の義父であり、皇后の葛城磐之媛の実父だから当然ではある。

誉田御廟山古墳は、前方後円墳で、墳丘長約425メートル、後円部直径250メートル、高さ35メートル、前方部幅300メートル、高さ36メートルを測る。百舌鳥古墳群の仁徳陵古墳(大仙古墳)に次いで2番目の大きさだが、使用した土の量は約143万立法メートルにのぼり、大仙古墳を上回っている。

9.  世にも不思議な名前交換物語

河内王権の応神・仁徳と、ヤマト王権の武内宿祢に関する名前の交換説話がある。これにより、両王朝は、平和裏に共存を盟約したと考えられる。

  14歳の誉田別尊(応神天皇)は武内宿禰に連れられ禊(みぞぎ)のため角鹿(敦賀)の笥飯大神(気比神社)に参詣した。角鹿は、神功皇后が熊襲征伐と新羅遠征へ出発した地である。神前で誉田別尊と大神の去来紗別尊(いざさわけのみこと)が互いの名を交換した説話がある。

笥飯大神は、朝鮮半島任那から船で門司から出雲国を経て敦賀に来着した都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)を神とする。武内宿祢が14歳の応神(皇太子を連れたとするより、息子の葛城襲津彦を同行させたたと考える方が自然である。

  仁徳天皇が生まれた日に、ミミズクが産殿に飛び込んできた。応神天皇が武内宿禰を呼ぶと、宿祢の妻の産屋にもミソサザイが飛び込んできたと言った。そこで応神天皇は、「これは天のお示しである。」と名前の交換を申し出た。仁徳は大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)となった。宿祢の子は木菟宿禰(ツクノスクネ)となった。平群臣木菟宿禰(へぐりのおみ)の先祖である。

平群臣は、葛城氏の後に、ヤマト大王になったと考えられる。日本書紀では、雄略天皇の御世に平群真鳥(へぐりのまとり)が大臣となり、平群氏の全盛期を迎える。仁賢天皇の没後、自ら大王になろうとしたが、これに不満を抱いた大伴金村は小泊瀬稚鷦鷯尊(後の武烈天皇)の命令を受け平群真鳥とその子鮪を討ち、さらに平群一族を皆殺しにしたとされる。これはヤマト王権と河内王権の争いを示すものである。結局、ヤマト大王は、河内の部武烈との戦いに敗れたが、河内王権も武烈で幕を閉じた。

飛鳥時代の藤原京から「日向久湯評(日向国児湯郡平群郷、現在の宮崎県西都市平群)人」「平群部美支」の木簡が出土している。日向国は諸県郡から児湯郡にかけて牧が多く存在していた。平群臣は、雄略天皇の皇后となる日向諸県君の本拠地にも馬の飼育場を有していた。

10.   まとめ

河内王権は、騎馬民族征服王朝説に始まり、王朝交代説とか新王朝説などがあるが、私はヤマト王権と河内王権が並存した時代だと捉えている。記紀は、意図的にヤマト王権を消去し、河内王権の遷都に皇統譜を繫いだが、河内王権は15代応神に始まり、25代武烈で消滅した王権である。

河内王権は、代替わりに中国に官位を求める朝貢を行ったとすれば、5代の大王を、記紀は倍数にしている。記紀は、苦肉の策として、応神から、26代継体に皇統譜を繫げたが、不自然極まりない。歴史学者の大多数は、断絶していると考えている。

ヤマト王権は、武内宿祢系豪族が大臣を継承していた。河内王権が樹立され、ヤマト王権と並存したが、ヤマトと河内のつなぎ役に武内宿祢を12代景行・成務・仲哀・応神・16代仁徳の5代の重臣として登場させた。ヤマト王権の大王位は、武内宿祢の息子の葛城襲津彦であり、河内王権は、襲津彦の娘婿の仁徳が初代の河内大王だと考えられる。

神功皇后と武内宿祢は、記紀編纂者がヤマトと河内両王権を無理やり統合させるために、魏志倭人伝の卑弥呼をモデルとし、実績は百済記を引用して創作した可能性が考えられる。魏志倭人伝では、倭人の国は国同士が抗争したため、大いに乱れた。そのため、卑弥呼を擁立して連合国家をつくり安定したとある。

ジャニーズ問題

私たちの年代の男は、女性アイドルには興味があっても、年下のジャニーズには関心がなかった。ジャニ―喜多川の性加害など知る由もない。

この事件は、ジャニ―喜多川の個人犯罪であって、社員が性加害を共謀したりほう助罪で起訴されることはない。ただ、最高裁で有罪判決があったにも関わらず、問題視することなく、経営から外さなかった会社の責任は重い。会社は清算し、被害者に賠償する責任は当然である。いわばチッソ水俣病の賠償責任と同じである。

ただ賠償金額の算定は難しい。基準を示せと、マスコミは無責任に騒ぐが、一律にしても、個別にしても不満が残る。個人が受けた性的被害の実態を客観的に証明し、定量化することは困難だからだ。また被害に応じた査定基準を設けることも難しく、公表すれば二次的性被害が生じかねない。結果的には、被害者認定がされれば、一律給付が一番公平だろう。

記者会見では、心無いジャーナリストと称するものが、『東山 紀之も知りながら制止しなかったから共犯だ、ほう助罪だ。』と攻め立てていた。あのようなアホが言えるから、ブラックリストは必要だと私は思う。

二回目の記者会見の実況を見た。政治家の記者会見なら、番記者のテレビや三大新聞、共同通信を優先して指名するが、二回目の会見では、あまり聞いたことがないジャーナリストや赤旗新聞まで指名されていた。テレビはかなり後で、テレビ東京が指名されていた。意図的に排除された印象は持たなかった。

記者会見は、全員に回すことはない。糾弾する場ではないのだ。だが中には、自論を展開し、挑発するものが混じる。

少なくても、東山紀之は加害者ではない。ジャニー育てられた恩義で社長役を引き受けたのだろう。私は東山の男気を感じて応援したくなった。東山を攻めるのはお門違いである。マスコミも性被害を報道せず、性被害を助長させた加害者ともいえる。偉そうに、東山を批判する資格などないのだ。マスコミは東山を応援し、被害者が納得がいく解決策を提案したらどうか。

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